リバウンド8

旅行に行くことになったけど、この女、やっぱり変じゃないか?

 低音の似たような音、似たような言葉を繰り返し繰り返し。そういった不気味な歌が聞こえる。以前一度だけ聞いたことのある歌だ。
「その歌、やめろって言わなかったか」
 いつの間にか閉じていた目を開き、そう言うと、彼女はそうだねと返してくる。
「言われた気もする」
「なら歌うな」
「あんたも起きたし、もう歌わないよ」
 センリはそう言いつつ、ハンドルを切る。カーナビを見ると、到着予定時刻が一時間を切っている。窓の外はもう高速道路の壁ではなく、鬱蒼とした森だ。この山道の先に目的の温泉街がある。
「そんなに寝てたか。俺は」
「それはもうぐっすりと。いい夢は見れた?」
「見てない」
 誠治としてはどうして自分が眠ったのかすらよく覚えていないのだ。
「いつ寝た?」
「私がお手洗いから帰ってきたらもう寝てたよ。でも一眠りしたからか、顔色はよくなったね」
「そうか」
 センリからそう見えるなら、もう問題はないだろう。
「カーナビを信用するなら、あと一時間だって」
「いや、順調にいけばあと三十分で着くはずだ」
「そうなの?」
「あともう少ししたら、登る道があるからそこを行け。舗装はされてないが、この車なら通れる」
「え、舗装してない道通るの?」
「自信がないか?」
 ならば運転を代わろうと言おうとしたところで、センリはいやと笑みを浮かべる。
「大丈夫。車には傷一つつけないよ」
 その後山道に入ると、センリは速度を落とさぬまま、しかし巧みに運転をし、予定より十分早く宿の駐車場に着いた。駐車場に着いてから一通り車を点検したが、言葉通り傷一つついていなかった。
「車を使う仕事なのか?」
 運転技術の高さに思わずそうこぼすと、彼女は少し得意げな表情を見せる。
「車も使うお仕事、ってところ。で、宿はここなの?」
 センリが見やる先には、木造三階建ての宿がある。古くからある老舗旅館で、食事、サービス全ての品質が高いと評判の宿だ。
「ああ、馴染みの宿でな」
「ふうん。いいとこ知ってるねえ」
「知り合いに教えてもらってな」
 そう言ったところで、ふと、誠治は顔をしかめる。
 この宿を紹介してくれたのは、誰だっただろうか。確か、誠治の昔からの知り合いで。
「小山田さん、早くいこ」
「あ、ああ」
 センリに促され、誠治は荷物を持って宿に入った。

 翌朝。瞼を開け、誠治は体を起こす。周囲を見て、そういえば旅行に来ていたなと思い出す。隣を見るが、センリの姿はない。どこに行ったか、朝風呂にでも行っただろうかと室内を見ると、外に出る戸が開いていた。その向こうにあるデッキで、センリはぼんやりとどこかを見ている。
「何してるんだ」
 声をかけると、センリはこちらを向き、にいと笑う。その笑い方は、誰かに似ている気がする。
「おはよう、小山田さん。いい夢は見れた?」
「言うほど寝てない気もするがな」
 昨晩寝たのは何時だったかと思うが、最後寝る瞬間に時計は見ていない。ただ存外盛り上がってしまった記憶はある。
「じゃあもうちょっと寝る?」
 そう言われて今の時刻を見る。
「朝食の時間が八時から十時半までだったな」
「ってことは、あと二時間は寝れるかな」
「そんなところか」
「そうだね。じゃ、怠惰に二度寝でもしましょう」
「何見てたんだ?」
 中に入ろうとするセンリに、先程の質問をもう一度する。彼女はこちらを見て、それからデッキの向こうに目をやる。そこにはただ山があるだけだ。
「何にも。ただ、ちょっと目が覚めちゃって、ぼんやりと考え事してただけ」
「そうか」
「小山田さんにもあるでしょ。ぼーっと考え事する時がさ」
「……そうだな」
 肯定はしたが、最近はそんなことをする時はなかったように思う。物思いにふけっていると大概良くないことを考えていた気がするし、それで気持ちが沈む度にセンリに声をかけられていたような。
 そう考えて、いやと思い直す。良くないことを考えていたと今思ったが、何を考えていたのだろうか。いやその前に、気持ちが沈む度と言ったが、そんな気持ちが沈むようなことがあったのだろうか。誠治の知る限り、そんな出来事はなかったように思う。最近の悩み事と言えば姉から言われた見合いだが、それもセンリを連れて行けば当座はしのげるはずだ。だからそれで気持ちが沈むということはないはずだが。
 考えを巡らせていて、自然と口が開く。
「俺は」
 何かを口にしようとしたが、そこで言葉が止まる。何かを今、センリに伝えなければいけない気がする。しかし一体何を伝えなければいけないのか。それがわからない。困ってセンリを見るが、彼女はこちらをじっと見ているだけだ。いつものように思考に口を挟むことはない。
「俺は、考え事は」
 もう一度口にしようとする。しかしそれ以上何も出てこない。出てくるべき言葉が思い当たらない。
「何か、忘れているのか?」
 ぽんと、別の言葉が口から出る。だがその言葉を口に出した瞬間、なぜか一気に背筋が凍り、冷や汗が止まらない。
 今、自分は何か恐ろしいことを思い出そうとしている。
 寒気が止まらないし、それ以上何かを考えるのが怖くて仕方がない。恐怖からか、段々体が震えだす。その様子を見てか、不意にセンリが口を開く。同時、昨日もセンリが口ずさんでいた不気味な歌がどこからか聞こえてきた。
「今はまだ」
 センリの声が耳に滑り込む。
「まだ、早かったね」
 その言葉と共に、意識がぷつりと途切れる。

 目が覚めると、誠治が目覚めようと思っていた時間になっていた。隣を見ると、センリの姿はない。しかし遠くからドライヤーの音が聞こえるので、先に起きて身支度をしているのだろう。誠治は布団から起きだし、自身も身支度を始めた。
 ふと見ると、デッキに出るための戸が開いていた。センリが開けてそのままにしていたのだろうかと思いつつ、誠治はその戸を閉めた。

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