これは、とある商家の方から聞いた話なんですが。
あるところに、仲睦まじいものの年中貧困にあえいでいる一家がいたそうです。いえ、慎ましく暮らすならば人並みの生活ができる程度の稼ぎはあったのですが、夫婦共々絵画を趣味としていて、それによって稼ぎのほとんどが失われていたそうです。
ある時、その夫婦に金を貸していた男が、ふと「地獄の絵を描いてほしい」と依頼したそうです。そしてその絵の出来によっては、借金を帳消ししてやろうとも。最初、夫婦は暮らしを楽にするために絵を描いているのではないと断ったのですが、金貸しの男はあらゆる甘言を吹き込み、ついには夫婦に絵を描かせることを了承させたのです。
最初、夫婦は共作で一般的な地獄の絵を描いて男に見せました。しかし、男は「こんな普通の絵しか描けないのか」とケチをつけたそうです。そこでつけられたケチが原因か、夫婦はムキになって、様々な絵を描いては男に見せましたが、男はどれを見ても納得せず、ケチをつけ続けていたそうです。
何度目かの時、男のところに夫しか現れず、不審に思いました。妻の行方を聞いても夫は何も答えず、ただ絵を見ろと男に言い、男は渋々持ってこられた絵を見ました。するとそこには、これまでとは違う迫力のようなものがありました。男は一瞬絵の迫力にのまれましたが、なぜか「まだもっといけるはずだ」と思い、またケチをつけて夫を追い返しました。
その後も何度か夫だけがやってきて、来る度にその絵は凄みを増していき、けれどもその度に男は何かしらケチをつけて夫を帰らせました。
更に幾度か回数を重ねて、ついに男も感心を隠せぬほどの絵が出来上がりました。しかし、男は「もう一押しほしい」と思ってしまい、「炎の勢いがいまいちだ」とケチをつけました。すると、夫はにんまりと笑い、こう言ったのです。
「ええ、そうだろうと思いました。明日、明日こそ完成します。ですが、明日は私はこの絵を持っていくことができないでしょう。大変申し訳ないのですが、明日、私の家まで絵を取りに来てください」
そうして、夫は帰っていきました。その夫の様子に言いしれぬものを感じ、またあの夫はあんなにも不気味な風体だっただろうかと今更思い、男は夫が帰った後、夫婦の住む家に向かったのです。
男が夫婦の住む家に着くと、その家は轟々と燃え盛っていました。そしてその家の前で、無心に絵に向かっている夫がいたのです。何をしているのかと訊ねると、「炎を写し取っているんです。こうするのが一番いい」と夫は言い、キャンバスに炎を描き込んでいました。実際、そこに描き込まれた炎は今にも絵から吹き出してきそうな迫力を持っていて、男はその作業に見入っていました。
どれほど時間が経ったか、夫は筆を置くと、立ち上がり、燃え盛る家に向かっていったそうです。慌てて男が止めましたが、夫はそれを振り切り、「私は、こうせねばならぬのです!」と叫んだかと思うと、燃え盛る家の中に飛び込んでしまいました。そこでようやく、男は消火しなくてはと思い、「火事だ」と声を上げたのです。不思議なことに、男がそう叫ぶまで、近隣の誰もが火事が起こっていることに気付いていなかったのです。
消火活動が終わり、家の中を見ると、夫と思しき遺体の他にもう一つ、人の遺体と思しきものがありました。それは恐らく妻の方だろうと男は思いましたが、それにしてはやや小さいなと不思議に思いました。
とにかく二人を供養し、また絵も持っていくかと思ったところで、人の悲鳴が聞こえてきました。何事かとそちらに向かうと、消火を手伝った人々が、残された絵を見て怯え、泣き叫んでいたのです。男はその異様な様に驚きながら、その絵を見に行きました。
その絵は、確かに先程まで夫が炎を描き込んでいる絵でした。しかし、それは最後に男が見た時とまるで様相が変わっていたのです。地獄の風景、そのあちこちにある無惨な姿となっている人々、それらの顔のいくつかが、あの夫婦の顔になっていたのです。
これはあとでわかったことですが、この頃、夫婦の周囲の人間が行方不明になることが増えていたそうです。そしてあの絵に描かれた人々の顔は、その行方不明になっていた人々の顔だったそうです。