僧院建設

皇帝陛下、移民政策の一つとして追放先修道院を作るの巻。

 在位一二二年。リーナは書簡を見て、ふうと息をつく。内容は簡潔に言えば、人間の宗教施設を作りたいというものだ。
「これは、どうしたものか」
「そのようにお悩みになることでしょうか? 一言、建築許可をいただければそれでよいので」
 書簡を持ってきた人間がいけしゃあしゃあと言う。
「すまんが、この国は人間の国ほど単純ではない。皇帝がこうせよと命じたとして、それを素直に聞く国民ではない。場所によっては内紛になりかねん。その場合、恐らく貴殿の国も燃えるぞ」
 そう言って睨めば、人間の顔が青くなる。そこまでとは思っていなかったのだろう。
 現状、カリバーンでは人間は勿論、あらゆる種族の宗教施設がない。国として建築を禁止しているわけではないのだが、各地を支配している家が禁止しているのだ。そもそも、竜は信仰というものを持たないし、他種族が信仰する神とはおおむね敵対関係にあった。七百年前までは神と戦争していたし、神が別の階層に移った後も神託とやらを使って信者を誘導し、多くの竜を殺してきた。それほどまでに神と竜の関係は悪い。そんな国に宗教施設を作るなど、正気の沙汰とは思えない。
「貴殿は、貴殿の崇める神と我々が敵対していた歴史はご存知かな」
「そ、それは勿論。しかし、それも最早千年も昔のことでしょう」
「人間は物覚えが悪いな。神との戦争が終わったのは七百年前だ。それにその後も、神はお前らを使って竜を殺しているだろう。こちらでわざわざ窓口を作っているのにそれすら無視して、ただ邪悪である神託であると言って、こちらに連絡すらせずに竜を殺して回っている。最後の竜殺しは百年前だったか。貴様ら人間にとっては長い時であろうが、我々としては百年などつい最近、貴殿らの時間感覚で表すと数年前くらいの感覚だ。それについての謝罪もないこの状態で、神を崇める施設を作る許可をくれだと? はっ、また戦でもしたいのか? それなら受けて立つぞ」
 威圧も含めて並び立てると、人間の顔はいよいよ血の気がなくなる。
「そ、そんな、戦など滅相もない。我らとしては、近年人間もこの国に住んでいると聞き、それであれば信仰の場は必要であろうと、ただその一念で」
「この国に入る者は一切の信仰を捨てよと、入国審査で伝えている。まあ陰ながら信仰するのは自由となっているが、それも人間を守るためだ。総じて竜は長く生きる。神との争いの日々、その間に受けた屈辱を忘れていない竜も多い。そういった者の前で神への信仰を見せるのは自殺行為も同然だ」
「……そうでしたか」
 悲痛な表情でそう言っているさまを見ていると、存外話が通じる人間のように思える。しかし、内心では「そういった者を集めて竜の目のないところに施設を作ってしまおう」と考えているのがリーナには見えていた。
「ちなみに、皇帝の許可すらなく宗教施設を作った場合、例えどこであろうとも竜に見つかるし、きっと燃やされるだろうということは伝えておく。架果山の火口など、竜すら住めぬ地域ならば許されるかもしれないが」
「なるほど。陛下自らのご助言ありがたく」
 そう言っているが、「それでもどこかあるはずだ」と期待しているのが透けて見えた。
 少し国を開いただけでこのありさまでは、今後もこういうトラブルが発生するのだろう。
 今更ながら外交に手を出したことに後悔しつつ、リーナは傍に控えている儀礼長官を見る。
「儀礼長官、この件、貴殿はどう見る?」
「おや、私の意見を聞いてくださると?」
「この国のこういった事情に最も詳しいのは貴殿だ。専門家として、是非意見をしていただきたい。俺は無理だと思うのだが、どうだろうか」
 なんとかこの人間が無理だと理解する方法はないだろうかと暗に訊ねると、儀礼長官はわざとらしくふむと息をつく。
「そうですな、やはり宗教施設の建築は基本的に難しいでしょう。しかし、陛下の直轄地なら或いは」
「地元住民を敵に回したくないんだが」
「国境沿いのあまり竜の住まない地域もあったでしょう。ルゴランあたりは人間の国とも隣接しているし、よろしいのでは?」
 思わぬ提案に、リーナは儀礼長官を睨みつける。そして、念話でどういうことだと聞いてみる。
『本気か?』
『こちらがいくら抑えつけたところで、人間は勝手に宗教施設を作るでしょう。それなら、どこか場所を解放した方がこちらもやりやすいし、隠れて宗教施設を作る者は摘発してそちらに送ればよい。いっそ法律も作ってはいかがでしょう』
『それはまあ、そうかもしれないが。しかし儀礼長官にしては珍しい提案だな。何かあるのか』
『下心はありますね』
『あるのか』
『陛下もおっしゃっていたじゃないですか、魂と血の多様性をと。多様な魂を取り入れ、多様な特性を得るという目的のため、他種族の魂を取り込むおつもりだったのでしょう? 今回の話はうってつけでは?』
『ああ、他種族の入植ってことか? あれは今後五十年くらいかけてやるつもりなんだがな。そもそも、大抵は魂の強度で負けるだろ。そこを解決する手段を用意しないと進められん。まして人間なんて』
『そこで宗教施設ですよ。認めるのは癪ですが、信仰心は魂の強度を上昇させる。それに過ぎた善人、過ぎた悪人、そういった者は総じて魂が強い』
『過ぎた善人は宗教施設に集まるだろうが、過ぎた悪人は違うんじゃないのか?』
『昨今、人間の国の序列の高い者、貴族と言うのでしたかな、それで悪しきことをした者は修道院という宗教施設に送られるそうです』
『ああ、生まれながらの義務から解放し、信仰に根ざした質素な生活と社会奉仕を通して反省を促す的なやつか。……まさか』
『この国に特別そういった者を送ってくれと言えば、簡単に竜にも負けぬ強い魂を持った人間が集められると思いませんか』
『……まあ、悪くない案ではあるか。しかしここでは決められんぞ』
『それは勿論。来月の家格会議で私からの立案という形で出すので、陛下には後押しをしていただきたい』
『わかった。これを帰してから細かいところを詰めよう』
 儀礼長官が頷いたのを見て、リーナはわざとらしくため息をつく。
「儀礼長官がそういうのであれば、まあ可能性はあるかもしれないか。いずれにせよ、俺の一存では決められんから、次の議会で議題としては取り上げよう。そこでどうなるかはわからん。ので、貴殿はこの最高位司祭長とやらに、検討してみようと返答してくれないか」
「よ、よろしいのですか?」
「ああ。だが、俺が正式によいと許可を出す前に宗教施設を一つでも作ってみろ。その段階でこの話はなしだし、何なら宣戦布告と見る。わかったか?」
「つ、伝えておきます」
「頼んだぞ。えーと、これでいいか」
 一応文書も残しておこうと、リーナは手元にある適当な紙に今の話を軽くまとめて書き、儀礼長官に渡す。
「儀礼長官、これで間違いないか?」
 添削を依頼すると、儀礼長官は紙に書かれた内容をざっと読み、頷いたので、インクに魔力を流して固着させ、最後にサイン代わりの竜印を定着させた。
「ではこれを」
 儀礼長官に渡すと、彼は人間にその紙を渡す。
「こちらをお持ちください。ちなみに、文書の偽造捏造をしようものなら、それも宣戦布告と我々は見なしますので、そのつもりで」
 儀礼長官が釘を差すのを聞きつつ、リーナはさてと思案する。果たして、家格会議で儀礼長官の案は通るのだろうか。

 家格会議に出したところ、案外すんなり決まった。ルゴランという土地が特異なものであったのが幸いしたようだった。
 ルゴランはカリバーンの北東にあり、三方を山、残る一方を湖に囲まれた土地で、山の向こうは人間の国があるといった立地だ。何代か前の皇帝が商業都市として整備しようとしたのだが、竜が使うには狭い土地だったため、結局流れてきた人間が少数住む土地となってしまったのだ。
「すんなり通るとは思わなかったな」
 決定がされた後に呟くと、近くにいたヴォルカがにたりと笑う。
「場所がルゴランだからな。陛下直轄地で、かつ俺達の誰にとってもうまみがない場所」
「立地はいいが竜が利用するには不便」
「土地が狭い上周りの山が固いから開発もしづらい」
「そういう土地だから、まあ陛下が何かやろうと思ってもご自由にという感じだな」
「儀礼長官が一枚噛んでるなら竜の法にもとるなんてこともないだろうし」
 次々と賛成された理由をあげられ、なるほどとリーナは思う。
「まあお前らがいいって言うなら、許可くらいは出すか。ただその前に一回視察に行こうと思うが、儀礼長官も行くか?」
 訊ねると、儀礼長官は是非と頷く。
「私からの発案という形ですしね。お供いたしましょう」
「よろしく頼む」

 数週間後。リーナが儀礼長官と共にルゴランの地に行くと、想像よりはるかに寂れていることが判明した。
 街で唯一の宿屋に入り、リーナはため息をついた。
「想像以上だったな」
「それは狭さがでしょうか?」
「狭い分にはどうにでもなる。俺が整地すればいい。ただ土地にも限りがあるから、街道に食い込ませる形になるが」
「その方が良いかもしれませんね。では、何が想像以上でしたか?」
「寂れ具合がだ。街道を少し広げただけでは足りなかったな。もう少し考えてやれば良かった」
 かつて国内の街道を一斉に整備したことがあった。このルゴランに繋がる街道も勿論対象ではあったが、整備しただけでは足りないのだと視察をしてみて改めてわかった。
「以前はもっと寂れていたので、これでもにぎわった方ですよ」
「マジか」
「宿すらなかったんです。宿ができた上、この宿も客が途切れることはないと言っていたので、これからでしょうとも。人間サイクルか竜サイクルかはわかりませんが、いつかもう少し賑やかになるでしょう」
 人間サイクルなら数年、竜サイクルなら数十年の間ということだろう。いずれにせよこのままではそれなりの時間が必要ということだ。
「他の街ならそれでいいんだがな。ただここは仮にも皇帝の領地って扱いになってる。それがここまで寂れているのは、国の威信に関わるところだろう」
「まあ、この地が皇帝陛下の領地だということ自体あまり知られていないので、慌てる必要はないでしょう」
「この土地が俺の土地だから宗教施設を建てる特例を出すって話にするつもりだから、もう少しマシにはしてやりたい」
「具体的に言うと?」
「人間用の宿をあと三軒ほど増やしたいな。流石に竜も泊まれるようなものは増やすのは難しいが、人間用ならそれなりの大きさの建物を用意すればできるだろう」
「運営は誰にお任せする予定で?」
「一軒はキソーから信用できる奴を連れてくるつもりだが、残りの二軒は公募にしようと思う」
「妥当でしょうな。しかし宿だけ増やしても、賑わいはしないでしょう」
「何をやるにしても、人や物が留まれるところを作りたいって話だ。あとは各所に協力あおいで施策を決めて、各宗教団体から建築様式聞き出した上で都市計画を作るかな」
「なるほど。今回は噂等は流さないのですか?」
「それは宗教団体に建設許可を出してからだな。そうだ、儀礼長官は何かやりたいことはないのか?」
 自ら提案した上、視察にまでついてきたのだから、何かあるのではないかと思って訊ねると、儀礼長官はふむと少し考える素振りを見せる。
「やりたいことですか」
「下心があるって言ってただろ。血と魂の多様性がお前の下心とは思えないから、他に何かあると思ってたんだが」
「まあ、そうですね。……実はこの付近が故郷なのです」
 儀礼長官が後半内緒話をするように声を潜めてそう言う。
「なんだ、そうだったのか。里帰りはしなくていいのか?」
「故郷自体は湖の底に沈んでしまったので」
 その言葉に、リーナはなるほどと思う。ルゴランは街の前に湖があり、これはおよそ八百年前にあった水神との争いであいた大穴に近隣の川や地下水が流れ込んでできたものだった。元々は大穴の中心にあった街がルゴランと呼ばれていたのだが、湖になって以降は国境側に残った土地をルゴランと呼ぶようになったのだ。
「そうか、旧ルゴランの出身だったか」
「はい。丁度私は前線で戦っていたので、穴が開いた時のことは伝聞でしか知らないのですが、大穴になる前の街の様子はよく覚えています」
「城塞都市だったな確か」
 そしてそれが理由で、攻撃対象になってしまったのだ。
「故郷はもう湖の底ですが、いつかこの地をかつてのように賑やかな場所にしたいと思っていたのです。それで、今回のことはきっかけになりそうだと思いまして」
「なるほどな。ただ、当面増えるのは人間だ。それでもいいのか?」
「元より旧ルゴランも人間をはじめとした他種族が住んでいました。難民や元捕虜がたくさんいたのです。ですから、人間が増えても構いませんとも」
「そうか。では、ついでに旧ルゴランの様子を教えてくれないか? 覚えている範囲でいい」
「構いませんが、しかし陛下、私は旧ルゴランを復活させたいわけではなく」
「勿論それはわかっている。だが、古い街の形というのは土地にあった形になっている。それが参考になるという話だ」
「そうですか。それでは」
 儀礼長官が生き生きとかつてのルゴランの様子を話し始めたのを見て、都市計画会議にも出席してもらおうとリーナは密かに思う。それと、彼と同郷の竜がいるようならばそれも呼び寄せたいところだ。

 それから半年後。リーナの力技による整地と旧ルゴラン出身竜を中心とした都市開発、更にルゴランにやってきた人間達の意見も取り入れた結果、ルゴランは交易都市として急激に発展してしまった。
「やりすぎたな」
 新しくできた茶屋のテラス席から街を眺めながら、リーナがぽつりとこぼす。向かいに座って緑茶を飲んでいる儀礼長官は首を傾げる。
「そうでしょうか? 予想以上に栄えてしまいましたが、これはこれでよいのでは」
「そもそも宗教施設呼び込むための都市なのに、交易メインになってるってのはまずくないか?」
 すると、儀礼長官はふむと頷く。
「まあよろしいのでは? 言い分としては向こうも納得しやすいでしょう。交易都市ゆえ種族も多種多様になったため、宗教施設の受け入れもしようと思うと、こんな感じでいかがでしょう」
「……儀礼長官がいいならいいが。というか、人が増えすぎたから、宗教施設用の土地をまた作らないといけないな」
「湖側に作ってはいかがでしょう。浮島の形にすれば出入りの制限もできますし」
「あー、そうするか。一応それでいいかの確認もしないとな」
「お、ヘーカとギレーじゃん」
 不意に声をかけられる。見ると、ルゴランを通る街道通商隊の護衛をやっている人間の男、ダラカだ。切り傷の痕があちこちに残る浅黒い肌、刈り上げた白髪交じりの黒髪、更に厳つい顔つきのため、初対面では警戒されそうだが、普段笑っているのでそれでだいぶ印象が緩和されている男だ。肌の色は人種的なものではなく日焼けによるものだと聞いた。ダラカは街道通商隊の護衛の中でも飛び抜けた実力を持っていて、そのためルゴランに住む竜達にも一目置かれている。
 この男、というよりこの街の人間にはリーナは皇帝とは名乗っておらず、儀礼長官がそう呼ぶのでヘーカという名で通っている。儀礼長官もギレーという通り名で、リーナの上司ということにしている。それなら、ギレー長官と呼んでいても問題ないだろうと、儀礼長官自ら提案したのだ。
「ダラカ、来ていたのか」
「おう。うちのボスがすっかりこの街を気に入ってな。今度商館建てようってんで、今回は候補地決めだ」
「商館建てるほど気に入ってくれたか。ギレー長官、ダラカの雇い主が商館を建てるとなると、ますます商業都市として栄えそうだが大丈夫か?」
「ええ。建前も先程決めた通りでよいかと」
「お、なんだ、街の上役二人で悪だくみ中か?」
「いえ、かねてより決めていた誘致の件を確認していただけですとも」
「誘致? 何かでかい施設を建てるのか」
 ダラカの言葉に、儀礼長官がリーナに念話を飛ばす。
『先にお知らせしてもよいでしょうか』
『あー、におわす程度にしてもらっていいか。後日、相談という形で何人か人間の商人を集めて、そこで内々の発表にしたい』
『おや、遂に陛下だと明かすのですか?』
『そろそろ頃合いだろ。どっちにしろ、宗教施設建てるってなったら式典とかあるし。あ、ここで話すのは俺からにしておこう』
『御意』
 念話を切り、リーナはダラカの方を向く。
「ちょっとな。人間とかの他種族が建てるでかい箱ものを作ろうって話があるんだよ」
「箱もの?」
「詳しくは皇帝陛下直々にお知らせとかあると思うから、今はこれ以上は内緒な」
「皇帝様直々とは穏やかじゃねえな。闘技場とかじゃねえよな?」
「ルゴランでは闘技場は作らんだろ。そもそも、皇帝陛下は人間を遊興に使うのは面倒が多いって嫌がるし」
「そうなのか? この国の皇帝のことはやたら強い女だってことしか知らんから、闘技場とかは好きなのかと思ってたが」
「皇帝陛下はそんなに野蛮な方ではありませんよ。いずれお目にかかれる日もあるでしょうから、その日をお楽しみに」
「ギレーは見たことあるんだよな」
 ダラカの問いに儀礼長官は微笑みを返す。
「へー、やっぱ長官ともなれば見れるわけかあ」
「ダラカは皇帝の顔、見たいのか?」
「いやあ、別に見なくてもいいっちゃいいんだが、やっぱカリバーンでは珍しい女帝がどんなもんかは気になるだろ」
「言っておくが、うちの皇帝はダラカの想像する女帝からはかなりかけ離れてると思うぞ」
「それはそれで土産話になるだろ」
「そうか」
『なんかすげーがっかりされそうな気がしてきた。これからお前が皇帝ってことにしていいか?』
 思わず念話でこぼすと、儀礼長官が苦笑するのが見えた。
『他の方が許しませんよ。それと私はオスです』
『わかってるけどさあ』
「実物見てがっかりしても、うちの国悪く言うのはやめてくれよ。皇帝と国は別なんだから」
「そうですね、評価は別にしていただきたいですね」
「はっはっは」

 数週間後。
 あの時笑っていたダラカが顔を引きつらせながらこちらを見ている。正直、リーナも気を抜いていれば引きつった顔をしていただろう。この日は宗教施設の受け入れのための事前相談として、ルゴランに住む主だった有力者と、この街に出入りすることが多い商会の代表をルゴラン市役所の一室に集めていた。そして、ダラカの座っている位置は、この街に出入りする中では一番規模の大きいハルタ商会の代表の席だからだ。街道通商隊の護衛に用意した席ではないし、またダラカの服装も護衛の服装ではない。
「こちらにおわすのが、我らが皇帝陛下、リーナ・キソー・カリバーン様です」
 ルゴラン市長の言葉に、室内にいる者の大半がざわめく。そして驚いた様子を見せた者は、もれなくヘーカを知っている者だ。
「まず、幾人かに弁明をさせてもらおう。俺が皇帝だというのは残念ながら事実だ。その上で、この街に度々現れていたヘーカはまあ俺のことだが、これは儀礼長官が、仮にも偉大なるカリバーンの皇帝が護衛もつけずに粗末な服装で直轄地をフラフラしているのを知られるのは時期尚早ということで、ギレー長官の部下のヘーカとして過ごすようにと提案してきた結果だ。騙して悪いとは思ったが、まあ皇帝らしくないというのは我ながら大変喜ばしいことなので調子に乗っていた面もある」
「っていうか、ヘーカは女だったのか」
 誰かがぽつりともらす。
「あ、そっちか。正真正銘メスだぞ。脱ぐのは無理だから、証拠を出せと言われると困るが」
「御召し物で充分メスとわかりますよ」
「そうか。この準礼装を選んだ儀礼長官に感謝しておこう。他何か言いたいことがある者は今この場で言ってくれ。後の都市計画のため、わだかまりなどあっては面倒だからな。あと俺からも言いたいことがある」
「えーと、なんですかね。これまでの非礼をそしる感じですか」
 ダラカの言葉に、リーナは鼻で笑う。
「俺をそのような矮小な竜と思われては困るな。先にも言った通り、騙す形になったのはこちらが先だ。たとえ俺がヘーカとして振る舞っている間に不快を感じたことがあったとしても、それは全てその場で解消してきた。知ってるだろう? 俺が言いたいのはもっと別のことだ。通商隊の護衛だとか小間使いだとかくっついてきた冒険者だとか名乗ってた奴ら、揃いも揃ってこの場にいるのはどういうことだ? まさか本当に代表とかで、上役っぽい俺や儀礼長官に探りを入れていたということか? 全く、もしそうなら、最初に名乗ってくれればもっと有益な情報を出してやったのに」
「有益な情報を出してくれたんですか」
 以前会った時は小間使いと名乗っていたが、今は武器商ミスリルアーセナル代表の席に座っている男リルがそう漏らす。
「勿論だとも。なんならその場で正体明かして協力を頼んだりもした。全く、そうとわかっていればもっと早く解決したこともあったのに。無駄な時間を使ってしまった」
「かねがね思っておりましたが、皇帝陛下は竜にしてはせっかちですね」
「ここは半分人間の街だろう。それなら人間のサイクルに合わせるべきだと思っているだけだ。そうでなければ、この街をこの規模にするのに、あと五年はかけた」
「そうでしたか」
「ああ。竜もせっつかなければここまで早く対応はしない。まあこの辺は、俺がヘーカ、儀礼長官がギレーとして街を回って、少し速度は早めたが。竜に敬意や恐れを持つのはいいが、遠慮しすぎはよくないぞ。悪いが俺達は、相手の事情をくみ取るということが苦手だ。嫌なことは嫌、ダメなことはダメときっちり言ってくれ。それならそうで、こちらも考えるから」
「気をまわしていただきありがとうございます」
「ここは一応俺の街という扱いだからな。当然のことだ。少し話しておくが、この国に生きる竜は弱きものを庇護するというのが大前提にある生き物だ。つまり、俺の街であれば俺の街に住む者、関わる者は全て庇護対象と言っていい。だから不平不満があればいくらでも言ってくれ。俺はお前達を庇護する者として、極力それを叶えよう。そうだな、極端に言えば、お前らが金を無限に寄越せと言っても俺は応えるぞ」
「それで皇帝陛下の私財を吸い上げることもできると?」
 ダラカが挑発的にこちらを見るが、リーナは邪悪に見えるような笑みを見せる。ダラカが怯んだ様子を見せているので、それなりに怖い顔はできているようだ。
「やりたいならやってみせるといい。悪いが俺は魔法でいくらでも黄金や塩、その他諸々錬成できるから、ぶっちゃけ無限に金を作るくらいわけはない。ただ、使い道はきっちり報告してもらうがな。ああ、その際使い道が菓子代でも構わんぞ。ただ、報告書と実際の使い道が少しでも違えば、それは庇護する者として注意はさせてもらう。虚偽の報告をされると、それでお前達に何か問題があった時、俺では守り切れなくなるから」
「正気かよ」
「勿論与太話だ。これはあくまで、お前達がそれを望むならって話だ。どうだダラカ、無限の黄金でも望むか?」
「いや、やめておく。っつうか、そんなこと望んだって知られたら会長に殺される」
「そうか。それで、他はどうだ? 何か言うことは?」
「あー、そうだな。これは私情なんだが、ヘーカは今後はいなくなる感じか?」
 ダラカの質問は思わぬものだった。
「正体を隠しての視察は今後もするぞ。まあ、姿と名前は変えるから、ヘーカはいなくなるが」
「こっちは知ってしまったし、そうなると誰がどれだって気を回すのが面倒なんで、視察の時はこれまで通りでってのはだめですかね。ヘーカの正体はこの部屋の中だけの話にして」
「俺としてはありがたいが、お前達、大丈夫なのか? 次俺に会った時に動揺しないと誓えるか?」
「そこはなんとかするさ。なあ」
 ダラカが周囲を見ると、ヘーカを知っていた面々は思うところはあるものの、ダラカの提案には賛成らしく、次々と頷いていた。
「わかった。では、ヘーカとギレーの正体は一旦この場にいた者だけの秘密とする。……まあ俺としては口外しても構わんが。儀礼長官はどうだ?」
「もうこの場で話しましたし、私としてはどちらでも。ただ、陛下と同じく、今後街中で出会っても素知らぬふりをしていただければ。ランクをだいぶ下げたローブを買ったばかりですし」
 そういえば、確か儀礼長官は先日新しいローブを買って、「これでもう少しお忍び感が出ますな」とはしゃいでいたと思い出す。あれを無駄にしたくないのだろう。
「まあ、そういうわけだ。街中で会った時の態度が変わらないならどっちでもいい」
「いやそこは伏せさせてもらう。流石に下っ端どもがかわいそうだ」
「そうか?」
 案外順応しそうだがと思っているが、ダラカ達はそうは思っていないらしい。腹の中で誰それが知ったら首をくくりそうだとか、どこそこが潰れそうだとかそんなことを考えているのが見えた。人間は繊細だなとリーナは改めて思う。
「そうか。まあ、お前達がかわいそうだと思うなら、俺も一旦秘密にしておこう。儀礼長官もだぞ」
「陛下がそうおっしゃるのならば」
「あと、バレてるからって権威を使うなよ」
「おや、私がこれまで権威を使おうとしたことがあったと?」
「ないけど一応だ。ここにおわすのは誰それってのもなしだからな」
「わかっておりますとも」
 儀礼長官はしっかり頷くが、少し不安が残る。その時が来てしまったら何が何でも止めようとリーナは密かに決意する。
「お前達も、ヘーカである間は俺は特に権力のない、まあ精々この街の市長と少し知り合いくらいの立ち位置だと思っててくれ。つまりこれまでと同じだな。ただ、内密で相談があると前置きしてくれれば、本来の権限で対応しよう」
「それくらいがこちらとしても丁度いいです。改めて、これからもよろしくお願いいたします」
 流れの冒険者だと名乗っていたが今は冒険者ギルド代表の席に座っている女、ミレーがそう言って頭を下げる。他の者達も同様に頭を下げる。
「ああ、よろしく頼む。それはさておき、本題に入らせてもらおう。悪いが各々の自己紹介はあとにしてくれ。まずは儀礼長官、説明を頼む」
「承知しました。ここまで急ピッチでこの街を発展させてきましたが、これはそもそも目的があってのことです。実は以前より、とある宗教関係者からこの国に宗教施設を建てたいという話が出ています」
 儀礼長官の言葉にその場にいた人間達がざわめく。流石にこの街に生きているのだから、宗教施設を建てるということがどういうことかよくわかっているようだ。
「本気ですか」
 シャンタク商会の人間が呻くように呟く。
「あちらは本気のようですよ」
「こっちが許可出さないと、勝手に建てて問題起こしそうだったからな。だからこの街に集中して建てさせようと考えたわけだ」
「なるほど。それでこの街を整備したと」
「ミスリルアーセナル代表殿の言う通りです。まあ私は元のルゴランでもよかったのですが、陛下が流石に外聞が悪いと」
「寂れた直轄地を見せて好きに建てろって言ったら心証とやらが悪いし、ルゴランを起点に宗教戦争とか起きたら面倒だろ。街一つ燃やすって大変だし」
「別に宗教戦争が起きたからと言って、街を一つ燃やさなくてもよろしいんですよ」
「皇帝の権威とか威厳とか、なんか知らんがそういうのの関係で、街ごと燃やした方が早いっていうやつが多いだろうがこの国は」
「まあ否定はできませんね」
「そうだろう。だからまあ、適度に栄えさせて、その状態で宗教も一つじゃなく、どこの宗教でも構わんよと許可を出してしまえば、いい感じにお互いに潰しあってくれるだろうと思ってな。まあ、人間が増えすぎたのが少し失敗だったかなと思うが」
「良いのではないでしょうか。人間がこれだけ住んでいて、更に宗教の自由もあるとなれば、他の種族も遠からず入ってくるかと」
「最もか弱い種族が自由に商売してるんだからと考えるやつが多いことを願おう」
「そうですね。そのようなわけで、これから先、宗教関連の施設を建設する予定となっています」
「あー、それで、俺達に立ち退きを?」
「いえ、それ用にまた新しく陛下が土地を作りますので」
「土地を作る」
「今度は島を作る予定だから、今ある土地には関係ないはずだ。念のため護岸も作るから影響はないと思うが、一応一時的に避難してもらった方がいいか?」
 儀礼長官に訊ねると、彼は少し考えた後、首を横に振る。
「必要ないかと。島を作る際は私や他の者も同席する予定です。いざとなればその面々でどうにかしましょう」
「その時は頼んだ」
「我々の方からも協力者を出してもよいでしょうか」
 錬金術師のルチアが恐る恐るといった調子で口を挟む。
「うん? 別に整地は俺一人でやるが」
「いえ、街の防衛の方です。必要ないかもしれませんが、我々も街を作るのに協力したのだという意識は持ちたいので」
『どう思う?』
 即座に念話で儀礼長官に話しかけると、彼はこくりと頷いた。任せろということらしい。リーナはでは任せようと頷いた。
「そういうことであれば、日程が決まり次第募集させていただきます。その際には竜と竜以外で募集をかけますので、人間側でも参加したい方はどうぞご自由に。陛下、整地についても少し手伝わせましょう。そうですね、ざっくりと作るのは陛下に、細かい調整は応募してくださった方々に任せる形で」
「……わかった。ただ、仕上げの防衛陣は俺が組むぞ」
「それは勿論」
「それならいいだろう。大きさと大まかな形は先に決めておいてくれ」
「かしこまりました」

 更に三ヶ月後。リーナはルゴラン湖上空で腕組みをして待機していた。
『陛下、こちら準備整いました』
 通信機からの声にリーナはふうと息をつく。
「いいなあ。俺も下でわいわいやりたかった」
『今日は皇帝陛下としての仕事なので我慢してください』
「わかってるわかってる。じゃ、まずは街に一番近いとこからスタートするか。えーと、湖面五の甲から三の丙までか。小高い丘が欲しいってあるから、まあ適当に土盛っておくか」
 処理を錬成盤に打ち込み、まず幻影を投影させる。
「こんなもんか?」
『……丘になる部分はもう少し丙側に張り出してほしいそうです』
「ふむふむ。こんなもんか?」
 少し調整し、再投影する。
『ええ、それで大丈夫だそうです』
「じゃあいくぞ。構築式展開、魔力量よし、防壁展開完了。造成開始!」
 タイミングがわかるように段階を読み上げ、それにあわせて湖面に魔法構築式を仮投影し、魔力を注ぐ。並行して周囲に衝撃が伝わらないようにするための防壁を展開させる。準備が完了したところで、魔力構築式を作動させ、魔力を物質に変換していく。土台には岩石や魔石を混合したものを、表面には場所に応じて土や岩石にしていく。
 それが出来上がっていくのを見てか、街の方から歓声が上がるのが聞こえた。
「そっち盛り上がってるなあ」
『陛下の力技は人間から見れば奇跡のようなものですから』
「竜以外がやろうとするとちょっときついか。多分途中で魔力足りなくなるし」
『人数集めればいけるかもですが、それで人間が無為に死ぬのは少し哀れですかね』
『なあこれ陛下に繋がってるんだろ!』
 不意に別の声が割り込む。声からしてダラカあたりだろうか。
「繋がってるぞ。ダラカか?」
『おう! いやほんと凄いっすね陛下! マジで何もねえとこから土地作るなんざ、神様かよ!』
「ま、神と争うくらいの種族だからな」
『だよなあ。教会から派遣された奴ら、皆ぽかんとしてて面白いわ』
『彼らとしては神話で唱えられていたことが今目の前で起きているわけですから、唖然とするのも無理はないでしょう』
「流石に作れるのは今回のサイズくらいで、大陸とかは無理って話しておいてくれ。造成の工程が八割に達したら俺は次に移るが、地上での作業は造成完了するまで動くなよ」
『心得ております』
「一応造成完了するまでは防壁が張ってあって入れないが、同時並行でやってるとちょっと不具合出たりするから、見張りはしっかり頼む」
『はっ』
 事前に確認したことをもう一度伝え、リーナはカバンに入れておいた竜果を取り出す。魔力の素となる魔力素子がかなり多く、食べるだけで魔力が回復する便利な果物だ。それをかじると、強烈な甘みが口の中に広がる。
「ぐうっ、甘い」
『やはり果汁のみの方が良かったのでは?』
「果汁だけの方が甘みが強いししつこいから、こっちの方がいいんだよ」
『飲みやすいよう調整しましたのに』
「お前がやると苦くなるだろうが」
 話しながら竜果をかじっていくと、徐々に体中に魔力が満ちていく。先程消費した分には足りないが、その分は他から吸い取ればいいので問題ない。幸いここはルゴラン湖、湖からいくらでも魔力を吸える。
「よし、次いくぞ!」

 朝から始めた島の造成は昼過ぎには完了し、更に細かい整地も夕方には完了した。夜には宴会をしようという話になり、リーナも参加することを許された。
「マジで陛下はすげえな。あんな大規模術式を連発なんざ、普通無理だって神官達もビビってたぜ」
「あれはマジで面白かったわ。ところでさ、ロンディって何? 近くにいた竜達がロンディがどうたらってよく言ってたんだけど」
「ああ、それロン系の皇帝の呼び名だよ。本人の形態によって大まかな分類があるんだけど」
「思うに神の御業はああやってできたのではと」
「でも、陛下も大陸は流石に作れないって言ってたよ。言っちゃあなんだけど、竜って昔神と戦争して互角に渡り合うくらいだから、いくら神様でも竜にできないことは難しいんじゃ」
「いやでも、千年前と今じゃ魔力素子の濃度も違ってたからその辺が関係あるんじゃ」
「陛下は魔力素子の濃度とか関係ないって聞いたぞ」
「竜果ってやべえな。食べただけであんな速攻で魔力回復とか普通ないだろ! 味はちょっときついけど」
「魔力持ちは竜果食べると結構味がきついらしいね」
「魔力ないやつはおいしく感じるんだけどなあ」
「マジかよ」
 竜と人間が入り混じっての宴会はこの街でも珍しい光景だ。昼間のこともあって、双方それなりに親交を深めているようだ。
 それをぼんやりと眺めつつ、リーナは出された竜果の果汁を飲む。今は意図的に魔力を吸収していない上、竜果の果汁を飲んで得た分も随時魔法を使って発散しているため、ただのジュースといった味に感じる。同じテーブルについているのは儀礼長官のみだ。一応皇帝として参加しているからか、周りから遠巻きにされている。
「儀礼長官は他のテーブルとか行かなくていいのか」
「私も本日は儀礼長官ですので」
 つまり彼も遠巻きにされているのだろう。そういえば序盤はあちこちのテーブルに回っていた。
「いっそ衣装変えて紛れ込むか?」
「ギレーとヘーカを知らない人にもギョッとされるからやめましょう」
「もう何人かにはギョッとされたからいいだろ」
「陛下、暇なのはわかりますがやめましょう。いっそお帰りになりますか?」
「そうだな。これ飲み終わったら帰るか」
「お、なんだ、陛下はもう帰るのか」
 通りかかったヴォルカがそう言って、テーブルにつく。
「俺がいては弾まん話もあるだろう。あと、誘われたから来たが、もしかしたら社交辞令というやつだったのではと今更思っている」
「陛下から話しかけに行ったらどうだ」
「楽しそうに話しているところに水を差すことになるだろう。いくら俺でもそれくらいの気遣いはできる」
「はー、それで一人寂しく竜果酒飲んでんのか」
「これはジュースだ。一応まだ公務中だからな。あと、儀礼長官もいるぞ」
「そんなんだから誰も寄ってこねえんじゃねえの」
「おや、私がいると近寄りがたいですか」
「そうじゃなくて、公務中だからってジュース飲んで明らかに素面なのが悪いんじゃねえのって話だ」
「いや、酒を飲んでも顔は変わらんが」
「陛下はそうだけどな。でもポーズだけでも酒飲んでおけよ。ほら、俺のおすすめだ。人間が作った酒だが、悪くねえぞ」
 そう言って、ヴォルカが持っていた酒瓶をテーブルに置く。確か、西方にある国が作っている酒精の強い酒だ。
「オトクって酒でな、癖があってうまい」
「そうか。このままでいけるのか?」
「ああ」
 ヴォルカが頷いたので、リーナは少し考え、ジュースを飲み干し、グラスに酒を入れた。水色は透明で、酒精の強いにおいが漂う。一口飲んでみると、ヴォルカが好みそうな癖のある味をしている。
「なるほど。まあお前は好きだろうな」
「陛下は苦手なやつだったか」
「好んで飲むものではないな」
「じゃあ、陛下はどんな酒がお好みで?」
 そう言いながらテーブルについたのはダラカだ。
「おや、ハルタ商会ルゴラン支部長殿」
「今は肩書なしってことにしてくれ」
「ではこの席では俺は陛下ではなくヘーカと認識して話してくれ。皇帝陛下は護衛のダラカを知らんからな」
「……わかった。で、好みの酒ってあるのかよ」
「水みたいに癖がないやつか、或いは甘みの強い酒が好きだな」
「甘党だったかお前」
「味覚の話ならなんでもいけるが、竜果はちょっと苦手だな」
「竜果ジュース飲んでるくせに何言ってんだよ」
 ヴォルカが口を挟む。
「竜果は楽しむために魔力を抜かんといけんのがな」
「お、じゃあ今の陛下は激弱ってことか」
 ヴォルカの嬉々とした様子に、リーナはふふと笑みを見せる。途端、ヴォルカが硬直した。
「攻撃しかけた瞬間に相手の魔力を瞬時に抜いて無力化するくらいの余裕はあるぞ。ただ、今ヴォルカから酒をもらったから、手加減を間違えて魔力を吸いすぎるかもしれんな」
「こええよ」
「死にたくはないし、かといって正当防衛をしたのに文句をつけられると面倒だからな。先に言い訳はしておかんと」
「皇帝なのに殺されるのか」
 ダラカがやや深刻な表情になっているのを見て、リーナはおやと思う。
「あれ、知らないのか。この国は皇帝だからこそ、命を狙われるぞ」
「あ? あー、謀略的な感じか」
「いやもっと単純な理由だ。この国の皇帝は最も強い竜がやることになってる。だから、皇帝を倒せば単純に一番強いということになって、その資質を試した後皇帝になるんだよ」
「なんだそれ」
「あ? 当然だろ。一番強い竜なら従うが、弱い竜に従ういわれはない」
 ヴォルカがそう返すと、ダラカはぎょっとする。
「もっと政治面とか気にしてるのかと思ってたぜ。今代の皇帝陛下はそういう面で有能だろ」
「ははは、誉め言葉として素直に受け止めておこう。全部周りがうまく立ち回ってくれた結果だ。皇帝一人ではとても無理だった」
「陛下が号令出したから皆動いたんだろ。もっと自信持とうぜ」
「そうですとも。陛下が指示を出したからこそ、我々も動けたというものです」
「お前らはそうやってすぐ俺を持ち上げる」
 ため息をつきつつ、リーナはオトクに竜果ジュースを注ぐ。それを飲むと、だいぶ癖は緩和された。
「あーあー、お前そういうことを」
「こっちの方が飲みやすくていいぞ」
「そりゃ飲みやすくなるだろうが、そうしたら酔いやすくなるだろう」
「まあな。あと竜果が入ってるから、魔力がないやつ向けか。ダラカも飲んでみるか?」
「お、いいのか」
「ダラカは魔法はあんま使わないんだろ。だったら竜果もそれなりにいけると思う」
「あー、倒れんなよ?」
 ヴォルカはそう言いながら、グラスにオトクを入れ、そこへリーナが竜果ジュースを注ぐ。ダラカは恐る恐るそれを飲み、それからぱっと明るい表情になる。
「お、いいなこれ。甘党のやつとか好きそう」
「ただオトクが入ってるから量は飲むなよ」
「あー、それはそうだな。調子乗ってめちゃくちゃ飲む味だわ」
「あと入っているのが竜果だからな。かなり人を選ぶ味になる。そうだな、ラゴナシとアケトウを混ぜた飲み物とかあっただろ。あれとかを代わりに入れたらいいんじゃないか?」
「アラザンジュースですか。確かにあれなら万人受けしそうですね」
 儀礼長官がそう言いながら、オトクと既に飲んでいた酒を混ぜ始めていた。
「何混ぜてるんだ」
「ラゴナシ酒ですよ。今陛下が言ってたので、いけるかなと」
「いや、ラゴナシ酒は多分」
 こちらが言い切る前に儀礼長官が酒を飲み、それから、渋い顔になった。
「合わないですね」
「ラゴナシ酒も癖が強い部類だろうが」
「いけるかと思ったんですが」
 渋い顔のままちびちび飲んでいる儀礼長官を見て、ダラカがげらげらと笑いだす。
「はっは、ギレーもそんなことするんだな」
「儀礼長官、割と酒に関しては冒険的だよな」
「数少ない趣味ですから」
「マジか、趣味あったのか儀礼長官」
「あれ、酒はそんなにって言ってなかったか?」
 ヴォルカとダラカが驚いている中、儀礼長官は澄ました顔で頷く。
「果実酒は好きですし、積極的に飲みますよ。この街は果実酒が少ないのであまり飲む機会がありませんが」
「じゃあ今度外行った時になんか仕入れてくるか。果実が入ってればなんでもいいのか」
「そうですね」
「ヘーカは好きな銘柄とかないのか? あれば買ってくるが」
「特にはないな。ダラカのおすすめがあれば今度仕入れてくれ。買いに行くから」
「いや、普段世話になってるんだからやるよ」
 ダラカがそう言った途端、儀礼長官があまり見ない驚愕した顔でダラカを見、ヴォルカは目を見張って妙な威圧を始めた。
「え、は? ど、どうしたお二方」
 その様子に只事ではないと察したダラカが二人の顔を交互に見るが、二人ともじっと黙ったままだ。そしてリーナは勿論、ダラカの発言の意味も、二人が驚いた理由も把握していた。
「まずそこの二人。人間は世話になった相手に序列の関係なく物を与える習慣がある。ダラカが言ったのはそういった意味だ。変に勘違いして威圧しないように。次にダラカ、竜相手に物を与えるなんて言わない方がいい。周りにこういう、妙な反応をされるし、相手も場合によっては変な感じになる」
「わ、わかった。そういや、なんかそういう決まりあったな。忘れてたわ」
「ああ、今後は忘れないよう気をつけてくれ。そこの二人も、いい加減その顔やめろ」
「お、おう。びっくりしたわ」
「ひとまず、今のダラカさんの発言は忘れます」
「そうしろそうしろ」
 とは言ったが、儀礼長官とヴォルカはそわそわしているし、ダラカも居心地が悪そうだ。それを見てリーナはため息をつく。
 どこかで、この街の人間向けに竜の生態講座でもした方がいいかもしれない。
 そう思いつつ、場の空気を変えるため、リーナは三人にあれこれと話を振ることにした。

 整地をしてから半年後、ルゴラン湖に浮かぶ島嶼には様々な様式の教会や寺院などの宗教施設が建てられた。それぞれ建物が完成し、内部である程度生活ができるようになった頃、リーナは各宗教の代表を集めた。
「さて、集まってもらったのは他でもない。一つ、どこの宗教のものでもない島があったと思うが、今度そこにとある施設を建てようと思っている。そしてそこへの人員の募集を貴殿らにお願いしたい」
「陛下、人員募集を我々に頼むということは、世界各地から集める必要があるということでしょうか」
 とある司祭の言葉にその通りだと頷く。
「人間の風習で、貴族などの位の高い者が罪を犯した時、宗教施設に入れるという刑罰があると聞いた。そのための施設を作ろうかと思っているんだ。と言っても、入れるのは我が国の者ではない。他の国の罪人を入れるための施設だ」
「確かに、私の国にもそういった方式を取ることがありますが、しかし、それであればその国の修道院だけで解決する話で」
「まあ普通はな。だが、人間の中にも高魔力を持つ、あるいは高威力の魔法を使うから、通常の人間では抑えきれないという者もいるだろう。そういったものをうちで一括で面倒を見てやるという話だ」
 すると、この場に集まった代表者達は一斉にざわめく。
「……それは、つまり、我々では手に負えない者を更生すると?」
「更生できるかは本人次第だろうが、まあ手は尽くす。お前達からすれば、脱走や施設の破壊などの心配はなくなるし、何なら手に負えない者を引き取るということでそれなりの功績にもなるんじゃないか?」
「確かにそれは考えられることですが、しかし、陛下やこの国にとっての利点はあるのでしょうか」
「あるとも。他国に恩を売れるし、牽制にもなる」
「国の厄介者を引き取っていただくという恩と、もし攻めればその厄介者でもって反撃されるかもしれないという牽制ですか」
「まあそんなところだ。他にも利点はあるが、そっちについては試験運用的な面が強いからここでは控えさせてもらおう。それで、どうだ? 集めてきてもらえるか」
「構いませんが、運営方法と管理者、それに宗教上の生活様式の違いはどのようにするおつもりで」
 その質問に、リーナは問題ないと頷き、事前に用意した設計図を見せる。
「まず運営方法と管理者だが、代表は俺、運営自体は俺の親族やこの街の知己に頼む予定だ。次に生活様式の違いだが、建物内に各宗教ごとにエリアを区切った場所と、共用で使える場所を設ける予定だ。また他の島と同様の移動手段を置く予定だが、移動する際には竜を同行させる。これは対象の監視といざという時に動きを封じるためのもので、竜の同行なしに島を出ることはできないようにするつもりだ。この竜については俺の方で選定したものを島に置く」
「複数人が外に出たいと言った場合は?」
「一人につき一頭をつけるつもりだが、もし何らかの問題があってそれができない場合は、外出自体を制限する。と言っても、この辺は実際に運用してみて不具合があれば随時変えていく予定だが」
「なるほど。この場合、その修道院についてなんと説明すればよいでしょうか」
「国内では手が余る問題児はカリバーンの修道院に送ってくれればいいというだけでいい。それだけで大体は厄介払いができると喜ぶだろうし、しかも悪名高いカリバーン行きというだけで色々余計な想像をしてくれるはずだ」
「詳細を聞かれた場合は?」
「その辺については各々に任せてもいいと思ってるが、国としてはどうなんだって言われたら、皇帝が悪い人間のサンプルを集めているとでも言っておいてくれ」
「それはそれで、また色々誤解されそうですが」
「竜というのはもとより人間に誤解されやすい種族だ。問題はないだろ。精々悪評が一つ追加されるくらいだ。それが原因で戦争を仕掛けられても、返り討ちにできるしな」
 にやりと笑うと、司祭達はびくりと体を震わせ、怯えた様子を見せる。
「ま、戦争まではいかないと思うがな。俺だって今の時代で国を滅ぼすなんてやりたくないし。ひとまず、持て余してる罪人をカリバーンで預かってくれるらしいという話を本部に伝えてくれればそれでいい。もし詳細を詰めたいということなら、また個別で相談してくれ。ただ特別対応はできないから、個別相談で決まったことは他の宗教にも適応されるということは覚えておいてくれ」

 それから数年。
 その間、カリバーン僧院と呼ばれる施設には次々と各国の罪人を受け入れていった。中には元王族、元凶悪犯罪者なども含まれていたが、それらも問題なく受け入れていった。多少暴れたとしても竜の力には敵わず、それでも反抗的であればリーナ自ら力で押さえつけたので、最終的には僧院での生活を受け入れるようになる。生活を受け入れたとしても更生しない、する気がない者はいたが、それについては竜の中に放り込めば解決した。案外そちらの方がうまくいくこともあり、更生プログラムの一環として組み込むことになってしまった。更生した者は祖国に戻ることもあったが、多くはカリバーンにそのまま留まり、中には国内の人間や竜と番になることもあった。
「まあ、総合的に見ればうまくいった、か?」
 ここまでの報告書を見て、リーナは儀礼長官に声をかける。
「そうですね。各家の者からも、僧院での仕事や滞在受け入れは好評のようです。主にお見合いとして」
「……当初の目的からすれば間違ってはないな。人間には漏らすなよ」
「人間側へは、異文化交流として好評だと伝えています」
「そうだな、それが無難だな。懸念があるとすれば、出て行かない奴らか」
 最近問題になっているのはそれだった。更生したと見られる者、或いは来た当初から更生する必要がなさそうな者が数名いるのだが、彼らが一向に出て行こうとしないのだ。話を聞いても、どうにも曖昧に濁されるという。
「こうなっては人間のスタッフとして雇うしかないのでは?」
「その前に面接かな。最近ジッテの件で動いてたから、僧院に行ってないし」
「ではそのように連絡をしましょう」
「いや、口裏あわされると面倒だから知らせるな」
「管理長にだけは伝えましょう。いきなり陛下がやってきては、彼女の体調が崩れます」
「レティにはくれぐれも口止めをしておけよ」
 頷いて、儀礼長官が連絡をしに行くのを見送りつつ、リーナは改めて報告書を見る。
 僧院を出て行こうとしない者達は、経歴はそれぞれで違うが、よく見ればとある共通項が出てくる。ただ、その共通項を見抜けるのはリーナくらいだ。つまり、前世の記憶を持つ者だ。それも行動から考えると、この世界ではなく別の世界の記憶があると思われる。ただそれだけならば放っておくが、問題は彼らがこの世界に来た理由だ。神が関わっていることは間違いない。別の世界の魂をこの世界に記憶付きで持ち込むなど、それこそ神くらいしかいない。その神がどういった理由で魂を送り込んでいるか、場合によっては新たな火種になる。
「面倒だな。竜と神の戦争がまた始まるとかはごめんだぞ」
 ため息をつきつつ、リーナは報告書を置き、別件の報告書を読み始めた。

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