リバウンド7

付き合うことになった女と旅行に行くことにしました。

 センリという女と付き合うようになったものの、かといって特に生活に変化があったわけではなかった。強いていうならば、木曜の朝に女の来週の予定が送られてくるようになった、それだけだ。不思議なことに、センリという女は休みだからデートに行こうだとか、家に遊びに行っていいかという話は一切してこなかった。センリを百貨店に連れて行った日に本人が言っていたが、特に積極的に外に出るタイプではないのだという。だから、誠治が用があれば呼べばいいし、都合が悪ければ特に構う必要もないのだと、そう言っていた。誠治はその言葉に甘え、それから気が向けばセンリを呼び出し、庭いじりを手伝わせたりしていた。本人もそれに不平を言うことはなかったので、それでいいのだろうと思っていた。
 しかし、それではだめだと力説する男がいる。
「だめだよそれじゃあ! もっと二人で色んなとこ行って、思い出とか思い出とかいっぱい作らないと!」
 浅田正彦、誠治の同僚である。歳は確か誠治より二つか三つ下という話だが、入社の時期が同じだったせいか、よく話しかけられそれに応じる間柄だ。真っ当に女と付き合い結婚することを夢見ている割に、割と頻繁に付き合っている相手が変わる。別の同僚によると、顔はいいし性格もいいのだが、結婚相手とするには誠実さが足りないように思われがちとのことだったが、誠治としてはどうでもいいことだ。
 そんな男にうっかり付き合っている女、つまりセンリのことを話したらこう言われてしまったわけだ。
「別に思い出作る必要はないだろ」
「でもあった方があとで話題にもできるし、何より彼女さん喜ぶよ?」
 そう言われ、あの女が喜ぶ様を想像してみるが、いまいちできない。というか、あの女がそこまで喜ぶ姿を見た記憶がない。いや、隠居とか呼ぶ幼馴染のプレゼントを探した時は喜んでいたような。しかしそれはこの男のいう喜ぶとは方向性が違うか。いずれにせよ、誠治がやったことであの女が喜ぶというのは想像できない。
「そうか?」
 それは疑わしいのだがといった意味で訊ねたのだが、男は勿論だと頷く。
「絶対喜ぶって! メールで行きたい場所とか訊いてみなよ!」
 この男はあの女がどういった人間か知らないからこういったことが言えるのだろう。誠治は今訊けと言わんばかりの男に呆れつつ、携帯電話を取り出す。履歴の五番目に載っている番号を選択し、電話をかけると、三つコールが鳴った辺りでぶつりと音がした。センリの声と共に騒々しい環境音が耳に入る。
『小山田さん?』
「今いいか?」
『え、あー、五分後にかけ直していい?』
「すぐ済む用事だ。どこか行きたい場所とかあるか?」
『何それ。今度どっか連れてってくれるの?』
「無理がない場所であればな」
『あー、じゃあどこがいいかなあ。フロリダとかどう?』
「少し無理だな。時間が取れない」
『そこ予算的な問題じゃないところがあんたらしいよね』
「で、どっかないか。遊園地とか映画とか」
 自分で言って少し無理があるな、それらを選択されたらどうしようと考えたが、彼女は「そんな騒がしいところはちょっと」と応えた。
『今のお仕事ちょっとハードだから、ゆっくりできる場所がいいな。小山田さん近場でそういう場所知らない?』
「近場というと、日帰りできる距離か?」
『あー、まあ、電車で片道三時間以内くらいとかその辺で』
 そう言われ少し考えてみる。それくらいの時間に行ける場所で、ゆっくりできるところ。
「……温泉とかなら」
『お、いいね。日程決めたら早めに連絡して。そこにあわせて連休もぎ取るから』
「そうか。じゃあまたな」
『うん、じゃあねー』
 電話を切り、誠治は首を傾げた。
「彼女さん、温泉行きたいって?」
「ゆっくりできればどこでもいいらしいぞ」
「でもよかったじゃん。これできっと喜ぶよ! そうだ、小山田さん有給使えって古沼さんに言われてたじゃん! 近々有休取って、ちょっと長めのお休みとか取ったらいいんじゃない? それがいいよ!」
 浅田正彦が騒いでいる中、誠治は先程の電話の向こうで聞こえた悲鳴や爆発音のようなものはなんだったのだろうかと、しきりに考えていた。

 二週間後。駅で待ち合わせをしていたのだが、センリは三十分ほど遅れて来た。
「小山田さん遅れてごめんね!」
「どうかしたのか?」
「上司の電話に掴まっちゃってさ」
「例のご隠居か?」
「だったらまだいいんだけどね。ところで電車行っちゃったよね」
 ごまかされた気はするが、話したくないなら聞かないでおこう。
 そう思いつつ、いやと首を振る。
「電車じゃないから、心配しなくていい」
「へ?」
「免許は持ってきてるな?」
「危険物の?」
 返ってきた言葉に、顔をしかめてしまった。時折だが、この女はこういったずれた返答をしてくる。
「なんでそうなる。運転の免許だ。船舶とかじゃなく、車の」
「ああ、それなら持ってきてるよ。身分証明書だし」
「そうか。なら行くぞ」
「どこに?」
「こっちだ」
 センリの荷物を持ち、駅を出る。すると、センリは慌てたように誠治の手を取る。
「小山田さんいいよ、自分で持つし」
「こっちだ」
「荷物返してよー」
 困ったような声が少し楽しくて、そのまま移動する。
「ねえ重いでしょ。荷物返して」
「重いものなら尚更俺が持った方がいいだろうが」
 とは言ったが、そこまで重くはない。かつて持った姉のスーツケースの方がよほど重たかった。
「そんな彼氏らしいことしなくて大丈夫だよ」
「いいから来い」
 そういったやりとりをしながら歩いていると、やがて諦めたのか、センリはため息をつく。
「はぁい」
 若干ふてくされたような口調ではあったが、ようやく大人しくついてくるようになったようだ。ただ、それでもまだ誠治の手に触れたままだ。そこを指摘するか逡巡したが、十歩歩いたところで考えるのはやめた。
 駅から少し歩き、レンタカーショップに来ると、センリはそういうこととつぶやいた。
「車なんだ」
「ああ」
 手続きを済ませて車に乗ると、センリは納得がいかないという表情をしながら助手席に座る。車を発進させてからもそれは変わりなく、誠治は今更ながら彼女は車が嫌いなのだろうかと考えた。そうであったなら今からでも電車に変更するか、いやその前に訊く方がいいか。信号が赤になり、ブレーキを踏むのと同時に、誠治は口を開いた。
「どうかしたのか」
「大したことじゃないよ。少なくとも、車が嫌いとか車酔いするとかいう可愛らしいものじゃない」
「だったら何が不満なんだ」
 訊ねると、センリは首を振る。
「不満とかじゃないよ。なんっていうか、腑に落ちないっていうか」
「何がだ」
「あんたのことだから、レンタカーにしてもでかい車か、そうでなくてもごっつい車とか予約してるのかなあって思って」
 なるほど、センリは誠治が軽自動車など選ぶはずがないと、そう考えていたようだ。
 信号が青になったので、車を発進させつつ、息をついた。
「二人しか乗らないからこれくらいでいいだろ。今回は買い物ってわけじゃねえし」
「買い物だと大きい車両選ぶんだ」
「お前はそんなに買わない主義か?」
「大きなものは引っ越しの時以来買ってないよ。必要性も感じないし」
「服は?」
「昔は両手いっぱい抱えてとかやったけど、今はそんなでもないかなあ。友達と遊ぶ時とデートする時以外は着飾る必要もないし、会社行ったら制服あるから大体Tシャツジーンズで事足りるし」
「そんなものか」
「仕事柄引っ越しが多いから、物いっぱい持ってても邪魔くさいもん」
 ふと、誠治はセンリの職業を知らないことに気付いた。ここまで彼女も何も話していなかったし、誠治も必要性を感じていなかったので訊ねたことはなかった。
 この機会に聞くのもいいかもしれない。
「そんなに頻繁に引っ越すのか?」
「昔は三ヶ月で引っ越しとかざらにあったよ。今は長期ばっかだから、引っ越しは年単位だけど」
「長期? 契約社員とかなのか」
「まあそんなもんだと思ってくれれば。あ、安心してよ。今のところ、来年までこっちにいる予定だから」
「そうか」
 詳しく聞こうとしたところで、歩道に花束が置いてあるのが見えた。
「ああ、交通事故かな。かわいそうに」
 センリのその言葉が聞こえて、誠治は不意に何かが頭をよぎる。

 □□□様の運転する車に乗ることになるとは
 俺はお前を乗せて運転するの、楽しみにしてたんだぜ
 事故だけは気をつけてください
 わかってるって。お前は俺を誰だと思ってるんだよ

「小山田さん?」
 声をかけられ、誠治は我に返る。見ると、いつの間にかサービスエリアにいる。
「あ?」
「やっぱり具合悪いんでしょ。さっきからぼーっとしてるし、サービスエリア入ろうって言ったときもなんか上の空だし」
「そう、かもな」
 上の空だったのは事実かもしれない。現にセンリにサービスエリアに入ろうと言われた記憶はないのだ。だが、別段体調は悪くないはずだが。
「どうする? キャンセルして帰る?」
「いや、別に平気だ」
「でも事故起こされちゃたまんないから、運転は変わるよ」
 確かに、今のようなことがまたあると、今度は事故を起こすかもしれない。それは避けるべきだろう。
「そうだな。悪いが頼む」
「うん、任せて。でもその前に、お手洗い行ってくるね。何か飲み物とかいる?」
「いや、いい」
「わかった。行ってきます」
 センリが車から出た後、誠治は助手席に移る。
 待っている間、先程脳裏をよぎった何かを思い出す。誰かと誠治が車に乗って、どこかに行くという場面のようだったが、誠治にはそんな記憶はない。そもそも、誰かと出掛けるのすら、これが初めてのはずだ。それなのに、あんな記憶。
「小山田さん、寝てなよ」
 その声が聞こえると同時、誠治は一度目を閉じた。

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