帝位簒奪

リーナという竜がうっかりして、竜が治める国の皇帝になるまでの話。

 やってしまったと、リーナは深く反省した。しかし反省したからと言って、自身の手にある首は元の場所に戻らないし、周囲の熱狂的な視線やら歓声やらも消えることはない。覆水盆に返らずというやつだ。
 そういうわけで、リーナがやることは一つしか残されていなかった。
 すなわち、手にある首を高く掲げ、宣言することだ。この国に生まれたものならば必ず覚えることを強いられる開催宣言。
「皇帝はこの俺、リーナ・キソーが討ち取った! ここに帝位簒奪の儀を開くことを宣言する!」
 途端歓声は更に沸き立ち、一部の者はギラギラとした視線でもってリーナと掲げられた首を見る。
 まさか自分がこの宣言をすることになるとはと思いながら、リーナはここに至ってしまうまでを振り返った。

 リーナ・キソーは旗竜帝国カリバーンの南東にある蒼塩(ソウエン)山脈と葵ヶ原を縄張りにしているキソー家に生まれた竜であった。竜と言っても、キソー家は代々オスは蛇に近い姿、俗にロン族と分類される姿だが、メスは人間に近い姿、俗にゴウ族と呼ばれる分類される姿で生まれるため、リーナ自身は見た目はほぼ人間の姿である。黒髪黒目、顔つきはどちらかというとオスに近いものの整っているとは言い難い容姿だ。体型も性別がはっきりとわかるようなものではなく、顔のこともあってか、初対面ではほぼ性格の悪そうなオスだと認識されるほどだ。
 岩塩が取れる蒼塩山脈と魔力を多く含んだ薬草が取れる葵ヶ原は古くから争いの元となることが多く、それゆえにそこを縄張りとしているキソー家は代々武闘派で、国内での序列は第三位となっていた。その家に生まれたリーナは、長女として当初は近隣の家かあるいは敵対派閥に送るべく花嫁修業をさせられる予定だったが、本人の気性的に嫁になるのは無理だと本人も周囲も判断し、そこからは次期当主候補としての教育を受け、その後数々の試練に打ち勝ち、見事次期当主の座におさまった。
 そんなリーナには、二つほど他の竜と違う点があった。
 一つが彼女の体質で、魔力を外から無尽蔵に吸うというもの。これによって生まれて十年ほどは体質の制御で苦労し、その後百年かけて研鑽し、遂に数多くの魔法を使えるようになった。その過程で魔力制御について革新的な指導方法を編み出し、これによって魔力制御が不得手がゆえに魔法が使えない者達の助けとなったし、他にも魔法式の効率化、新魔法の開発など、魔法関連の功績を数多く持つ。
 そしてもう一点、彼女はリーナ・キソーとして生まれる前、すなわち前世の記憶というものがあった。それも一つだけでなく、いくつもの前世を覚えていた。これはリーナの魂自体が特殊なもので、何度転生しようとも魂が摩耗しないという性質があったがためだ。そうして何度も生きた記憶があるリーナにとって、今回は少し特殊で、家族関係が最初の記憶の時と同一だった。最も長く生きた記憶のある最初の生でのことを反省していたリーナは、今回は家族関係を良好にしようと、前回は家を出たので家に残って次期当主になり、弟は邪険にしていたが今回はそれなりに可愛がりと、前回の反省を生かしてそれなりに成果を出した。結果、一家離散の憂き目にはあわず、前回は姉という存在をこじらせて女装してアイドルになった弟はアイドルにはならず、大災害によって故郷崩壊ということも起こらずと、それなりにうまくやっていた。このまま平穏無事に暮らせればいい、今世は穏やかに過ごそうと考えていた。

 さて、次期当主の座についたリーナは、父ソーニに連れられ、各地へ挨拶回りをすることとなった。各地で恙なく挨拶を終え、最後に現在の皇帝であるロッゲンの居城黒山城に赴いた。丁度皇帝主催のパーティーがあり、そちらに参加するついでに挨拶をしようということで、リーナは珍しく性別にあった盛装をすることとなった。すなわち、ドレスである。体型をあらわにするようなタイプの細身の黒いドレスだが、弟シーナからは死神が歩いているようでとても色気がないと絶賛されたものだ。改めてそれを見て、人間に近い姿に化けている父ソーニが口を開く。
「あ~、娘のドレス姿とか何年ぶりだろうな」
 しみじみと、しかしどこか嬉しそうな様子のソーニを見て、リーナはため息をついた。
「そんなことで喜ぶなら、俺を当主にしなければよかったのでは」
「馬鹿を言え。最も強く優秀な者がキソー家の当主に決まっている。シーナは優秀は優秀だが、強さではお前に絶対的に敵わん。他の分家の連中もそうだ。よって、誰がなんと言おうとも、お前こそが次期当主だ」
 前世では己に従順であれとずっと言い続けていた父と比べるとだいぶ違う様子に、リーナは背中がむず痒いと思ってしまう。
「……父上にはっきりそう言われると、なんだか照れくさいな」
「照れることはない。俺から見れば、お前は世界一強いぞ」
「そうか。……ありがとう」
 ひとまず礼だけ述べ、リーナは気持ちを落ち着かせることにした。
「しかし、お前の貴重なドレス姿が見れるのはいいが、この後謁見するのは少し面倒だな。皇帝の目にとまらんといいのだが」
 ソーニが不意にそう漏らす。というのも、今代の皇帝は大変色欲が強く、見目麗しい者を見るとすぐに夜伽に呼ぶという困った性質がある。そんな性質でもここまで生きていたのだからそれなりに強いのだろうが、夜毎メス役にされる者の嬌声で城内が大変騒がしいと悪評が立っている。リーナはそこまで容色が優れているわけではないし、どちらかというとオス寄りの顔なのでソーニがそこまで心配することでもないだろう。
「そんなに心配しなくても。色気も何もないとシーナからもお墨付きが出ている」
「いや、確かにお前は色気はないが、何せあの好色王だし。万が一でもお前がお手付きになると分家が煩そうだし、シーナが反乱でも起こしかねん」
「父上は大袈裟だな」
 苦笑はするが、リーナも内心そうかもしれないとは思っていた。力でねじ伏せた分家の連中はまたメスが当主は相応しくないと囀り、弟シーナはそんな分家を焚きつけて帝都を燃やすかもしれない。
「リーナ、万が一目をつけられたら、やれそうだと思えば首を取ってしまえ。お手付きになるよりお前が首を取った方が平和に終わる」
「まあ、そうだな」
「失敗したらすぐに俺は領に戻って、敵討ちと銘打って大々的な謀反を起こしてやるからな」
「……父上のそういうところ、大変好ましいと思う」
「あとのことは任せておけ」
「そうなったら頼むよ」
 とは言ったものの、リーナとしては余程のことがなければ首を取ることもないだろうし、そもそもいくら好色と言われていてもリーナのようなメスとしての魅力が少ない者を夜伽に呼ぶこともないだろうと、そう高をくくっていた。

 カリバーンの王城でもある黒山城は国内で最も古い歴史を持つものの、皇帝が替わる度、或いは皇帝の気まぐれで内装ががらりと変わるためいつ訪れても飽きないというのがリーナが聞いていた話だ。しかし、今代の王は悪趣味らしく、ホールはあちらこちらに金銀で施された装飾がされ、柱やテーブルの上の置物には魔石や宝石が埋め込まれていた。
「うーん、趣味が悪いな」
「やはり趣味が悪い方か」
「まあうちは代々質素なのが好きだからな。ガルネシアの奴らは好きかもしれんが」
 ガルネシアというと、西方にある魔石が大量にとれる山、架果山を縄張りにしている一族だ。確かにあの一族は派手好きで、居城など宮殿といっていいほど豪奢な造りだった。ただ、こちらに配慮してか、リーナ達が滞在する部屋は質素な内装になっていたので、さほど悪印象は持たなかった。
「いや、うちでもここまではやらんぞ」
 声がかかり、見ると眩しいほど磨き上げられた真っ赤な鱗で覆われた竜頭人身の者がいた。ヴォルカ・ガルネシア、今こそ話していたガルネシア家の現当主だ。
「ガルネシアの」
「よお、キソーの。いよいよ皇帝陛下の悪趣味も極まったと思わんか」
「お前から見てもそうか」
「ああ。おい次代の、いざとなれば皇帝の首を取ってしまってもいいぞ」
「控室でもその話をしていたところだ。万が一失敗しても、キソーが蜂起しよう」
「おお、いいな! そうなれば、うちも兵を出すぞ!」
「父上、ガルネシア殿、大声でそういうことを言うのは」
「何、首を取れれば問題はない」
「期待をしてもらっているが、俺はよほどのことがなければ皇帝の首を取るつもりはない」
「つまらんなあ。まあ皇帝がよほどのことをやらかしてくれればいいのか。そういえばキソーの次代殿はメスだったか。皇帝がやらかせばありえるか」
「これが傷物になった場合は、これの弟とこれが打ち負かした分家が蜂起することになる」
「なんだ、そんなに大事にされてるのか」
「これを大事にしているのは弟だな。その弟が分家を言いくるめて反乱を起こすと思う」
「そうなのか。では次代も弟に譲られたのか?」
「まさか。それをうちの連中に行ってみろ、架果山を飛び地にしに行くぞ」
「冗談だって。キソーの次代殿が華奢に見えるから心配しただけだ」
「ドレスがそういう風に見せているだけだ。お望みであれば、ガルネシア殿を持ち上げるが?」
 リーナが少し笑みを見せながら訊ねると、ヴォルカはなぜか少し怯んだ様子で謝罪を口にした。
「すまんかったって。……次代殿にはなんかよくわからん迫力があるな」
「頼もしいだろう」
「全くだ。優秀な次代がいて羨ましい限りだよ」
「そうだろう。自慢の次代だ」
 ソーニとヴォルカがきゃいきゃいと話していると、白銀の鱗の竜が近付いてくるのが見えた。シルフィードと呼ばれる小型の竜で、成竜になっても人間の赤子程度のサイズにしかならない。小型ゆえか浮遊魔法や隠匿魔法が得意で、もっぱら密偵や伝令などに就いていることでも有名な種類だ。
「キソー家、皇帝陛下がお呼びである」
 シルフィード種は少し高い声でそう言うと、ついて来いと言わんばかりに玉座の方向へ飛んでいく。それを見てソーニは重々しくため息をついた。
「ついにお呼びか。リーナ、行こう」
「ああ」
 頷き、ソーニと共にシルフィード種についていく。
 玉座に近付くと、すぐ近くに死体の山が築かれていた。恐らく、彼の命を狙った者だろう。この国では皇帝の首はいつでも狙っていいもので、その上現皇帝の評判は大層悪い。暗殺を狙う者も当然増えるが、そのことごとくを返り討ちにしている、その証明と暗殺者を送った家への見せしめだろう。やはりこの国の頂点に立つだけあって、相応しい強さを持っているということだ。
「ちっ、まだまだ健在か」
 隣でソーニが舌打ちすると、前方を行くシルフィード種が少しこちらを見た。
「不用意なことを言うと、首が飛びますよ」
「ご忠告感謝する。しかし、俺も皮一枚残すくらいの余力はあるから心配は無用だ」
 殺されそうになっても凌ぐことはできると言いたいのだろう。皮一枚でも首と胴が繋がっていれば生き残ることができるのが竜という生き物なので、カリバーンではよくこういった言い回しがされる。
「左様ですか」
 シルフィード種はそっけなくそう返し、再び玉座に向かう。
 玉座の前に立つと、そこにはこの国の現皇帝ロッゲン・ドンナー・カリバーンがいた。本来は壮麗なほどの白銀の鱗と黄金の鱗が入り混じった白金竜(はくきんりゅう)体で、この黒山城とほぼ同じ大きさだと聞いている。しかし今夜はそういう気分なのか、人間のオスに近い姿を取っている。ややうねりのある金髪は艶やかで、顔の造りも人間の基準でいえば穏やかで品のある顔つきに見える。角度によって白にも金にも見える目は竜らしくつるりとした目で、それをおさめている瞼にも皺はない。体つきはがっしりとしていて、人間でいうところの武人に近い体型だ。そういう風に化けているのだろう。
 男がこちらを見て、にたりと笑う。上品に化けていたが、その笑みでなるほど好色王かと納得してしまった。
「キソーの。今宵は珍しいメスを連れているな」
「娘のリーナでございます。私の次代を担う予定でございまして、此度陛下にご挨拶をと思い、連れて参りました」
「ほう。娘か」
「お初お目にかかります。リーナ・キソー、一族を打ち倒し、次代の冠を賜ることとなった者でございます」
 愛想笑いをしつつここに来るまでに何度もした挨拶を口にすると、ロッゲンの笑みがいよいよいやらしいものになる。
「いささか華も色もないが、ふむ、まあメスではあるか。そういえばキソーのメスはなかったな。リーナとやら、今宵俺の床に来るがいい。その華も色もない中、どのようにしてキソーの竜共を誑し込み骨抜きにしたか、俺に見せるがよい」
「は?」
 思わずそう漏らし、すぐに取り繕った。
「意図が把握できぬのですが」
「メスが頭になるなど、キソーでは初だったろう。であれば、お前がメスの限りを尽くしたのであろう? 俺にもそれを見せよと言っているのだ」
 それはつまり、リーナが色仕掛けで一族を落としたと、この皇帝は言っているらしい。それを聞いて周りがざわつき、隣にいるソーニの殺気が膨らむ中、リーナは静止のつもりで片手をあげた。

 話は変わるが、竜が本来のサイズより小さいものに化けている場合、その分魔力が圧縮され、本来の姿の時より防御力が高くなっていることが多い。特に人型であれば、心臓と首など無防備にもほどがあるので、その辺りに魔力を凝縮させ、鉄壁と言ってもいい強度にしていることが多い。その状態でどうやって竜を殺せばいいかというと、それ以上の魔力で押し潰すか、或いは魔力をごっそり抜いて弱体化させるかのいずれかが定石とされている。
 さて、リーナであればどうするかというと、自身の性質を生かし、本人の防御を固めている魔力自体をリーナのものに変換し、それを変質させて内側から破裂させるのが一番簡単だろうか。

 リーナが片手をあげた直後のことだ。ロッゲンの首から無数の棘が飛び出し、それがぎゅるりと回転して、その回転の力でもってロッゲンの首を千切った。
「……あ? あ、ぎゃああああああああああああああ!!」
 ロッゲンの口から断末魔が上がったところで、リーナの腕が残ったロッゲンの体の胸辺りに触れると、そこを中心に黒い炎があがり、それがロッゲンの体を焼き尽くした。残った灰もすぐに消えてしまった。リーナは残ったロッゲンの首を拾い上げ、己の顔の高さまで持ち上げた。
「メスの限りとは人聞きが悪い。伝統通り、このように、武力で打ち倒したが?」
 リーナが睨みつける頃には、既にロッゲンは絶命していたようで、最早何も話さなかった。
 その苦悶の表情を改めて見て、リーナははっと我に返った。手には紛うことなき現皇帝の首、体は勢いあまって燃やした上、魔力変換して吸い上げてしまった。恐る恐る周囲を見れば、「よくやった」と言いたげなソーニ、更に「やりやがった」という表情のシルフィード種含め他会場にいた竜達、他にも現皇帝が死んだことで歓喜の声を上げている竜も複数いる。
 やってしまったと、リーナは深く反省した。しかし反省したからと言って、もうこの状況をなかったことにはできない。殺してしまったものは殺してしまったのだ。
 であれば、リーナはこの国の掟に従い、名乗りを上げるしかない。
「皇帝はこの俺、リーナ・キソーが討ち取った! ここに帝位簒奪の儀を開くことを宣言する!」
 手にある首を高く掲げ、この国に生まれたものならば必ず覚えることを強いられる宣言を高らかに告げると、歓声が更に沸き立ち、一部の者はギラギラとした視線でもってリーナと掲げられた首を見る。
 それを見て、この後どうすべきかと、リーナは頭を抱えたかった。

 その後掟に則って皇帝であった竜の首を玉座に放り投げ、皇帝の首を取った勇者としての歓待を一通り受けた翌朝、リーナはソーニと共に即座に家に帰り、事の次第を家族に打ち明けた。
「というわけで、皇帝の首を取ってしまった」
 最後まで話し終えると、弟のシーナは信じられないと言いたげに父ソーニを見た。
「え、本当に? やっちゃったの? 姉さんが? うちの家では割と温厚な方の姉さんが?」
「ああ。流石に色仕掛けで当主の座を勝ち得たと思われたのは腹が立ったらしい」
 ソーニの言葉に、シーナは納得したと力強く頷いた。
「それなら仕方ないね。皇帝には死んでもらうしかなかった。でもどうしようか。そうなると、簒奪の儀は姉さんが出ないとまずいですよね」
「そうなんだよな。それに一応皇帝を弑した勇者だから、予選は免除されるだろう。予選落ちも使えないわけだ。更にいえば、勇者は棄権や降参が許されないから、適度に生き残って序列三位の威厳を保ちながら負けないといけないわけだが、リーナ、できそうか?」
「……難しいな。本選に残るなら手加減ができる相手でもないだろう。そうなると、途中で面倒になって全部焼き払いそう」
「そうだろうなあ。俺もそう思うし、俺でもそうする」
 ソーニが深く頷くのを見て、シーナがため息をつく。
「本選は大体十人前後って話だから、三人倒したところでギブアップでいいんじゃ?」
「さっきも言ったが、勇者は基本棄権も降参もできんもんだ。それに三人容易く倒した奴があっさり降参するとそれはそれで問題がある。簒奪の儀はこの国でも古くから残る風習だからな」
「あ~、勇ましくないと云々ってやつですか。運よく姉さんより強い竜が出てくるのを祈った方がいい感じですかね」
「どうだろうな。ものの数秒で圧縮体の首を切り落としたのを大勢に目撃されたからな」
「臆病風で出てこないとかもありそうですね」
「そうだな。あと、勇者以外は棄権も降参もできるから、不戦勝もありうる」
「古式ゆかしい竜の矜持に引っかからないんですか」
「タイミングさえ守れば許されることになっている。開始直前に勇者を皇帝と認めると宣言した上での棄権、勇者と何合か打ち合った後、或いは自分より序列の高い家が勇者に倒された時の降参は許される」
「ますます不戦勝が起こり得そうな」
「もう皇帝になるくらいのつもりで動くしかないかもしれんな」
「父上としては、それはどうなんだ。次代のこととかあるだろう」
 リーナが訊ねると、ソーニは大丈夫だという。
「俺もあと五百年は当主をやるつもりだ。それまでの間に皇帝やってても問題ないだろ。飽きたら自主退位すればいいしな。もしお前が皇帝を辞められんタイミングで俺に何かあれば、その時は次点だったシーナか分家のミハルナを立てればいい」
「そうか」
「姉さんとしてはどうなの。皇帝とか面倒って言いそうだけど」
「面倒は面倒だが、うっかりやってしまったからなあ。そこは責任を持たんといけんだろ」
「律儀だなあ。知るかって言って国外逃亡って手もあるのに」
「絡線竜に追いかけられるのはもっと面倒なんだよ」
 いつだかの前世でのことを思い出しげんなりと返す。絡線竜、竜などが移動手段に使う竜絡路や世界を縦横に走る魔力線である絡線を棲み処にしていて、その性質から犯罪竜の追跡や捕獲を生業としている一族だ。あれはどこへ逃げようとも追ってくる上、自らの生業に誇りを持っているため、撒くのも交渉するのも面倒なのだ。
「まあそうだな。常に絡路に気をつけんといかんのは面倒だ。国内ならまだいいが、国外となるといちいち探査魔法で調べる必要があるし」
「俺のことだ。その内面倒になって、絡路全部破壊して回るよきっと」
 というかいつかの前世でそれをやったのだ。おかげで大変なことになった。
「はっはっは、そうなったら世界災害認定だなあ」
「姉さんが災害になったら、僕は姉さんを崇める新興宗教とか作って味方になるからね」
「やめろやめろ。神になると対神兵器とか使われるから面倒だ。そんなことになるなら、最初から皇帝になっておいた方がよっぽど面倒が減る」
「別の面倒は増えるけど」
「そっちの面倒の方が楽なんだよ。そもそもカリバーンはそれぞれの族長が小国の王ほどの権力を持った連合国だ。俺が皇帝になった後やるべきはロッゲンが作った悪法の撤廃、周辺国になめられないようにそこそこの威嚇、度の過ぎた諍いの仲裁、その三つくらいだ。絡線竜に追いかけられるくらいなら、それを数百年大人しくこなした方がマシだって話」
「じゃあ、皇帝を目指すか」
「目指しはしないが、負けるのが難しそうなら諦める」

 そうして迎えた当日。
 帝位簒奪の儀、要するに各家で代表者を出し、その代表者で争い、優勝した者が皇帝になるという催しだ。またその時の勝敗で国内の序列が変動したりもするのだが、今回はリーナはそこは気にしなくていいところだ。予選は順調に序列が高い家が勝ち上がり、大きなトラブルもなく終了した。
 そしていよいよ本選となり、儀礼長官による本選ルールの改めての説明と初代皇帝カリバーンへの祈祷文を読み上げたところで、リーナの最初の出番となった。
「それでは、勇者の開催宣言により、帝位簒奪の儀を正式に開始する。リーナ・キソー、これへ」
 儀礼長官に名を呼ばれ、リーナは儀礼長官の立つ祭壇へ向かう。その間に棄権する者がいれば宣言が許されるのだが、リーナが祭壇へ移動する際にその宣言をする者はなかった。これは順当に争うことになるかと思っていたが、リーナが祭壇に立ち正面を向いたところで、本選参加者が一斉に動き頭を垂れる。
「げ」
 今から何が起こるか察して思わず声が出てしまったが、こちらに構うことなく、本選参加者の一人が口を開く。
「ドンナー家代表ルーゲン、先の皇帝にして弟ロッゲンの非礼を詫びると共に、リーナ・キソーを皇帝と認め、棄権する!」
 現在序列一位であるドンナー家代表の言葉の直後、他の参加者も序列順に棄権の宣言をしていく。その様子に観戦客からどよめきがあがる。リーナとしてもちょっと待ってくれと叫びたかったが、残念ながら、厳粛な儀式の最中なのでそんな声は上げられない。
 棄権宣言を全員が言い終えたところで、儀礼長官がこほんと咳払いをする。
「開会宣言までの間の全員棄権を確認した。リーナ・キソー、棄権宣言を認めるか?」
「儀礼長官、俺は儀礼に疎いので失礼ながら確認したいのだが、この場合、棄権宣言を認めないということも可能なのだろうか」
「帝位簒奪の儀の規定としては、棄権宣言を遮ってはならないとあるが、棄却してはならないとはありませんな。ただ、あなたの度量が試されます」
 つまり、ここで大人しく棄権を認めて皇帝になった方が後腐れはないと言いたいのだろう。
「承知した。では、棄権宣言を認めよう」
「ここに全代表の敗北および棄権が認められた。改めて、リーナ・キソーを気高き竜カリバーンの旗掲げる国の王と認めよう。戴冠式は次の月祭祀日とする」
 そうして次の瞬間歓声が上がる。それを聞きながら、はめられたなとリーナは思った。

 カリバーンでは毎月十四日は月祭祀日、すなわち初代皇帝カリバーンが竜としての役目を終えた日で、皇帝関連の儀式はおおむねこの日に行われることになっている。リーナ含めキソー家はその日までにやることを確認し、準備に追われていた。その中で、リーナを暗殺しようとする者もいたが、それらはことごとくリーナが返り討ちにした。
「皇帝ってこんなに命狙われるの?」
 そう言いながら、シーナは捕縛された暗殺者を窓の外に放り出す。
「いや、俺が相手だからだろう。キソー家のメス、それも見た目は弱そうなのだから、下手に簒奪の儀で序列を落としたり醜聞をさらすより、序列そのままでキソー家のメスを殺して次代の勇者になった方がいいと思ったんだろ。あの中で本心から俺を認めていたのは、ガルネシア殿くらいだった。恐らく戴冠式までは小手調べ程度、戴冠式の日が一番暗殺が増えるだろうな」
「警備つける?」
「いらんいらん。俺が強いのは知ってるだろう。全部返り討ちにするし、それができてこその皇帝ってことだろ」
「それはそうなんだけど。でも大丈夫?」
「奥の手もいくつかある。それにいよいよ面倒になれば、根こそぎ魔力を取ればいいし」
「それ、全員ぶっ倒れることにならない?」
「元々儀式を面倒くさがって暗殺を企んだやつらが悪い」
 肩を竦めると、シーナは息をついた。
「それはそうだね。あ、そうだ。戴冠式の時の服できたって。この後着てみてよ。どうせ僕は戴冠式入れないし」
「ああ、それくらいなら。母上が珍しく針を取ったって言ってたっけ」
「そうそう。かっこいい刺繍入れてたよ。しかもキソー家とその分家が一針ずつ入れた刺繍だから、いざという時の魔力補給源としてもばっちりって母上が豪語してた」
「まさかソナーズ金糸?」
 魔力が貯められる性質といえばそれだがと思っていると、ドアの方から声が聞こえた。
「エコード銀糸ですよ。金糸も考えましたが、そちらはリーナのかっこよさには到底似合いませんから」
 見ると、腰くらいまでの長さの黒髪を三つ編みにしている人間のメスに似た者がいる。ただ、額から白い角が生えているので人間ではないと一目でわかる。リーナとシーナの母、カノンだ。キソー家の分家であるハクラン家の出で、顔はリーナと似た系統だが、彼女は顔だけでメスだとわかるつくりだ。余談だが、リーナはカノンの祖父と顔が似ているらしい。
 彼女は黒い箱を持って部屋に入ってくる。黒い箱を開けると、そこには真っ黒な服が収められていた。促されて広げると、リーナの体型に合わせて縫い合わされた長袖のシャツと長ズボンで、それぞれ銀糸でまじないの紋様が刺繍されている。上にまとう垂と呼ばれる貫頭衣のおかげで見えなくなるが、寧ろそのために入れたのだろう。垂は縦が長く、横が肩幅程度の布で、布の中央に穴をあけ、そこから頭を通して着るものだ。袖はなく、体の前面と背面にあたる部分には刺繍などをすることが一般的で、これにも当然刺繍がされている。ただ、その柄はリーナは見たことのないものだった。
「戴冠式の衣装が形式自由だったからよかったわ。キソー家の祭礼用の服にありったけの加護とか呪い返しとか縫い付けておいたから、戴冠式の途中で全裸になるとかでなければ、最低胸から上くらいは残るはずですよ」
「そうなる前に全員気絶させるから大丈夫だと思うけど。まあでも、母上の気持ちは嬉しいよ」
「可愛い我が子の晴れ姿ですもの。気合いも入るというもの。さ、着てみてちょうだい」
 穏やかに微笑む姿は未だに慣れないと思いながら、わかったと頷き、リーナは渡された礼服に着替えた。それを見て、カノンは満足げに頷き、シーナは目を輝かせた。
「流石姉さん。よく似合ってる!」
「リーナ、よく似合っています。おおむね見立て通りだけど、もう少し垂は長くしてもよさそうかな」
「そうかな。俺はいいと思うけど」
「追加で入れたい刺繍があるそうなの」
「追加? っていうか、これなんなんだ? 見たことない模様だけど」
「キソー家に伝わる防護礼装の一部ですね。本来は他家から来た花嫁を花婿が守るためのものなんだけど、おばば様達が一部戴冠式にも流用できるって」
「花婿衣装の刺繍か。それなら確かに見たことないな」
「ここ最近だと、ニーマ様がご結婚なさった時に使った時だから、リーナはまだ卵から孵ったばかりの頃かな」
「うん、記憶にない」
 きっぱりというと、カノンはふふと笑う。
「母上、これで姉さんの衣装は全部?」
「あと冠と杖を用意する予定です。リーナ、どっちが塩の方がいい?」
 そう言われて、キソー家の祭典用の冠と杖のことだろうと察した。蒼塩山脈で取れる岩塩と葵ヶ原の薬草で作られるもので、大体は薬草で冠を、岩塩で杖を作るのだが、今回はリーナの好きにしていいらしい。
「両方とも本体は薬草、装飾は塩とかリクエストしていい?」
「それだと比率がちょっと薬草に偏るから、蒼塩山脈サイドから文句が出ちゃうかも」
「じゃあさ、冠の本体は薬草、装飾の塩は宝石っぽくカットしてさ、杖の本体は塩で、装飾として全体的に薬草使えばいいんじゃない? どうせ塩に直接触るのがやだって話でしょ?」
「うー、まあ、そうだな。そういうことだ」
「そういうことなら、大丈夫かな。シーナ、お手伝いしてくれますか? デザイン的なものはあなたが一番センスがいいでしょう」
「いいよ! 姉さんに似合うかっこいいやつ作るね」
「程々にしてくれ。母上、あまり華美にならないよう気をつけてくれよ」
 微笑みながら頷くだけなので、だいぶ不安だ。あとで他の者に声をかけようと密かに思う。
「当日一番目立つようなの作るから。あー、僕も戴冠式行きたいなあ。母上もお留守番でしょ?」
「ソーニ様から許しが出たので、母も戴冠式に出席しますよ」
「いいなー、僕も行きたい!」
「シーナ、あなたは何かあった時に出陣できるように待機するお役目でしょう」
「そうだけどさあ」
「あとで記録念写を作ってあげるから、それで我慢なさい」
「はーい」
 聞き分けよくシーナが頷くと、カノンはふふと笑う。
「戴冠式へ出発する前々日くらいにキソー家で宴を開きましょうね。その時にはご馳走を用意しますから」
「ああ、楽しみにしている。即位した後はなかなか食べられないだろうし」
「何かリクエストはありますか?」
「キソー蒸かな。絶対に帝都じゃ食べられないから」
「一番の素材を用意しておきますね」
「楽しみにしてる」

 月祭祀日、すなわち戴冠式当日、リーナは持ち込んだ衣装を身にまとい、冠と杖を手にする。冠は低木の薬樹の枝を数種類使って編まれたもので、その合間に薬草の花や岩塩を削って作られた飾りが埋め込まれている。杖はリーナの腕くらいの長さに削り出された岩塩で、蔓性の薬草と薬樹が飾りのように巻かれている。シーナ曰く重量と見た目のバランスは同等、カノン曰く過去最高傑作と言っても過言ではない芸術性の高いもの、らしい。リーナにはいまいち理解できないがと思いつつ、冠を頭に載せ、杖を腰に差して控室を出る。
「恨みはないが、覚悟!」
 そんな声と共に刺客が飛び出し、こちらの命を取ろうと魔法を放つ、あるいは武器を投げてくるのが見えた。手早く返り討ちにすることもできたが、折角一族が用意してくれた衣装を汚すのはと思い、リーナは方針を切り替え、魔力を吸い上げることにした。途端、その場に放たれた魔法は消え失せ、刺客達は次々と倒れ伏す。投げ放たれた武器は吸い上げた魔力で盾を作り弾いた。
「うん、悪いが気絶していてくれ。折角の戴冠式だ、命までは取りはしない」
 刺客が倒れ伏している廊下でそう宣言し、リーナは会場に向かう。その道のりでも刺客が次から次へと現れるが、全て魔力を吸うことで対処する。そのため、リーナが歩いた後に気絶した刺客が敷き詰められることになるが、歴代の戴冠式に比べればマシな方だろうと思うことにした。先代など、戴冠式の会場までの道のりを血で染めたという話だ。それに比べれば、これくらい可愛い方だ。
 会場となる広間に着くと、刺客を放ったと思しき者達がギョッとした表情でこちらを見た。あの量の刺客を返り血も浴びずに返り討ちにしたのかと思われているのだろう。一方で、玉座に一番近い席にいる父母はにこにこと笑顔でこちらに手を振っている。それに笑みを返しつつ、リーナは居並ぶ各家の代表達の間を通り抜け、玉座の前に立つ。そこには古い司祭服である黄土色のローブをまとった儀礼長官が待っていた。
「リーナ・キソー。これより貴殿の戴冠の儀を執り行うが、よろしいか」
「ああ、始めてくれ」
「それでは、これより戴冠の儀を行う。認められし勇者リーナ・キソーの戴冠に異議ありし者は、名乗り出よ」
 その言葉を受けて、動こうとする者がいたが、今更茶々を入れられても面倒だと、リーナは動こうとしていた者、あるいは魔力を高める様子を見せた者の魔力をことごとく吸い上げた。この場で気絶させるでなく、あくまで立ち上がる気力がなくなる程度に吸い上げたが、耐性がなかったのか、膝をつくものが続出した。
「リーナ・キソー」
 儀礼長官に声をかけられる。見ると、彼は険しい表情でこちらを見ていた。
「押さえつけはよろしくない」
「儀礼長官、この場で一つ質問してもよろしいか?」
「なんだね」
「簒奪の儀の後、俺は幾度となく刺客に襲われた。これは歴代の皇帝も辿った道だろうか?」
「質問で返すが、幾度となくとは、具体的にどれほどかね」
「さて。刺客の数が五十人以上になってからは数えるのはやめてしまったな。ただ、今日この場に来るまでに俺を襲ったのは七十名ほどだ。まだ城内に転がっているはずだから、数が気になるなら確認するといい。それで、この刺客の多さは通常通りか?」
 すると、儀礼長官は明らかに顔をしかめた。
「簒奪の儀から戴冠式までの間で、それほどの刺客を送られた例はないだろうな」
「なんだ、やはり俺だけか。であれば、いい加減面倒だから、この場でまとめて押さえつけたいと思うのは仕方ないことじゃないか?」
「……そもそも戴冠式の日に刺客を送ること自体が禁止されている。今回はそれを破った者が数多くいるようだな」
 儀礼長官が怒りを顕に低く唸る。それを聞いて、リーナはそんな決まりがあったのかと驚いた。即位した後は、改めて儀礼長官に諸々のしきたりを教えてもらった方が良さそうだ。
「衛兵よ、急ぎ外で倒れている刺客共をこの場に集めよ」
 儀礼長官が低く唸るような声で命じると、慌てた様子で会場にいた兵が外に駆け出す。
 それから三十分後、会場に気絶した刺客達が並べられた。それを見て、幾人かは青ざめ、幾人かは険しい表情を見せている。
「リーナ・キソーの控室からこの会場までの道のりで倒れていた刺客と思しき者、総勢八十二名となります」
 兵の一人がそう言うと、儀礼長官は深くため息をついた。
「全くもって前代未聞だ」
「何人か数えそこねてたな。下敷きになったやつかな」
「リーナ・キソー、戴冠の儀での異議申し立ては聞かねばならぬ決まりだが、此度はこの刺客の数でもって異議申し立てとし、既にそれを退けたとみなす」
 儀礼長官の言葉に会場がどよめいた。
「儀礼長官、流石にそれは」
「黙れ痴れ者共が!」
 儀礼長官が咆哮をあげる。それだけで会場は静かになった。
「以前より伝え聞いてはいたが、ここまでぬしらが愚かとは思わなんだ。リーナ・キソーは正しく皇帝の首を取り、更に簒奪の儀にも正しく参加し、その場で各家より認められし勇者だ。その勇者を、簒奪の儀でも異議申し立ての場でもなく、このように儀式の外で打ち倒そうと考えるなど。貴様らは竜としての誇りもない、ただの獣である。獣に我が国の皇帝への異議を唱える権利などない!」
 吠え立てた後、儀礼長官はリーナの方を向く。
「汝、リーナ・キソー。そなたを気高き竜カリバーンの旗掲げる国の王とし、これよりカリバーンの名を冠することを我らは認めよう」
 儀礼長官が厳かにそう告げ、手を掲げると、近くにいる旗持ちが金色の旗を持ってきた。水晶らしき透明な持ち手につけられた黄金の旗は、金銀黒の糸で竜の刺繍が施されている。初代皇帝カリバーンの絵だ。そしてこれこそが、この国の国旗であった。
 その旗を受け取り、儀礼長官はリーナに向かって旗を掲げる。
「受け取るがよい」
「ああ」
 頷き、リーナが旗を受け取ると、持ち手が黒一色に染まる。光の加減で、暗い緑や濃紺に見えるようになっている。恐らく魔力の質を色に反映しているのだろう。こんな不気味な色なのかと、リーナは少し落胆した。
「この旗をここへ」
 儀礼長官が指したのは、玉座の横にある旗立てだ。言われたとおりにそこに旗を立てると、そこから魔力の波が伝播していくのが見えた。驚いて顔をあげると、広間のあちこちにあった旗立ての色が赤から黒へと変わっている。そういえば、各家にある掲揚台の柱は全て赤かったなと思い出す。
「なるほど。掲揚台の柱の色はこれだったのか」
「左様。一両日中には国中の掲揚台の柱の色が御身の色に変わりましょう。黒は初代皇帝カリバーンの側近であり、キソー家の始祖であるコルタンの魔力資質の色。まさしくキソー家らしい色と言えましょう」
「そうか」
「陛下、お言葉を賜っても?」
「言葉というと、スピーチか。不慣れゆえ訊ねたいが、どのようなことを言えばよい?」
「歴代の皇帝は所信表明などおこなっていました。先代は北宮を建てると吠えておられましたな」
 あれが言いそうなことだと思いつつ、リーナは考える。
「では、そうだな……。まず、俺はキソーの次代を志しているので、皇帝業はせいぜい百年程度で切り上げる予定だ。皇帝になりたい者はそれまでに俺を殺すか、あるいは百年後にやる予定の選帝の儀に向けて研鑽をしていてくれ」
 リーナの言葉にその場にいた者がざわめく。どうやら、期限を区切って皇帝をやるという者はこれまでにはいなかったようだ。そんなに皇帝をやりたがるものなのかと思いつつ、リーナは続ける。
「これからの百年で、これまでに作られた法律や制度の見直しと、この城の再構築、国境および魔境隣接区域の要所の整備をする予定だ。興味のある者は、後日募集をかけるから来てくれ。城で働く者も見直しをする。これは先の皇帝と性質が近い者を排除したいからだな。先の皇帝は随分と失礼なことを言ってくれた。あれと同質のものが同じ屋根の下にいるのは気持ち悪い。全ての者に聞き取り調査を行うので、皆正直に答えてくれ。まあ正直に答えてくれなくても俺にはわかるから、嘘偽りを述べてくれても構わないが。そこは各々に判断を委ねようとも。最後に、今後一年をかけて、各家の当主と面談を行う予定だ。招待状の届いたものはなるべく来てくれ。来なかった場合は俺直々に足を運ぶが、その場合かなりのもてなしを要求するからそのつもりで。儀礼長官、以上だ」
 声をかけると、儀礼長官はやや震えながら、深く頭を下げる。
「御身の意思、確かに。多忙な百年になりましょうが、我らも粉骨砕身で働きましょうぞ」
「はは、そこまで無理はしないつもりだ。その辺も含め、各部署の者と相談をしたい。儀礼長官、そういったことのとりまとめができる者はいるか?」
「数名心当たりがあります。数日以内に面談ができるよう、取り計らいましょう」
「頼んだ。さて、儀式は終了としていいのか?」
 訊ねると、儀礼長官は顔を上げる。心なしか、先程よりなんだか溌剌としている気がする。
「頭を垂れよ、ここに、新しき皇帝は立った!」
 儀礼長官の咆哮と共に会場中に魔力の圧がかかり、会場にいる者全員がその場に膝を折り頭を垂れる。その光景を見て、やはり皇帝業は早めにやめたいものだと、リーナは心から思った。

 皇帝に即位した後、リーナは働き続け、宣言通り百年の間にやると決めたものは全て片付けた。
 北宮の解体、城の再構築、帝都の区画整理、国内の各要所の砦とその周辺の町村の整備、砦と砦を結ぶ街道の整備、各要所および各家と時差なしに連絡を取るための器具の開発、人員の整理、各家の縄張り見直しと、初代皇帝に比肩する働きであった。また、特定の家などから攻め入られた時も圧倒的な武力でもってリーナ一人で鎮圧し、また時には攻め入って家一番の実力者と勝負して打ち負かしていった結果、百年の間にリーナに逆らうものはいなくなった。
 そうして、宣言通りの在位百年目。各家の代表を集め、選帝の儀を行うことにした。が。
「全家一致で、リーナ・キソーの帝位継続とする」
「はあ!?」
 出た結論に思わずリーナは声を荒げる。儀礼長官は慣れた様子のすまし顔で続ける。
「陛下が声を荒げようと、変わりませんぞ」
「待て待て待て。俺は辞めるといったはずだぞ」
「選帝の儀は次の皇帝を選ぶためのものです。その結果、今の皇帝が次の皇帝に選ばれる可能性も当然あります」
「あれは全家一致の時のみだろう!?」
「ですから、全家一致です」
「くそっ、絶対どこか一つは反対すると思ったのに!」
「姉上、次代もよろしくお願いします」
「シーナ、お前に発言権はない! ドンナー家とか不満はないのか」
 訊ねると、当主のルーゲンはええと頷く。
「我が一族は特に不満は」
「所領を小さくした件でお前の祖父竜がチクチク言っていただろう」
「はて、そのようなものおりましたかな。返還した所領については、あれはうちの馬鹿が力でなく謀略で掠め取ったもの。力を重視する当家にとってはそもそも認めるわけにはいかぬものでした。なので、陛下に返すようにと言われて寧ろ安堵していたものです」
「お前祖父竜を殺したのか? そうなのか?」
「陛下に教わった魔法は大変役に立ちました」
「……そうか」
 以前よかれと思って教えたものが、家の中で発言権の大きい者を排除するのに使われたらしい。役に立ってよかったと言いたいところだが、しかし使い道が使い道だ。
「ガルネシア、お前のとこもそういえば魔石の採掘制限をされて、不満があるのではないのか?」
 不意にルーゲンが話を振ると、ヴォルカはがははと笑う。
「あるもんか。採掘制限のお陰で無駄に横穴増やす馬鹿が減って助かったし、販売ルートも一本化してくれたんで管理もしやすくなった。品質管理もしやすくなったから、トータルで見たら前より売り上げがあがったくらいだ。感謝こそすれ、恨みなどあろうはずもない。そうだ、帝位継続祝いにでかい魔石を献上していいか? アンジーがどうせなら魔石ちりばめたドレス作らせろって言ってたが、ドレスは陛下の趣味じゃねえだろ? だったらでかいのやるから、好きに使ってくれ」
「そのでかい魔石とやらは縄張り内か国内で活用してくれ」
「あっそ。相変わらず欲のねえ竜だ。お、そうだ、シルク家はなんかあるんじゃねえのか? 王城追い出された恨みつらみとかよ」
 ヴォルカがそう言うと、シルフィード種の有力家であるシルク家当主のフランが小さな翼をはためかせる。
「いえ、特には。陛下は我らに職の自由を与えてくださいました。もとより体の大きさから、密偵や伝令といった職しか許されなかった我らに、この小さな体でも他の者と同等に働くための工夫を授けてくださった上、希望職種への斡旋までなさってくださった。我らシルク家をはじめとするシルフィード種全竜が陛下に多大なる恩義を感じております。その陛下が今後も帝位にあらせられるなら、我らこれまで以上に陛下のために働きましょうぞ」
「あれはただ単に俺がムカついたからやっただけなんだが」
「その怒りが何よりもありがたいものであったという話です」
 それから、次々に各家の者がリーナへの感謝やら恩義やらを述べ、最後に儀礼長官がにこりと微笑みながらリーナを見る。
「陛下、おわかりいただけましたかな」
「儀礼長官もいいのか。ここ百年、散々迷惑をかけた気がするが」
「先代に比べれば可愛いものです。それに私は、陛下の次の百年が見たいのです」
「あー、というと?」
「以前おっしゃっていたではないですか。百年だからここまでだと。であれば、次の百年があれば何をやるのだろうかと思うものですよ」
 いつだかの街道整備の時の話を覚えていたようだ。本当に物覚えがいいと、リーナは舌打ちする。
「次の百年なぞ何の計画もないぞ。あるとすれば、今を維持しつつ、国外に目を向けるくらいか。人間の住む人界と魔族の住む魔界、あと幻獣達その他諸々が跋扈する幻幽界、それぞれの国との国交見直しとか取り返せそうな領地は取り返すとか、あとは血と魂の多様性のために移民とかも検討したいかな。輸出は魔石一本だから他に特産を作りたいし、輸入にしても新しい交易品とか欲しい頃合いってヨムルン家の三男坊がこの前言ってたし」
「それだけやりたいことがあるのなら、我々は付き合いましょうとも」
 儀礼長官の言葉に、各家の代表が頷く。それを見て、リーナはため息をつき、玉座から立ち上がった。
「貴君らの意思はしっかり受け取った。ならば、次の百年も俺が働こう。ただ、その更に次の百年はいよいよやることがなくなるから、次こそは新しい皇帝を選んでくれ」
 リーナの言葉に御意と頭を垂れる各家の代表を眺めつつ、次は好感度調整をしておこうと決意するリーナであった。

 しかし、リーナの思惑とは裏腹に、今後リーナの治世は五百年続くこととなる。計六百年の在位はカリバーンでも珍しいことであり、歴代在位年数でいえば初代の在位千年に次ぐものとなる。しかも、リーナは家を継ぐために帝位を降りたため、降りる際には国内外様々な者から帝位継続の嘆願がされ、実際帝位を降りた後も皇帝が変わる度に次代にと望まれる声があがったほどだった。
 しかし彼女は全て跳ね除け、帝位を降りた後は四百年ほど家の代表を務め、それすらも降りた後は、領内でひっそりと暮らしたという。

 これは、そんな彼女の折々のエピソードを綴った物語である。

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