追放者達のオムニバス:黄薔薇の棘

とある国のとあるご令嬢の物語が終わり、竜の国の修道院に入った者の本当の人生が始まる話。
要するに番外編みたいなものだけど、皇帝陛下はちゃんと出ます。

 ミカエラ・フォンテーヌは驚愕していた。シミュレーションRPG『薔薇のごとく恋せよ乙女〜黄薔薇の庭〜』の世界に転生し、しかも作中最も不人気のライバルキャラであるミカエラ・フォンテーヌとして生を受けたと知り早十四年。ここまで順調にストーリーを進め、ついでに追放後の生活に向けて小銭を稼いで貯金をし、予定通り国を追われることになった。ここまではよかった。
 しかし、その行き先が問題だった。
「ミカエラ・フォンテーヌ、そなたにはカリバーンの修道院に行ってもらう」
「カリバーン?」
「ああ。竜の国だ」
 そこまで聞いて、ようやくどこのことかミカエラは把握した。世界の最果てにある、竜が住み、また竜が統治する国、旗竜帝国カリバーン。人間が住む場所ではないと言われ、行けば竜に喰われるともっぱらの噂になっている国だ。
 あの国に修道院があるなど聞いたことはない。つまりこれは、実質死刑では?
 そう思いいたり、ミカエラは血の気が引く。
「そ、そんな。陛下、何卒お許しを!」
 生まれて初めて心からの嘆願をしてしまうほど、ミカエラには衝撃的だった。
「すまんな。私もそこまではと思ったのだが、何しろそなたは強大な魔法使いでもある。そのそなたを修道院にやるのはいいとして、そのまま生かすにはカリバーンへ送るほかないのだ。あそこならば、強力な魔法使いであろうと更生させるという話だ」
「国内ではだめだと」
「国内の修道院に送るとなると、お前の魔力を封じねばならん。その力は封じるよりも、生かすべきものだ。であれば、生かせる場所に送る方がよかろうと」
「そうですか」
 つまり、追放後の生活に備えてレベル上げをしていたのが問題だったようだ。最後に頼れるのは己の力と努力をしていたのは間違いだったのだ。
 また、努力に裏切られたのか。
 呆然とそう思いつつ、ミカエラは国の決定に従うことにした。

 ミカエラ・フォンテーヌは前世では陸上の選手をしていた。中でも短距離、中距離走を得意としていて、より速くなるため、日々努力をしていた。しかし、最終的にその努力によって体を壊し、走れなくなってしまった。当時はそれがあまりにつらく、引きこもりになるほどだったが、ある時友人から勧められたゲームをやり、それに見事にはまった。それが『薔薇のごとく恋せよ乙女』通称『バラオト』シリーズの第三作『薔薇のごとく恋せよ乙女〜黄薔薇の庭〜』だった。仲間と共にダンジョンを攻略しつつ、サブで畑作や酪農が楽しめるというものだが、彼女はそのサブ要素である畑作や酪農にはまっていた。勿論ストーリーも楽しんでいたが、何より努力すればするほど収穫物の質が良くなるといったところを気に入っていた。
 努力の結果彼女にとっての全てが失われたという傷が、努力が評価されるゲームによって回復していったのだ。
 引きこもりだった彼女は、ゲームをクリアした後社会復帰し、近所のスポーツジムで働くようになった。そこで事務の仕事をしつつ、トレーナーの資格を取る勉強をしていたのだが、ある日事故で階段から落ち、その日はなんともなかったが、翌日ジムで倒れて以降の記憶がないので、恐らくそこで死んだのだろうと本人は思っている。
 そうして、次に目覚めた時にはミカエラ・フォンテーヌ三歳となっていた。気がついた時にはかなり驚いたし、戸惑ったものだが、色々考えた結果、ミカエラとして生きること、またストーリー通りに振る舞おうと決意した。
 ゲームに登場するミカエラ・フォンテーヌは、ダンジョンの近くにある宿屋によく現れるお忍びの令嬢で、そこで主人公に便利な回復アイテムなどをよくくれる、一見お助けキャラのように見える。しかし、何度か彼女からアイテムをもらうと、主人公に「あれを取ってきなさい」「これが欲しいの」と依頼をし、手に入れたものを意中の相手にプレゼントしたり、自らの功績として報告したりする。しかも彼女の依頼で出てくるボスモンスターは通常のものよりやや強くなり、特殊ギミックも使うのでかなり面倒だ。ドロップアイテムはその分レアなものが多いが、労力に見合わないとよく言われている。そんな彼女とライバル関係になった場合、最終局面で彼女の功績が主人公によるものだと判明し、虚偽報告を問われ、彼女は精神修行と奉仕のためという名目で国内の修道院に入れられることになる。また、別のルートでは彼女がダンジョンコアに魅入られ、結果ダンジョンの主となり、それを倒すイベントも発生するが、その際に強力な魔法でプレイヤーを苦しめる。彼女の性格と彼女が関わるストーリーによって、『黄薔薇の庭』の中では最も人気が低いキャラクターである。
 ミカエラとしては、ダンジョンに潜らなければ修道院に入るだけなので、それならば下手にストーリー改変などしてしまうより、そのまま流れに乗った方がいいだろうと判断したのだ。ただ、修道院について調査し、必要になりそうな資金調達をし、修道院を出ることができた時のため、魔法の腕を磨いたりとしていた。
 ただ、その努力のせいで、修道院は修道院でも、国外の修道院に送られることになるとは思わなかったが。

 馬車に揺られながら、ミカエラは絶望していた。
「まさかまた努力に裏切られるなんて」
 ぽつりとこぼす。馬車の中にはミカエラしかいないので、誰かに聞き咎められることはない。
「どうしよう。竜の国なんて、私、生きていけるかしら」
 馬車に乗る前も散々考えたことだ。しかし、そもそもミカエラ本人は竜の国というものを知らない。竜がいること、そして竜が国を治めていること、この二つしか伝わっていないのだ。修道院があることすら初耳だ。
 国王によると、近年他国と交流を始め、その一環で修道院を建てたという話だった。王族や貴族の内、その力を封じることが難しい者を預かろうと国外に喧伝しているらしく、その話が今回ミカエラの処遇に困っていた国王の耳に入ったとのことだった。カリバーンとは国交もない状態だったが、断られる前提で書簡を送ったところ、先方からすんなり了承の返事が来た。それどころか、ある場所まで当人を移送してくれれば、あとの移送は請け負うという話までついていたので、国王はそのまま話を進め、そうして今、その合流地点に向かう馬車にミカエラはいる。
 合流地点は国境にほど近い、ガノルダンという村だった。近くにダンジョンはなく、寧ろ隣国に近いために土地が豊かで、この国では珍しく、農業だけで暮らしていけるという村だったはずだ。カリバーンに行くにはそのガノルダンの向こうにある隣国から更に国を二つ越え、最後に海を越える必要がある。それなのに、合流場所がガノルダンでいいのだろうか。
 考えている間に着いたのだろう。馬車が止まり、扉が開いた。
「ミカエラ様、到着いたしました」
 実家からついてきてくれた使用人マイクの言葉に、ミカエラは細く息をつき、馬車を降りた。
 そこは教会の前だった。教会は高台にあるようで、少し下がったところに広大な畑がある。畑に植えられた野菜や穀物らしき植物は青々と茂り、その葉が風に揺られているのがよく見えた。
 教会の前には、この国で最も信仰されてるヨマリア教の司祭服を着た頭部中央を剃り落とす独特な髪型の男と、冒険者風の装備を着た刈り上げ頭の男、南方の商人のような格好をした目つきの悪い細身の男が待っていた。こちらを見るなり、細身の男が一歩踏み出し、少し笑みを浮かべる。
「地下よりの魔境拡大を食い止めし鉄封の国ダーインが一柱フォンテーヌ公爵家ご息女、ミカエラ様でよろしいでしょうか」
 丁寧な言葉、しかも古い儀式以外では誰も使わない正統古称で呼ばれ、ミカエラはかなり驚いた。
「は、はい。えっと、あなたは、その、カリバーンの方でよろしいでしょうか」
 その動揺がそのまま声に出てしまったが、相手は特にそれに表情を変えることなく、はいと頷く。
「旗竜帝国カリバーンより参りました、ロンディと申します」
「ロンディ様」
「どうぞお気軽にロンディと。この度は特に強大な魔力をお持ちの方という話だったので、直接お迎えにあがらせていただきました」
「そうなのですか。その、これからどうぞよろしくお願いします」
 ダーイン式の礼の形、右手の指先を額に当てた状態で軽く頭を下げると、ロンディは少し驚いた様子だった。
「ええ、こちらこそよろしくお願いします。それでは、教会内でこれからの旅についてお話させていただきますね」
「はい」
「ちなみに、従者はつくのでしょうか」
 そう言ってロンディは、馬車の傍にいるマイクを見る。
「いえ、彼はここまでの御者です」
「そうですか。彼にはここで帰っていただきましょう。よろしいですか?」
「はい」
「ではお別れなどありましたら」
 頷き、ミカエラはマイクの方を向く。彼は少し不安そうな表情だ。
「ミカエラ様」
「マイク、幼い頃の私の遊び相手から始まって、今日までありがとう。以後お父様達をよろしくね」
「私は、命じていただければどこへでもついていきます」
「ありがとう。でもね、私が行くのは修道院だから、男であるあなたは入れないはずよ」
 ちらりとロンディを見ると、彼は少し考える素振りを見せた後に頷いた。
「問題が起こると困るので男女は分けていますし、対象者以外は僧院には入れないので、ついてきたとしても近くの街に住むことになるかと」
「ほらね。だから、あなたとはここでお別れ。それに、お父様にも戻るよう言われているでしょう? あと、メイのこともあるし」
 こちらの言葉にマイクは少し俯き、ぐっと口をつぐむ。
「本当に、ありがとう。メイにも伝えておいて。それじゃあ、さよなら」
「……いつか、旦那様から許しを得たら、メイと二人で行きます」
「もし本気でカリバーンに行きたいのであれば、ここの司祭殿に依頼してください」
 すかさずロンディがそう言う。それにマイクはこくりと頷き、馬車に乗って来た道を引き返していった。
 それを見送り、いよいよ本当に一人なのかと、こみ上げてくるものがある。
「ミカエラ様、もし気持ちの整理をしたいのであれば、少し待ちますが」
「いえ、大丈夫です。説明をお願いします」
 こみ上げてきたものをぐっと飲み込み、踵を返し、教会の中に入る。
 教会の中はヨマリア教のものにしては質素だった。ヨマリア教は天に無理矢理帰されたヨマル神に信仰が絶えていないこと、ヨマル神が天にあっても人々が幸福であることを示すため、華美な装飾を施されていることが多い。だが、この教会は複雑な木彫りの装飾はあるものの、彩色はされておらず、そのため一目見ただけでは随分質素に見える。
「さ、こちらへどうぞ」
 司祭に声をかけられ、ミカエラは案内された席に座る。その正面にロンディが座った。
「さて、人目もなくなったことだし、ここからは君を僧院入所者として扱わせてもらうが構わないか?」
 口調も変わったのを聞き、ミカエラは知らず背筋を伸ばす。
「は、はい。ロンディ様」
「さっきも言ったが敬称は必要ない。実はロンディという呼び名自体が一種の敬称でな。まあこの辺は僧院に入ってから説明があるから」
「わかりました」
「では、これからの予定を話す前に、確認をさせてもらう」
「確認ですか」
「ああ。まあ入国審査のようなものと思ってくれ。正直に答えてくれれば問題はない。ただ、嘘をついたらその時は恐ろしい目にあうから注意するように」
 最後の言葉と共に、ロンディから威圧のようなものを感じ、ミカエラは体が震えそうになる。しかし、その震えを抑えながらも頷くと、ロンディは満足気に頷いた。
「では確認作業からだな。まず、君はこの国で罪を犯した。これに間違いはないか?」
「はい」
「君はこの国で高貴なる者に連なる者か?」
「はい」
「君は国が定めた判決を受け入れ、竜の国へ向かうか?」
「……はい」
「今間が空いたのは?」
「その、修道院行きということには納得しています。そうであるべきだと。でも、行くのがカリバーンの修道院というのは予想外で、そこはまだ、受け入れかねています。国内の修道院がいいと思っていたので」
「ふ、残念ながら君の企みはうまくいかなかったようだな。だが、カリバーンは恐らく君が想像しているような国ではない。これは行けばわかることだ」
「あの、率直なことを聞いても?」
「何だ」
「人間が竜の国に住んでも、大丈夫なのですか」
「それは問題ない。ここにいる男、ダラカは実際にカリバーンに住んでいるし、人間が多く住む街もある。ただいくつか気をつけた方がいいことはある。最も守るべきことは、信仰については竜の前では話さない方がいいってことだ。理由はわかるか?」
「神と竜が昔争っていたから、ですか」
「その通り。知っているだろうが、竜は長命だ。そのせいで、時間間隔が人間とは大幅に違う。お前達人間にとっては何百年も前と思うだろうが、竜にとってはたった数百年前くらいの感覚、人間時間に換算すると二十年か三十年前くらいの感覚かな、それくらいの時間しか経ってない。だから未だに神と争った記憶のある竜が多くいるし、大体その争いにはいい思い出がないからな」
「でも修道院はあるのですよね」
「そこは色々あってな。地域を限定して開放している。その辺の詳しいことも僧院で学んでくれ」
「わかりました」
「確認に戻らせてもらうが、君は僧院で問題ないと認められた場合、この国に帰りたいと思うか?」
 それは難しい質問だった。
 本当のところを言えば、帰っていいのならば帰りたい。この国には家族がいる。自分の副業を手伝ってくれた仲間がいる。数は少ないが学友もいる。それらと永劫離れ離れになるのはとてもつらいことだ。しかし、自分が罪を犯したことは確かで、それを償うための行為をしなければならない。
「償うためというなら、それこそ更生した後は自国に帰り、自国のために働くことこそが償いになると思うぞ」
 ロンディの言葉にはたと顔をあげる。
「君は償うために判決を受け入れたのか? それとも、判決を受けてそうするしかないと思ってここにいるのか?」
「……どちらかといえば、後者かもしれません」
「では君は、国が命じれば帰国する?」
「そうかもしれません」
「その理由が、君を強大な魔法使い、すなわち兵力としてのものだとしても?」
「それを、国王陛下がお望みになるのでしたら」
「国王に命じられるまま、人を殺すこともいとわない?」
 その言葉に、あることが脳裏をよぎる。昨今、周辺国できな臭い動きがあると商人達が話していた。ダンジョンを金のなる木と見ている者がいる、強大な冒険者を自国に引き入れたい、単純にダーインの広大な領地の一部を切り取りたい、思惑は様々だ。それを受け、国の中枢では日々対策を話し合っているということも父親の言葉の節々から察せられる。最悪戦争になるかもしれないと、一部の者は思っている。そしてもしそうなれば、恐らくミカエラは呼び戻されるだろう。ミカエラが強大な魔法使いであるがゆえに。
「私は」
「国に帰りたいかどうかっていうのはな、そういったことを要請された時、素直に引き渡すかどうかを予め決めておくためのものだ。即刻帰りたいとか、許されるなら故郷で罪を償いたいとか、そういったことを思っているのなら、本人の意向だからと引き渡すことにしている。でもそうでないなら、とても使い物にはならないと虚偽の報告をするつもりだ」
「そのようなことをして、良いのですか?」
「この世に竜の決定にケチつけて無事でいられるのは神くらいだ。その神も既に長らく人の生きる階層にいない」
 その言葉はなんとも返しづらい。
「だから、君は好きに選べ。我々はその決定を尊重する」
「……私、これまでずっと、選んではいけないのだと思っていました」
「君のこれまでの振る舞いは、君が望んでやったことではないと?」
「そうですね。本当は、メアリーさんに難しい依頼をして、その功績を掠め取るなんてしたくなかった。あの日々を楽しいと思ったことは一度とてありません。でも、その、私はそうしないといけないと思っていました。それがミカエラ・フォンテーヌだからと、そう思って、これまで行動してきました。でも、そうですね、これからはしたいことを、好きなことを選んでいいんですよね」
「ああ。君はカリバーンでただの人間として生きることになる。少なくとも、フォンテーヌ家という縛りはなくなるな」
「そうですよね」
 そう言われて改めて考える。果たして自分が、命じられたからと言って人殺しをできるかどうか。
「……人を殺すのは、嫌ですね」
「そうか。であれば、兵器として望まれているようであれば拒否をしておこう。ただ、それ以外のことであれば一度君に確認を取る。なに、今全てを決めなくていい。カリバーンで暮らす内に気が変わることもあるだろうしな」
「はい。お気遣い感謝いたします」
「感謝されるほどのことでもない。これが俺の仕事だからな。さて、最低限確認しておきたいのはこれくらいかな。これからの予定を話すつもりだが、ここまでで聞いておきたいことは?」
「ありません」
「何か気になることがあれば、随時聞いてくれ。まずこの後だが、移動は二時間ほど歩けば終わる予定だ。生憎馬車とかは用意していないんだが、大丈夫そうか?」
「途中休憩を挟んでいただければ、歩けると思いますが、二時間で着くのですか?」
「少し秘密があってな。それについてはカリバーンに着いてから説明しよう」
「わかりました」
「カリバーンに着いた後は馬車で移動して、ルゴランという街に向かう。この移動は大体一時間もしない程度だな。馬車は荷馬車だから普段君が使っているものよりだいぶ品質が落ちるが、そこは我慢してくれ」
 こくりと頷く。
「ルゴランに着いたら街の宿で一泊。僧院へ入る手続きは明日の昼以降になるから、それまでゆっくり休んでくれて構わない。ただ身の回りのことは自分でやってもらうことになるが」
「はい、大丈夫です。一通りできますので」
「そうか。ルゴランでは人間の女性の護衛がつくから、何かあれば彼女に言ってくれ」
「はい」
「僧院での手続きは諸注意を確認して書類にサインをするだけだ。時間としては二時間もかからんだろうとは思うから、何事もなければ明日の夕方から僧院での生活がスタートすることになる。ここまでで確認したいことは?」
「いえ、ありません。道中よろしくお願いいたします」
「では出発するか。司祭殿、場所の提供感謝する」
「偉大なるロンディに協力するのは当然のことですから」
 司祭の言葉にミカエラが驚いている中、ロンディは苦笑している。
「それ、外では隠せよ」
「勿論ですとも」
「任期までは引き続き頼んだぞ。さ、行こう」
 促され、ミカエラはロンディと共に席を立ち、外に向かう。しかし、何やら外が騒がしいと気付く。
「なんだ?」
 ロンディも訝しみつつ、戸を開く。すると、外には見覚えのある男達と、彼らに引きずられるようにして連れてこられているマイクの姿があった。
「マイク!」
 声をあげて駆け寄ろうとしたが、ダラカと呼ばれていた男に止められる。そして、ロンディが一歩前に出た。
「これはどういうことでしょうか」
「貴殿が竜の国からの使者か。そこにいるミカエラ・フォンテーヌを引き渡してもらいたい」
 途端、ロンディの周囲の魔力がピリッとざわつくのがミカエラにはわかった。もしかしたら何らかの魔法を使ったのかもしれない。
「要望を言う前に、お前達の所属を名乗るべきでは?」
「失礼した。俺はこの国の第二王子ヨハン。そこにいるミカエラの元婚約者だ」
「旗竜帝国カリバーンの使者ロンディだ。元婚約者殿が引き渡しを申し出るとは、一体どのようなご用件でしょうか。それと、この引き渡しは国王もご存知で?」
「父上は知らん。だが、俺は救国の乙女メアリーの憂いを取り除くため、ここに来た」
「ほほう。つまり、個人的な理由でミカエラ殿の身柄引き渡しを要求していると?」
「大局的に見ればそうなるが、しかしその女は将来的に国の害となる。ならばここで殺した方が、我が国のためだ!」
「救国の乙女とやらがそう言ったと」
「メアリーは、将来また敵として立ちふさがったらと心配していた程度だ。だが俺は、その女の性格の悪さを知っている。いずれ修道院など脱走し、この国に帰ってきて復讐をするに違いない」
「おや、では貴殿は、竜がたかが人間の小娘に敗北すると、そうおっしゃっているわけですか」
 ロンディの言葉を聞いてか、ダラカがミカエラをもう一歩下がらせる。
「あの」
「ガチでキレそうな気配がするから、少し下がってろ。教会の中なら安全なはずだ。司祭殿、結界の準備を」
「承知した」
「しかし、このままでは大変なことに」
「いや、外交上ではもう充分大変なことになってるから、あんたが心配しても仕方ねえ」
「あくまで貴殿がその女を庇い立てすると言うなら、使者といえど容赦はしない! この宝剣ヨマルドの錆にしてくれる!」
 不意にその声が聞こえ、何事かとそちらを見ると、ヨハンが剣を抜き、周りの取り巻き達も各々構えているのが見える。ミカエラはヨハンの持つ剣を見て血の気が引き、ダラカの制止を振り切って二人の間に飛び出した。
「お、お待ちください!」
「なんだ、お前から斬られに来たか」
「ヨハン殿下は今すぐその剣を鞘に納めてお下がりください! それを持ち出しては国交問題になります!」
「煩い、罪人のくせに俺に指図するな!」
 ヨハンが持った剣を振り下ろそうとしたが、その前にミカエラはヨハンの身を魔法で拘束し、その場に留め置いた。
「ぐっ、この!」
「ロンディ、申し訳ありません、これはこの方の軽挙です。決して、我々はカリバーンと敵対するつもりはなく」
 しかし、ロンディはしかめ面でヨハンの剣を見ている。
「ミカエラ様はそう言ってもな、既にその男は使者とはいえど容赦はしない、その剣の錆にすると言ってしまった後だ。その剣、ダーインに伝わる神剣ヨマルドを竜に向けた。それはつまり、ダーインとヨマリア教が揃って、カリバーンへ宣戦布告をしたと見られても仕方ないことだ」
「違います、決して、少なくとも国王陛下はそのようなことは考えておりません!」
「だがその男は第二王子で、神剣を持つ程度には序列が高いということだろ。ならばこれは立派な宣戦布告だ。少なくとも、俺を含め多くの竜はそう思うだろう」
「お許しください、どうか、どうか」
「そもそもミカエラ様はもう関係ないことです。あなたが彼を庇い立てする必要などない」
「この方だけで済む問題であれば私もここまで必死にはなりません。ですが、竜に神剣を向ける、その行為がどのような惨劇をもたらすかを私は学んでおります。このまま放置すれば私の家族や友を含む、この国の民に被害が及ぶ可能性があるのです。それだけは避けたいのです」
「だそうだぞ人間共。お前達、そうやって俺に剣を向けているが、それだけで今国の危機に陥っているということは理解しているか?」
 ロンディが拘束まではしていない取り巻き達を睨む。彼らはそれに気圧され、剣を下げようとするが、そこへヨハンが声を荒らげる。
「斬れ、ここで全員殺せば問題ない!」
「愚かな男だ。ダーインの民よ、これが王族であった不運を呪え」
 ロンディが冷たく呟き、手を上げようとしたその時、天から落雷が起こり、それが教会に落ちた。かと思うと、教会の中にいた司祭がふらふらとやってくる。その様子を見てか、ロンディが舌打ちする。
「ちっ、面倒なのが来たな」
「面倒などと言わないでちょうだい」
 男である司祭の体から女の声が聞こえる。司祭が顔をあげると、その顔には赤い刺青のようなものが浮かんでいる。その模様は、通常ヨマル神の顔に施されているものだ。
「へ」
「ヨマル、わざわざ降りてきたということは、お前自ら宣戦布告ということでいいか?」
 ロンディが忌々しいという感情を隠しもせず訊ねると、司祭は首を横に振る。
「私は弁明に来たの。そこの男が我が剣を持ち出して、よりにもよってあなたに向けましたが、そこに私の意思はありません。この私ヨマル含め、神居層にありし神々は、カリバーンの旗掲げし竜の国、ひいては全ての竜種と敵対することはありません」
「そうは言われても、つい百年前まで神託で嫌がらせをしてきたし、今もこうして剣を向けられたわけなんだが?」
「百年前のことは別の方がやったことですが、剣については申し訳ないと思っています。ダーインの王族にはくれぐれも竜に向けるなと伝えていたはずなのですが、どうも教育不足のようですね。そのような者共にこの剣を持つ資格はありません。どうぞ、好きなだけ破壊してちょうだい」
 その言葉にロンディは驚いたようだった。いや、ミカエラ含めこの場にいるダーイン国民も皆驚いている。今、この司祭は自身をヨマルと呼称し、更に神剣を壊していいとあっさり言ってしまった。この神剣ヨマルドはダーイン国の宝剣にして王位の正統性を示すための神器である。神器の破壊は王権の崩壊に等しい、故に時には王族の命よりも優先すべきものと、ミカエラはそう言われて育った。
「お、お待ちください」
「ミカエラ、あなたは充分に庇ってくれました。ですが刃が向けられたことは事実であり、覆しようのないこと。であれば、あとはもうこの剣を壊すしかこの場でおさめる方法はない。そうでしょう?」
「剣を向けた男とその血に連なる者全てを殺すという手もあるが」
「それではこの国の主だった貴族全てを殺すことになる。それでは国が崩壊してしまうわ。信者にそのような不遇を強いることはできない」
「不遇を強いたくないと言うなら、もっと前に降りてくるべきだったろ」
「一番近い神託神官では間に合わないと判断して、ここの司祭に降りようとしたら抵抗にあったのよ。あなた、まさか小細工した?」
「神の気配がしたから結界を張っただけだ。下手に顔を合わせて即開戦はまずいだろ」
「ごもっとも。でもそれで降りるのが遅くなったのだから、多少譲歩してもらえないかしら」
「その譲歩が神剣の破壊? 俺は構わんが、それを理由に攻め込んだりしないよな」
「しないわよ。というか、この後神託神官に正式に降りて、一筆書いた上に謝罪に行かせるつもり」
「なんだ、随分下手に出るじゃないか。何かあるのか?」
「こっちはあなた相手に全面戦争したくないの。その体質を使いこなせる竜がいて、更に今代のカリスマのせいで竜自体もまとまりがあって、更によくわからない兵器開発までしてるカリバーン相手に、今の神々が勝てるわけないじゃない。神居層に移っていて良かったわほんと」
「なるほど。ところで、ここまでの会話全部この国中で放映されてるわけだが、勝てないって明言していいのか?」
 ロンディの言葉に人間側が再びギョッとする中、ヨマル神は問題ないと返す。
「それくらいはわかっているし、寧ろ好都合。これを機にカリバーン相手に喧嘩を売るなと、今頃各地の教会とか寺院でお告げを出してるわ。なので、今後神剣やら何やらが出てきた場合、容赦なく破壊して構いません」
「それなら壊していいやつのリスト送ってくれ。それ以外を向けられたら宣戦布告と見るから」
「わかりました。伝えておきます。さ、では遠慮なくこちらどうぞ」
 ヨマル神がヨハンが握ったままの神剣ヨマルドを指し示すとロンディは息をつき、手を神剣に向ける。
「そこまで言うなら壊してやるかと言いたいが、カリバーンでは神剣を向けられた場合の決まりがある。そちらの処理をやって、それから剣を折らせてもらおう」
「決まり? そんなものなかったじゃない」
「普通の竜には確かにない。そもそも普通の竜は神剣を向けられたら即座に避難、或いは折るつもりで戦いを挑むかの二択だ。だが」
 ロンディが短く何かを唱える。直後、神剣ヨマルドが突如消え失せ、遠くから爆発音のようなものが聞こえた。そして、ヨマル神が顔を引きつらせ、小さく悲鳴を上げる。
「神剣破壊のついでに城を壊す必要はないでしょ!?」
「皇帝たる者、神剣を向けられたならばいついかなる時であろうとも、その所持者の祖国の中央行政機関或いは首都を焼き払うべしと、そういう決まりがあるんだ。悪いな。一応中にいた生物については保護をしたから無事だと思うが」
「た、確かに、人間含めあの城にある生物は皆無事だけど。それでも、これはあまりに」
「これに懲りたら、今後教育はしっかりやってくれ。人間どももだぞ。今回は城だけで済ませたが、次があればお前達も城のようになること、ゆめゆめ忘れるな。さ、やることもやったし、ミカエラ嬢は連れて行くぞ。ああそうだ、ミカエラ嬢の見送りとしてついてきたフォンテーヌ家の者がボロボロになっているが、これはそこの第二王子とその取り巻きがミカエラ嬢の居場所を聞くために暴行を加えたためだと思われる。フォンテーヌ家の者よ、もしこの件がもみ消されそうになった場合、ヨマリア教に助けを求めればそこ経由でカリバーンが支援しよう。それでいいな?」
 ロンディがヨマル神を見ると、ヨマル神はこくりと頷く。
「それは勿論。彼がそのようになるまでの経緯は私も見ていました。今後彼に対して謝罪などがないようであれば、私からも制裁を加えましょう」
「はっ、神直々の制裁とは恐ろしいな。ま、そういうことならそのあたりはそちらで処理してくれ」
 そう言ってロンディはミカエラに近付き、手を差し出す。
「立てるか?」
「立てますが、しかし」
 ちらりとヨハンを見る。彼は青ざめつつ、こちらを睨んでいる。
「あれについてはヨマルがどうにかするだろう」
「国王共々、きっちり罰しておくわ」
「それはやめてやれ。城が崩壊してる上に神罰が下るとあってはかわいそうだ」
「そこは出方次第ね。ミカエラ、あなたは天命によく尽くしてくれました。これより先はあなたの魂の赴くままに生きなさい」
「お前に言われずとも彼女はそうするさ。さ、行こう」
「……はい」
 頷き、ミカエラはロンディの手を取った。

 ある日のこと。
 ダーイン王国の王城各所に、突如薄い板のようなものが浮かび上がった。そしてそこに、絵が映る。いや、絵というにはあまりに写実的で、しかもそれは動いていた。
「これは」
「竜が使う写像魔法というものでは」
「ということはカリバーンの使者が?」
「確か今日は罪人ミカエラの引き渡しの日であったが」
 城内が騒然とする中、音も聞こえてくる。板の中では、この国の第二王子ヨハンが取り巻きと共に誰かと対峙している様子が映されている。
『貴殿が竜の国からの使者か。そこにいるミカエラ・フォンテーヌを引き渡してもらいたい』
 そして聞こえた言葉に、国王ルーイは血の気が引く思いだった。
「あの馬鹿」
「陛下、一大事です。ただいま確認したところ、神剣ヨマルドが城内にありません」
「何!?」
「記録を見たところ、ヨハン殿下が持ち出したらしく」
「い、今すぐ返却要請を使って神剣を取り戻せ! 場合によっては国が滅びかねん!」
『使者といえど容赦はしない! この宝剣ヨマルドの錆にしてくれる!』
 だが聞こえてきた言葉と板に映る絵姿に、ルーイは遅かったと悟る。
「お、終わりだ。竜に神剣を向けて、無事な国などない」
「陛下」
「すぐに城下含め全ての国民に国外退去を命じる。これより先、この国は竜に蹂躙される」
「お待ちください! 竜に蹂躙されるとは一体」
 年若い男が訊ねると、周囲にいた者達が暗い表情で返答する。
「神と竜が昔戦争しているのは知っているな。その戦争があったことから、竜に対して神剣などの神造兵器を向けるということは、竜への宣戦布告と取られる」
「竜への宣戦布告はすなわち竜の国カリバーンへの宣戦布告となる。そうなれば、百を超える竜がこの国を焼きに来る。これは憶測ではない。過去同様のことを行い、実際滅んだ国がある」
 そう話している内に、ミカエラが二人の間に立ち、カリバーンの使者をとりなそうとしていた。それを内心応援していると、再び執政室の扉が勢いよく開く。そこには、最近ダンジョン攻略で目覚ましい成果をあげていたメアリーが立っていた。しかも、彼女の顔にはヨマル神の印が浮かんでおり、それだけで今彼女がメアリーという一個人ではなく、ヨマル神の依代になっているとわかる。現に彼女からはいつもは感じられない迫力、圧迫感のようなものを感じる。
「ヨマル様」
「経緯は見ていた。これから私の主格があの辺りの適当な神父に憑依して交渉を行う。そなたらは避難せよ」
「いえ、私は残ります」
 ルーイがすぐさまに首を横に振ると、ヨマル神は顔をしかめる。
「そなたの命一つで償える罪ではない。私は神剣の破壊でもって事を収めるつもりだ。だからここに残ろうとも」
「神剣が破壊されるなら我々の王権も終わりです。ならば、最後までこの椅子にしがみついていたいのです」
 ルーイの言葉に、ヨマル神はふと笑う。
「そうか。ヨハンの血族よ、お前が最後の王としてここにあると言うならば、私はそれを許そう。王権の最期を座して見届けるがいい」
 話している間にも場面は動き、教会からヨマル神に憑依された神父が出てくる。彼とカリバーンの使者が話をしているが、そこでヨマル神がはっきりと竜に勝てないと発言しているのを聞き、皆慌てた様子でヨマル神を見る。
「主格が話す通り、今のカリバーン相手ではたとえ神と言えど勝てない。それだけ強力な竜が今の皇帝なのだ。だから今カリバーンとの戦争は絶対に避けたい。下手をすれば神が残らず滅ぼされる。あれが神竜戦争時代にいなくて本当に良かった」
「現皇帝はそこまでの力をお持ちなのですが」
「ああ。だから」
 言いかけて、ヨマル神が天を見上げる。その場にいた者達が同じように上を見た直後だ。それぞれが丸い風船のようなものに包まれたかと思うと、城の天井や壁が砕けていく。それに対し、執政室は勿論、外からもあちこちから悲鳴が聞こえてくる。そうかと思うと、閃光と思われる白が視界を埋め、浮かんでいる場面も含め何もかもが見えなくなった。
 視界が晴れると、周囲には何もなくなっていた。いや、生き物はいる。人は勿論、馬や犬、更にはネズミらしき小動物に至るまでが風船のようなものに包まれていて、それぞれが地面の上にあった。つまり、城だけが崩壊して瓦礫となっていた。
『神剣破壊のついでに城を壊す必要はないでしょ!?』
 聞こえた悲鳴に顔をあげると、空中にあの場面はまだ浮いていた。そして続いてきた言葉によると、この城の破壊、風船のような防御魔法、まだ残骸を発見できていないが神剣の破壊までをあの使者が、いや、カリバーン帝国の皇帝がやったのだという。
「これが、竜」
「あの皇帝が規格外なだけだ。あれは歴代と比べても最強に近い。だからこそ、我々もあれと争いたくはないのだ」
 ヨマル神の言葉に、今この場にいる誰もが同意せざるを得なかった。

 ロンディの手を取ると、すぐさま景色が変わる。恐らく転移の魔法を使ったのだろう。周囲はどこかの森の中だった。少し離れた場所にいたダラカも一緒に飛ばされているようだが、彼は景色が変わったことに驚くことはなく、寧ろほっと息をついている様子だった。
「ロンディ、ここは」
「まだダーインの中だ。えーと、確かトパーズ樹林と呼ばれていたか」
 トパーズ樹林はガノルダンにほど近いダンジョンの名前だ。
「ま、場所移すのは正解だな。ここから乗れるのか?」
「少し切り替えが増えるが、まあ誤差の範囲内だ。だが、疲れたから少し休憩してから行こう」
 ロンディはため息をつき、手をかざす。すると周囲の木があっという間に加工され、少し大きめのテーブルとベンチになっていく。
「ミカエラ嬢、こちらへどうぞ」
「は、はい。失礼します」
「ダラカも休め。流石に疲れただろ」
「おう、そうだな。竜で慣れたと思ったが、神相手はやっぱり疲れる」
 そう言ってダラカもベンチに座る。その隣にロンディが座ったので、ミカエラは必然二人の向かい側に座ることになる。ミカエラが席につくと、ダラカは失礼と一言言うと、テーブルにぐったりと伏せた。
「ミカエラ嬢もこんな風にリラックスしていいから」
「いえ、流石にそこまでは」
「そうか。ああ、魔力が高いから神圧耐性もあるか。ダラカは魔力は人並みだからこうなるが」
「神圧耐性?」
 初めて聞いたステータス名だ。
「たとえ依代とはいえ、神が降りてくればそれだけで体が圧迫されるような感覚がするそうだ。俺を含め竜は感じないが、普通の人間はそういうのを感じるらしい。魔力が高い人間は自身の魔力でそれを中和できるから割と平気、とカリバーンで働いてる司祭達が話していた」
「はあ」
「ま、これは依代とか神託とかやる奴らしか知らん話だ。ミカエラ嬢は随分魔力が高いみたいだな。もしかしたら竜にもなれるんじゃないか?」
「人が竜になれるんですか」
「条件が揃えばな。その辺は気になるなら僧院で聞くといい。俺からはあまり詳しく話すなと言われてる」
「そうなんですね。……あの、カリバーンの皇帝陛下なんですよね?」
 恐る恐る訊ねると、ロンディは頷く。
「着くまで伏せる予定だったんだがな。あの馬鹿王子のお陰でサプライズが台無しだ」
「なぜ陛下自らお出でに?」
「今回は魔力が高いと特に言われていたからな。そういうのは普通の竜に任せるとそのまま縄張りに持ち帰るなんてことが起きるから、それを防止するために俺か城務めの誰かが行くことになる。今回は俺が暇だったから来た。ダラカは正真正銘の人間で、クッション役兼移送の護衛として連れて来た」
「言っておくが、俺は陛下の護衛ではなく、ミカエラ嬢の護衛として来てる。例えばさっきの例で言えば、あの坊ちゃんが陛下でなく普通にミカエラ嬢を狙った時は俺が前に出る予定だった」
「そうでしたか。その、重ね重ね」
「ミカエラ嬢が謝る必要はない。もうあの人間は君とは関係ないし、関わらせることもない。寧ろ早々に関係を切ることができてラッキーくらいに思ってろ」
「はい」
「正直公開処刑をしてやろうと思ったが、ヨマルが出て来たから殺し損ねてしまった」
「あー、やっぱマジでやろうとしてたのか」
 ダラカが訊ねると、ロンディは当然だと頷く。
「竜に、しかも使者と名乗ってる者に神剣を向けるということの意味をよくよく理解してもらおうと思ってたからな。それをやり損ねたのは失敗だった。帰ったら儀礼長官に叱られるかも」
「いやー、王城を焼いたんだろ? それなら問題ないだろ」
「焼いたというより破壊だな。神剣を王城に突き刺して、その状態で神剣を破壊して、その余波で王城が崩壊というのが正しい。一応、儀礼長官に焼くのは面倒だからそれでいいかと確認を取ったから、そっちはいいと思うが」
 そう言ってロンディはため息をつく。
「帰ったら面倒だな」
「それは、私がいるからでしょうか」
 思わず訊ねると、ロンディは首を横に振る。
「いや、ミカエラ嬢は寧ろ歓迎されるぞ。俺を相手に怯まず上奏するとは人間にしては勇敢である、しかも神圧も平然と受けられるくらいには魔力が高いとくれば、見合いをさせてくれっていうやつが出そうだな」
「お見合い?」
「最近うちの流行りなんだ。まあしばらくは俺の方で断っておくから、興味が出たら言ってくれ」
「はあ。それでは、面倒なこととは」
「仮にも皇帝に神剣を向けられたからなあ。俺が王城諸共破壊したとはいえ、即刻国ごと焼き払うべきって言うやつが出る可能性が高い。まあそれも俺が抑えるが、煩いやつは多いし、あと人間の保護も一応した方がいいか?」
 ロンディがダラカを見ると、彼は肩を竦める。
「それは儀礼長官と相談してくれ。俺は門外漢だぞ。それにルゴランなら街の良識派がなんとかするだろ」
「そうだな。そっちは任せよう。市長に権限を一部渡しておくか。その辺も儀礼長官と相談だな」
「仕事増やしたって睨まれねえか?」
「儀礼長官は仕事が増える分には文句は言わないさ。寧ろ俺が勝手に片付けた方が色々煩い」
「……確かに」
「ま、面倒なことは帰ってから考えよう。もう少ししたら出発しよう。それでいいな?」
「はい」
「おう」

 充分に休憩した後に出発し、再び転移をして地下道のようなところを通ることになった。曰く、これが近道とのことだったが、ミカエラからすると本当にただの地下道にしか見えなかった。坑道のように多少明かりはあるものの基本的に薄暗く、道は整備されているものの土はむき出しで、平坦ではあるがところどころ土が出っ張ったり水が張っている箇所があった。そういったところを見つけると、すぐにロンディが魔法でならしていた。曰く、通った竜が整備する決まりなのだという。
 休憩を挟みながら歩くこと三時間。途中ロンディが道をならす以外でも何か魔力を操作している様子を見せていたが、それ以外は特に変わったところはなかった。
「そろそろか。位置的には、えーと」
 ロンディがどこからか薄い板を取り出してそれを見ている。それをダラカも覗き込んでいる。
「大体待ち合わせ場所の北一里ってとこじゃないか」
「ということは、あと五歩くらいか?」
「一回上出てから空飛んだ方が早くね?」
「ダラカ、お前はすっかり慣れたが、普通の人間はあまり空を飛ぶのが得意ではない」
「……うわ、すっかり毒されてたわ」
「あの、空を飛ぶのですか?」
 聞こえてきた言葉に反応して訊ねると、ロンディがそうだと頷く。
「もう地理的にはカリバーンに入ってるからな。いつもならカリバーンに入った段階で地上に出て、空を飛んで目的地に向かった方が楽ではある。ここは近道ではあるんだが、その分少しの誤差で見当違いの場所に出ることがある」
「はあ、そうなんですか。あの、それなら別に外に出ても」
「ミカエラ嬢は空を飛ぶことに抵抗はない?」
「寧ろ少し憧れが」
 ミカエラ自身、そういった魔法を使いたいと思ったことがある。しかし適性と人間としての限界の関係で、空を飛ぶのは難しいとわかり、過去諦めたのだ。
「まあ、ダラカも俺もいるし、落下の心配はないか。よし、では上に出よう」
 ロンディはそう言うと、指をぱちりと鳴らす。途端、彼のすぐそばに銀色に光る円柱が現れた。
「ここに入れば上に出る。ダラカ、彼女の介助を。今回は一旦地上に出るから、二つ目を使う」
「はいよ。ミカエラ嬢、お手をどうぞ」
 手を差し出されたので、ミカエラはダラカの手を取り、彼に引かれるまま円柱の中に入った。円柱の中も同様に銀色だが、金色の点が三つほど縦に並んでいる箇所がある。その内、中央にある点をダラカが押した。途端、ぐいっと体が持ち上げられる間隔があり、はたと気が付くと銀色の筒はなくなり、周囲には草原が広がっていた。それを認識したところで、体が逆に下に押しつぶされるような感覚があり、ミカエラは思わずよろめく。それをダラカがしっかりと支えてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして。大体アレ使うと、慣れない感覚だもんでよろけたりするもんだから、気にしなくていいぞ。陛下もそのつもりで俺をつけたんだし」
「あれでも人間用に調整はしてるんだが、まだもう少しいるか」
 ロンディの声が割って入る。見ると、彼もいつの間にかすぐそばに立っていた。
「空に直接打ち上げなら気にならねえが、地上だと踏ん張る地面があるからな」
「あー、そうか。だとすれば、負荷分散の式を分けないとだめか。まだまだ調整が続くな。一旦後年の課題にしよう」
 そうぼやいたかと思うと、ロンディはミカエラの方を見る。
「ミカエラ嬢、旗竜帝国カリバーンへようこそ。といってもここは街道からも離れてるから、あんまりそれらしい感じではないが。ダラカ、どれくらい街道から離れてるかわかるか?」
「あー、そうだな、カレスオウの草原っぽいから、そんな離れてはいないんじゃないか? いずれにせよ、飛んだ方が把握は早いが」
「それもそうだな。それじゃあ、カクチョウタイ広げるか」
「カクチョウタイ使うのか? 普通に飛ぶでよくね?」
「ダラカ、普通の人間は空中で体勢安定しないぞ。お前がミカエラ嬢を抱えていくのか?」
「……そうだったなカクチョウタイ使おう」
「あの、カクチョウタイとは」
「説明が少し複雑になるから詳細は省くが、簡単に言えば変身の類だと思ってくれ。あとは見た方が早い」
 そう言うと、ロンディは草原の方に手を向ける。するとロンディの姿が消え、草原に黒い竜が現れた。ぬらりと鈍く光る鱗、トカゲに近いがトカゲとは異なり高く持ち上げられている頭、背中にある蝙蝠のような黒い皮膜でできた翼。よく絵物語で見る竜そのものの姿にミカエラが目を丸くしていると、その黒い竜が口を開いた。
「ミカエラ嬢、背中に乗る形でいいか?」
 竜から聞こえてきたのはロンディの声だった。
「え、あ、ロンディなのですか」
「ここで俺じゃなかったら問題だろ」
「でも、さっきまで人間に近い姿で。あ、こちらが本来の姿とかでしょうか」
「これはちょっとした移動用だ。この国の竜には変身能力があって、しかもいくつか種類があると今は考えてくれればいい。詳しいことは僧院で学んでくれ。ダラカ、ミカエラ嬢を背中に」
「ああ。ではミカエラ嬢、少し失礼しますよ、っと」
「キャッ」
 ダラカに抱えられ、思わず悲鳴を上げてしまったが、彼は気にせずそのままジャンプしたかと思うと、黒い竜の背中の上に立っていた。そこには透明なドームのようなものがあり、中には椅子やテーブルなどが置かれていた。
「あの、あれは?」
「人を乗せても大丈夫なよう、わざわざ作ったんだと。使う機会なんて一生ないって儀礼長官と話してたんだがなあ」
 半ばぼやくように言いながら、ダラカはドームの方に行き、そのまま中に入った。入る瞬間魔力抵抗のようなものを感じたが、本当に一瞬だけだった。中に入ると、ダラカは椅子の一つにミカエラを座らせ、もう一つの椅子に自身も座った。
「よし、座ったな。ミカエラ嬢、一応離着陸の時は座っていてくれ」
「わかりました」
「それじゃあ、飛ぶぞ」
 ロンディはそう言うと、黒い翼を数度羽ばたかせる。そして一度身を屈めたかと思うと、次の瞬間景色が目まぐるしく変わっていった。飛び上がったのだろうということはわかるのだが、それにしては振動が少ないと思っている間に、周囲は草原ではなく、青空になっていた。目線上に雲が浮かび、少し目線を落とせば山の頂や森林、草原などが見渡せる。
「飛んでる」
「すごい光景だよな。俺も最初の内は結構飛ぶ度に感動してた」
「今はしないんですか?」
「流石に数十回とか飛ぶことになるとなあ」
「ダラカさん、普通の人間だとおっしゃってましたよね」
「あの街に長いこと住むと、色々あるんだよ。ま、その辺はミカエラ嬢にもおいおいわかるさ」
「はあ」
 しかし、ただの人間が数十回空を飛ぶようになることなどあるのだろうか。それこそ、前世で言うところの飛行機みたいなものがあればそういうこともあるかもしれないが、今のところミカエラはこの世界で飛行機や気球といった空を飛ぶ乗り物を見たことがない。であれば、やはり魔法の類で空を飛んだのだろうか。となると、ダラカは飛行魔法が使えるのだろうか。
「お、ほら、ミカエラ嬢、もう見えてきたぞ」
 少し考えている間にそう言われ、ミカエラは驚きながらもダラカが指す方を見た。少し先にある山の向こうに、湖が広がっているのが見える。その湖の上にはいくつかの島があり、それぞれに立派な建物がある。建物の様式からして、各宗教の寺院や教会といったところだろうか。そしてそれらの内、一番規模の大きな建物が奥に見える。中央に巨大な黒い塔があり、その周りにいくつかの建物がある。塔の周りの建物はそれぞれ回廊で繋がれているようだ。黒い塔の上は平らになっており、しかも四隅に灯りがついていた。
「一番奥の黒い塔がカリバーン僧院、つまりミカエラ嬢がこれから住むところだ」
「あの一番上の平らな部分は一体」
「あれは竜の離発着場。今回は使わねえけど、いつか誰かが使うのが見れるさ」
「そういえば、馬車と言ってましたね」
「一応決まりとして、僧院に入るのは馬車でって決まってるからな。本当は空から直接の方が早いんだが、まあ、顔見せの意味もあるからすまんな」
 ドームの内側のどこからかロンディの声が響く。どうやら飛びながらでも会話はできるらしい。
「集合地点は山の手前だ。……面倒なのが待ってるな」
「お、儀礼長官殿でも待ってるか」
 ダラカがからかうような声で訊ねるが、ロンディは黙ったままだ。その態度に、ダラカが顔を引きつらせる。
「マジで待ってるのか」
「小言か会議か、どっちだと思う?」
「どっちにしろ用があるのは皇帝陛下だけだろ。そうなったら、ミカエラ嬢を宿まで連れてくのは俺だけでやるか」
「まあそうなるかもしれん。エキドナは宿で待ってるから問題ないとは思うが」
「その時は引き受けた」
「ああ、頼んだ。さ、降りるぞ」
 再び景色が目まぐるしく変わり、落ち着いたかと思うと山の麓と思しき場所に着いていた。そこには黒い馬車があり、その周囲には数名の人や竜頭の者がいた。
「ミカエラ嬢、再び失礼する」
 ダラカは一言断ると、再びミカエラを抱え上げ、ロンディの背から飛び降りた。
「ダラカ、そちらの方が件のご令嬢ですね」
 落ち着いた低い声だ。言葉を発したのは、真っ白なローブを着た中年くらいの見た目の人型の男性だ。ローブよりも白い髪を緩く三つ編みにし、それを首筋から肩にかけている。目は閉じているが、もしかしたらあれで開いているのかもしれない。そう思うほどしっかりとした足取りで近付いてくる。
「ああ、その通りです。儀礼長官殿は礼服でいらっしゃってるってことは、これから陛下に御用があるってことですかね」
 儀礼長官と呼ばれた男性はこくりと頷き、こちらの二歩先で立ち止まる。
「半分はそうですね。ミカエラ殿、ようこそカリバーンへ。私はこの国の儀礼長官を務めております」
「ミカエラでございます。罪をおかした私を受け入れていただき」
「人の罪など我々から見れば些末なものです。ここではお気になさらず。僧院にはあなた以上の問題児もいますしね」
「は、はあ」
「儀礼長官、半分は俺宛だと言ったが、残りは?」
 いつの間にか人型に戻ったロンディがミカエラの隣に立つ。その様子を見てか、儀礼長官の右目の瞼が僅かに持ち上がる。そこから覗く眼球に白目はなく、鉱石のような輝きがある。彼も竜の一種ということなのだろう。
「やはりかなりの魔力をお持ちの方のようで」
「まあ、儀礼長官のそれを受けて平然としてるしな」
「神圧にも耐えたとか」
「平気な顔してたぞ。俺の威圧弱を受けても耐えてたし、なんなら本気のやつもいけるんじゃないか?」
「試すなら後日に。時にミカエラ殿、王宮勤務に興味はありますか」
「え」
 突然の申し出に面食らっていると、ロンディがだめだと返す。
「何も知らないやつを勧誘するな。勧誘は僧院で最低限教わってからと決めただろうが」
「わかっておりますとも。冗談です」
「ではこの場では冗談ということにしてやろう。で、彼女の魔力を測りに来たのか」
「ええ。神圧に耐え、更に神造武器を前にした竜の前に飛び出して命乞いをした人間など、私の代では初めて聞いたので」
「儀礼長官が知らないとなると、少なくとも三代前、竜神戦争末期にもいなかったか」
「そうなります」
「ミカエラ嬢、めちゃくちゃモテそうだな」
「陛下の保護下にある間は問題ないでしょう」
「そうか。だが改めて僧院の保護については宣言しておこう」
「それがよろしいかと」
「ん。それで、俺宛ってのは、説教か小言か?」
「いえ、陛下の振る舞いについては特に指導が必要なところはありません」
「え、じゃあなんで礼服着て待ってたんだ」
「ルゴランの各教会や寺院から、陛下に面会をしたいと連絡がありまして。なんでも神からの言伝があるとかないとか」
 それを聞いて、ロンディが顔をしかめる。
「ああ、そういうことな」
「その様子だとどういった内容かご存知で」
「俺と事を構えたくないって話と、壊していい神造兵器のリストだと思う」
「そうでしたか。てっきり宣戦布告かと、城では用意をしていたのですが」
「今すぐやめろって連絡しておいてくれ。あー、じゃあミカエラ嬢を宿に届けるのは問題ないのか」
「そうですね。そちらの仕事を終えてから浮島に行きましょう」
「ミカエラ嬢、そういうわけだ。宿までは送るから」
「え、でも、他に待たせている方がいらっしゃるならそちらを優先でも」
「神からの言伝ならいくら待たせても問題ない。この国はそういう国だ。そこもおいおい覚えていってくれ」
「は、はあ」
 どうやらこの国で覚えるべきことはたくさんありそうだと思いつつ、ミカエラは頷いた。

 馬車で移動し、着いたのは人間で賑わう街だった。ありとあらゆる店が並び、人々が呼び込みをしている。よく見れば大きな商会の支店もあるようで、祖国でも見たことのある看板がいくつか目に入った。
「かなり賑わってるだろ」
「ええ。ただ、人間が多いように思うのですが」
「国境が近いし、この辺はそもそもあんまり竜が住んでないからな。人間には結構住みやすいんだよ」
「なるほど」
「人が増えたから人間の宗教施設も受け入れたし、それで僧院、ミカエラ嬢からしたら修道院か、そういうものができたってことになってる」
 ロンディの言葉に、何か政治的な思惑があったのだろうと察せられたが、ミカエラは特に何も聞かず、相槌を打つにとどめた。
 その後ロンディからの説明を聞きつつ移動し、馬車はとある建物の前に着いた。木造で素朴な印象の建物で、宿屋の看板がかかっている。その宿の前に革製の軽量鎧を身にまとった金髪の女性が立っている。彼女は馬車を見るなり、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「ヘーカさん、ダラカさん、お待ちしておりました~!」
「お前そんな飛び跳ねるな。あとでかい声で呼ぶな!」
 ダラカが注意するも、彼女は飛び跳ねて手を振っている。その様子に苦笑しながら、ロンディが馬車のドアを開き、先に降りてこちらに手を差し出す。
「ミカエラ嬢、どうぞ」
「ありがとうございます」
 一応彼の手を取って馬車から降りると、女性はこちらを興味深げに見る。
「彼女はエキドナ、この街の狩人組合に所属してる。エキドナ、こちらのご令嬢が明日僧院に入る方だ」
「ミカエラといいます。どうぞよろしくお願いします」
 こちらが名乗ると、エキドナという女性はにこりと笑顔を見せてくれた。
「この前のべリナよりは普通の人っぽいね。ミカエラ、よろしくね! あ、呼び方これでいい? この国に入ると、一応僧院に行く人は家名はなくなる扱いだから」
 そう言われて、ミカエラは思わずロンディを見る。すると、彼はその通りだと頷く。
「正確には僧院に入る手続きが終わると、だがな。だから言っただろう、ただのミカエラとして生きてもらうと」
「そういう意味だったのですね」
「ああ」
「であれば、そうですね、ミカエラではなく、ミカとお呼びください」
 その方がきっと、自身の出自のことを忘れられる。
 そう思っていると、エキドナが嬉しそうな笑みを浮かべる。
「じゃあ遠慮なく、ミカって呼ぶね。よろしく、ミカ!」
「はい、よろしくお願いします、エキドナさん」
 笑顔で応え、ミカエラはそこでようやく、もうフォンテーヌ家のこともダーイン王国のことも忘れていいのだと思えた。
「荷物置いたら何かうまいものでも食いに行こうか。天命逸脱記念ということで」
「ギレーさんが宿で着替えたら浮島に来いって言ってましたよ」
 ロンディの言葉にすかさずエキドナが口を挟むが、彼は大丈夫だと言う。
「あいつも呼べば問題ないだろ。ま、一応着替えてはおくさ。顔だけ変えとけば俺だとばれんし」
「じゃあ表で待ってるね。あ、ついでにミカの荷物お願いしても?」
「自分で持って行きますよ」
「お嬢様なのは今日までなんだし、今日まで甘えておきなよ。ヘーカさん、いいよね」
「ああ。荷物はこれだけだったな」
 そう言って、ロンディはミカエラの持つ旅行鞄を持って宿の中に入ってしまった。
「あの、いいんでしょうか」
「いいのいいの。ヘーカさん、最近どこ行っても丁重に扱われるから、この街では雑に扱うようにってお触れ出てるもん」
「お触れ」
「正確には、この街の中で皇帝陛下を見かけても気にするなって話だから、エキドナくらいの雑さは過激派に見られたら不敬だって怒られるからな」
「怒られる程度なんですか」
 今日見た様子では即死刑になりそうな気がしたがと思っていると、ダラカが言葉を続ける。
「僧院でも習うが、この街は直轄地だから、僧院含めこの街に住む者は皆陛下の庇護下にある扱いなんだよ。竜は庇護下にある者が害されたら加害者をボコボコにする。そういう生き物だ。だから過激派といえど害することはできない。陛下がエキドナのこれを良しとしてる内はな」
「俺としてはエキドナくらい気兼ねのない態度は好ましく思うから、皆これくらいでもいいんだがな」
 ロンディの声が聞こえ、もう着替えたのかとそちらを見ると、ロンディに似ているが別人としか思えない者がいた。黒い細身のドレスと黒いマントを身にまとった目つきの鋭い女性だ。服装の色合いと彼女の風貌のせいか、物語に見られる死神のようにも思える。
「やっぱり死神っぽいよなあ。これは儀礼長官に苦情を入れんとな」
 そう言う彼女の声は確かにロンディのものなので、間違いなく彼女がロンディなのだろう。しかし。
「じょ、女性だったんですね」
「あははは、やっぱり男と思われてたねヘーカさん!」
 ミカエラの言葉にすぐエキドナが笑い声をあげる。
「性別にあった振る舞いが苦手なんだ。だから性別を間違われることはよくある。ちなみに竜は性別を間違えたくらいでは怒らないから安心しろ」
「そもそもヘーカさんは元がああだからね。仕方ないよー。初見でヘーカさんが女の子だってわかる人はまずいないと思う」
「そうだな。しかも女帝という言葉だけが広がって、俺が出ていくと他国からの使者とかに侍従の方ですかって言われることがほとんどだし、一目で気付いたら褒賞金ものとか城では言われてるし」
「それは流石に失礼では」
「俺が許してるから失礼ではないさ。だが失礼と言ってくれたことには礼を言おう。さ、儀礼長官が店の席取ってくれたらしいから行くぞ。栗毛屋だそうだ」
「わ、ギレーさんには珍しく高級路線だ!」
「今の格好のせいだな。儀礼長官も今礼服だから、いつもの酒場だと浮きまくる」
「まあそうだな。っつうかその格好で来られると他の奴らが困るわ」
「違いない。そういうわけで今日はいつもとは違う店だ。俺が一緒だから同行者の格好には文句は言われんだろう」
「わーい、あたし栗毛屋行くの初めてだから楽しみ! 勿論奢りですよね」
「当然だとも。さ、行くぞー」

 翌日。ミカエラはエキドナの案内でヨマリア教の修道院に行き、そこで書類に署名をした後、簡単な儀式が行われた。
「ミカエラ殿、本日より貴殿をヨマリア教修道士として認め、またカリバーン僧院にて暮らす新たなるカリバーン帝国民と認定する」
 儀式の後にそう言われ、ミカエラは唐突に体が軽くなった気がした。
「あ、あの、今急に体が軽くなった気がしたのですが」
 驚いて違和感を訴えると、司祭は微笑みかけてくる。
「恐らく、ミカエラ殿は祖国では何か重い使命を背負っていらしたのでしょう。この国に来て、カリバーンの者となったことでそれから解き放たれた。そういうことです」
「はあ」
「これからあなたが生活する僧院宿舎には似たような症状を訴えたことがある者も幾人かいるはずです。彼彼女らと話をしてみれば、その内理解できることでしょう。いずれにせよ、体が軽くなったのなら良いことです。これからは天命ではなく、あなた自身の魂の赴くままに生きよと、ヨマル様もお許しになったということです」
「……祖国で、ヨマル様にもそう言われました。天命によく尽くしたとも」
「それは羨ましい。直接お声をかけていただいたなら、なおさらです。最初は戸惑うことでしょう。しかし、迷うならば私や他の修道士が助けましょう。我々で難しいことなら、陛下がお力添えしてくださるはずです。これからここで暮らしていく中で、あなたの魂の赴く先を見つければよいのです。そうですね、安易なところだと恋愛などがおすすめらしいですよ」
「恋愛は、今はちょっと」
 ようやく乙女ゲームの設定から外れられたのだから、少しそこからは遠ざかりたい。そう思ってこぼすと、司祭はにこにこしている。
「それもあなたの魂の赴くところということです。ひとまず、やりたいこと、やりたくないことを整理するところから始めましょう」
「それで良いのでしょうか。私、一応罪人としてこちらに来たのですが」
「陛下から、あなたは天命に従って悪を為したのであって、魂まで悪ではないと伺っています。であれば、贖罪はあなたが魂の赴く先を見つけることで充分でしょう。切り替えが難しいと言うなら、今日からは違う人間に生まれ変わったと思えばよいのです。ミカエラ・フォンテーヌはダーインを出ると共に死に、本日ただのミカエラが生まれたと。いっそ名前も変えてみますか?」
「それでは、ミカエラではなく、ミカという名で通してもよいでしょうか」
「構いませんとも。それではミカ、まずは宿舎に行き、今日から共に暮らす方達と交流をしましょう」
「はい」
 頷き、ミカエラは司祭についていく。その背を追いながら、ミカエラは急に軽くなった体のことを思う。今まで気付かなかったが、知らず天命、あのミカエラ・フォンテーヌでないといけないと強く思い、それが重圧になっていたのだろうか。しかしこれからはそれもない。ただのミカエラ、いや、ミカとして自由に生きていいのだ。何をしようか、異世界転生らしいこともしてみようか。
 ミカはこれからのことを考え、知らず笑みを浮かべた。

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