拡張体の普及と副産物

皇帝陛下、体格差による労働環境の差別化を解消するため、昔作ったものを出した結果、思わぬことが起こってしまったり発覚したりするの巻。
本来なら三話分の話を合体させたので、結構話が飛び飛びかもしれん。すまんな、書きたいシーンしか書いてないんじゃ。

 戴冠年。
 各家の代表を召喚して面談を行うと決めたリーナは、この日はシルフィード種の代表ともいえるシルク家の当主フランと面談することとなっていた。白い毛と銀色の鱗を輝かせている竜体は正にシルク、絹の名を冠するだけあると思うが、その全長は一メイにも満たない。かなり小型だが、これで成竜なのだ。そしてこの小柄さゆえか、浮遊魔法や隠匿魔法を得意とし、しかし身体強化や威力の強い魔法を使うのは不得手なため、密偵や伝令といった仕事を任されることが多い種族だ。
「強大なる竜の王ロンディにつきましては」
「あー、悪いがその尊称と挨拶はまだ使わなくていい。フラン・シルク殿、ようこそ黒山城に。といっても、二年前までは貴殿もこちらで働いていたのだから、どちらかというと古巣になるか」
「滅相もございません。二年もあれば様相も変わります。まして皇帝が変わりましたので」
「そうか。まあ城についての評価はあとで聞かせてくれ」
 所作で座るよう示すと、彼はそのまま素直に円座の上に座ってくれた。
「さて、まずはこの面談について説明しよう。ここでは改めて、各家が治めるところの確認と種族的なことを教えてほしい。また、もし環境や皇帝に不満があるなら言ってくれ。言葉に出しづらいなら心の内で思うだけでもいい。知っての通り俺は魔法に長けているから、聴心魔法も得意だ」
「ご配慮いただき感謝いたします」
「皇帝の務めの一つだから気にしなくていい。では、まずいくつか質問をするからそれに答えてほしい」
「はっ」
 リーナが事前に決めていた質問をし、それにフランが答えていく。ここまで面談した他の竜と違い、従順な上に隠しごともないようだ。リーナに対しても特に思うところはないらしい。
「最後に、何か要望とかはないか?」
「我々として望むことはただ一つ。今後も陛下には城内の警備等は我々にお任せいただきたいということのみです」
 その言葉に、リーナは少し困ったなと思う。
「あー、そのことなんだがな、実は話がある。先に言っておくが、これはお前達シルフィード種がこれまで黒山城の警備を担ってくれたからこそ話すことだ」
「なんでしょうか」
「実は俺は魔力の体内生産が全然できない。代わりに、他から魔力を吸う体質を持っている」
 リーナの言葉にフランの表情が強張る。
「素喰い、ということですか」
 声を低くしてフランが呟いた言葉に、リーナはそうだなと答える。
「そうでしたか。しかし、そうなると、陛下のご家族は」
「俺が生まれた頃なら大罪を犯していたことになるが、大概の罪は皇帝が変わるごとに恩赦となると聞いているから、まあ、見逃してくれ」
「ええ、それは構いませんが。……陛下は、素喰いなのにお強い上、魔法に長けていらっしゃるのですね」
 大概の竜にとって、自己生産したものこそが魔力であり、外から調達された魔力は自身の魔力ではないとされる。そしてその生産量が多いことこそが魔力が高い、強いとされるのだ。実際、自己生産した魔力の方が使い勝手が良く、魔法へ変換もしやすい。他から調達するタイプ、素喰いは魔力を吸いはするものの、その多くは自身の生命活動へ変換するので手一杯で、魔法へ変換することさえおぼつかないため、素喰いすなわち弱者と見られるのだ。その常識からすると、リーナの存在は異例中の異例と言える、とフランは言いたいのだろう。
「俺の場合、他から吸う量も扱える量も他の奴より膨大というだけだ。そうだな、魔力を生産するための器官がない、或いは極端に虚弱な代わりに、魔力を扱ったり貯めるための器官が異様に発達してるとか、そういうところだろうな。詳しく調査したことはないし、したとしても詳細はわからんだろうが」
 何しろリーナが生きているこの時代でも、この世界の竜がどの器官で魔力を生産し扱っているかというのはよくわかっていない。人間側ではその辺りの仕組みを研究している者もいるが、竜はよくも悪くも大雑把なせいで研究が進んでいない。なんとなくできているからできるのだろう、それくらいの認識なのだ。
「体質については完璧にコントロールできているから普段は問題ないが、万が一暴走した時に備えて、魔力が外に出づらい者を中心に雇用したいと思っている」
「なるほど。そうなると、我々はいよいよ伝令くらいになりますか」
「……これは俺の純粋な疑問だ。お前達種族を貶めるつもりの発言ではないことはあらかじめ理解してほしい」
「なんでしょうか」
「シルフィード種はそれなりに魔力の高い個体が多いと聞いている。拡張体を使えば他の竜と同様に働けるんじゃないのか?」
 かねてより思っていた疑問を口にすると、フランはどこか戸惑っているようだった。何を言っているのかかわからないと、そんな風に思っているようだ。
「……陛下、質問に質問を返すことをお許しいただきたいのですが」
「いいぞ」
「かくちょうたい、とは、なんでしょうか」
 思わぬ言葉だった。
「え、知らないのか。拡張体。五年くらい前にキソーから技術報告上げたはずなんだが」
「キソーの技術? いえ、全くの初耳ですが」
「ちょっと待ってろ」
 こういう時は確認した方が早いと、リーナは儀礼長官に念話を飛ばす。
「儀礼長官、今いいか?」
『問題ありません。いかがいたしましたか?』
「約五年前、キソー家が出した技術報告について何か知らないか? 拡張体による個体サイズの格差解消ってタイトルなんだが」
『……タイトルの方は生憎把握しておりませんが、ここ五十年、つまり先代皇帝の御代では技術報告は送られても全て書庫に貯蔵するのみで、誰も目を通しておりませんね』
「どういうことか理解した。今年は忙しいから、来年それの整理をしよう。それと、今言った技術報告は探さなくていい」
『よろしいので?』
「そっちはそっちで今忙しいだろ。それに、探すより原本を出した方が早い。あれを出したのは俺だからな」
『そうでございましたか。後程我々も拝見しても?』
「ああ。それじゃあ邪魔して悪かったな」
 念話を切り、フランの方を向く。
「資料は先代の馬鹿のせいで半ば紛失状態だったから、今口頭で説明しよう。簡単に言うと、竜が使う圧縮体、アレの反対が拡張体だ。と言っても、普通にやるとただのスカスカの張りぼてになる。それはわかるな?」
「肉や骨を形成するための魔力が足りない、足りたとしても強度が下がる、それくらいは想定ができます」
「その通りだ。キソーが出したのは圧縮体と同じく変身魔法の応用としての拡張体で、勿論今挙げてもらった問題も発生する。そこで問題を解決するため、本人に変身魔法を使わせるのではなく、変身するための道具を作った。それがこれだ」
 魔法を使って自室からその装置を引き寄せる。見た目は少し太めの銀の腕輪だ。それをフランに渡す。
「この腕輪で変身できるのですか」
「ああ。この腕輪はいくつか魔法が込められているが、その中の魔力収集魔法だけを発動させれば、あとはその魔法で回収された魔力だけで変身できる」
「それで骨や肉も形成すると?」
「その通り。これに設定されてるのは人間だ。やってみるか?」
「我々は魔力属性の関係で変身魔法は使いづらいのですが」
「そういうやつでも楽に使えるようにしたんだ」
「……では」
「この赤い石を押しながらエグナックって唱えると発動する」
 フランは指示通り赤い石に触れ、呪文を唱える。すると腕輪から霧状の黒いものが吹き出し、それがフランを包む。黒い霧は形を作っていき、段々薄れていく。黒い霧が完全になくなると、そこにはやや浅黒い肌の人間が現れた。身長は一八〇リンメイ程度とリーナより少し大きく、やや筋肉が発達し、力仕事に向いている体格だ。
「おお、設計図通りだな」
「本当に変身できた」
 フランは少し感動している様子だった。自身の手足を眺め、動かしている。
「変身魔法は普段の動きと違うから、変身後は慣らす時間が必要だが、これは、普段と体を動かしているのと変わりないような。不思議な感覚ですね」
 その言葉になるほどと思う。
「圧縮体だとそうだな。あれは確か変身時に自身の認識と実際の体の動きにずれが生じるからどうとか言ってたっけか。これは腕輪の魔法の方でずれを変換してるから、その辺の違和感は少なくなってる」
「これは人間の姿ですが、他の種族にもなれるのですか」
「勿論。術式次第では、他の竜種や獣類にも変身できる。そのためにもずれを少なくする術式を入れてるんだ」
「なるほど。持続時間は?」
「対外的には八時間ってことにしてるが、やろうと思えばずっと変身しっぱなしってのもできる」
「はい?」
 フランが怪訝な顔をしているが、これは仕方ないことなのだ。
 そもそも、この装置は非力な者が他の者達と同様に働けるようにするために作ったものだ。当初は時間無制限で作っていたが、一部の愚か者が詐欺に使おうとしたり、装置を使う者を超過労働させようとしたりと色々問題が発生したため、現在では八時間で効果が切れるように設定している。ということは正直に話さなくていいだろう。
「……まあ、色々あってな。八時間までが一番いいって結論になったんだ」
「そうですか。しかし、それだけ使えれば仕事には充分に使えそうです」
「これならお前達でも他の仕事に就けそうか?」
 訊ねると、フランは目を輝かせて頷く。
「ええ、ええ! 陛下、本当にこれを我々に与えてくれるのですか?」
「どちらかというと技術開示と販売だな。というか、これを売り出すために技術報告を出してたのになあ」
「稼働テストなどは良いのですか?」
「それはキソーが既にやってる。あとは技術報告を国に認めてもらえれば販売というところまで来てるんだが、一向に認可が出ないから改良品がどんどんできてしまって。……あ、改良品のテストをしてもらってもいいか? 小型の竜種用に小さめのものを作ってるんだ」
「この腕輪より小型なのですか」
「ああ。今の開発主任が指輪サイズまで落とし込みたいって頑張ってるんだ。そのサイズとなると流石にどこかしら機能を削らないと難しいからな。その辺の調整に付き合ってもらえると助かる」
「ぜひお願いします。私含め、幾体か選出しましょう」
「できれば五十体くらいに協力してもらえるとありがたい。ただ、そのテストのために蒼塩山脈か葵ヶ原で働いてもらうことになるが」
「それくらい構いませんとも。それで今後我らの血族が自由な選択を得られるというのなら、肉体労働くらいいくらでもしましょう」
 前のめりなくらいに張り切っている姿に、リーナは少し笑みをこぼす。
「そうか。まあ、追って連絡させよう。では雇用に関しては、まずはその改良品のテストになるか」
「改良品のテストの前に、拡張体を使っての労働を我々に体験させてもらうことは可能ですか。拡張体で何ができるのか、どこまでできるのか、体感しておきたいので」
「手配しよう。俺から方方に話は通しておくから、そうだな、まずは城勤めのシルフィード種に声をかけてほしい」
「かしこまりました。確認なのですが、私も参加してもよろしいですか」
「ああ、構わない。あと三ヶ月したら葵ヶ原に薬草の春が来る。繁忙期だから人手はいくらあっても足りないくらいだ」
「ではそれまでに城勤めの者に声をかけ、希望者は葵ヶ原で、そうでない者は一旦領地で休養と連絡しましょう」
「頼んだ。他にシルフィード種で憂いてることなどはないか」
「陛下のお陰で、寧ろ全て晴れたくらいです。改めて御礼を」
「礼は拡張体の体験会と改良品のテストが終わってからにしてくれ」
「ではその時は、我ら種族を挙げて御礼をさせていただきます」
 フランの言いように、リーナはやや失敗したかもしれないと内心思う。
「……まあ、各所で活躍してくれればそれで十分だ」

 その面談以降、シルフィード種やその他体格の小さいものなど向けに拡張体変身道具は爆発的に広がり、これによって体格による労働格差が縮まり、国内の様々な産業に大きな影響を及ぼした。また、後年には拡張体の術式を応用した圧縮体になる術式を組み込んだ変身道具も作成され、逆に体格が大きすぎるが圧縮体になれない者向けに販売され、これも数年以内に国内に普及した。
 そうして変身道具が国内に広く普及した後。

 在位八十年。
 主だった家の代表が集まる家格会議が終わった後、ふと変身道具の話になった時のことだ。
「そういえば、すっかり変身道具が定着したんで、割と体格とか気にしなくてよくなったじゃないですか」
 ラッケン・リカルディという国境伝いの警護を担当する家の代表がそうこぼした。
「まあそうだな」
「うちの鉱山もお陰で人手が確保できて助かった」
「こっそり視察とかにも使えて便利なのよね」
「オレのとこも募集かけやすくなったから助かってます。兵が増えて、交代で休みが取れるようになったし」
「それはよかった」
 国境伝いの警備は体長制限があるため、長年採用の難しさが問題になっていたのだ。変身道具の普及でそれが解決したなら喜ばしいことだ。
「勤務中も休憩とかできるようになったんですけど、そこでなんか、遊興とかもやってまして」
「息抜きができるのはいいことだな」
「はい。でまあ、種族問わず遊興やってるのを見てるとですね、その、人間とかがよくやってる、スポーツってあるじゃないですか」
「ああ、一定のルール下で体を動かして優劣を競う遊興だな」
「変身道具で体格とか身体能力を揃えられる今、オレ達もそういった遊興ができるよなあって思いまして。でも遊興とはいえ、力の優劣ある者同士で戦うことになるんで、一応陛下に許可をいただきたいなあと」
 ラッケンの言葉に、リーナはなるほどと思う。同時に、許可を出さなければならない事項だったかとも思う。
「優劣ある者同士で争うならば皇帝に許可をって制度、あったな。普段使うことがないから忘れてた。俺としては問題ないと思うが、儀礼長官、どうだろうか」
 訊ねると、儀礼長官は少し考えた後、こちらを見る。
「その前に、我々はそのスポーツとやらへの理解が足りないと思うので、説明していただいても?」
 そう言われたので、ラッケンと共にスポーツについて一通り説明し、またいくつかの競技を紹介すると、皆なるほどと頷いていた。
「人間がたまにやってる玉遊びはそれか」
「どれかはわからんが、まあ球を使うものもある。それで、儀礼長官、どうだろうか」
「伺った内容としては遊興の範囲を出ませんし、陛下の許可をいただくまでもないでしょう」
「だそうだ」
「ありがとうございます。じゃあ、帰ったらうちの奴らに自由にやっていいって伝えます」
「あー、ちょっと待て、リカルディ殿」
 なぜかヴォルカがストップをかける。
「な、なんでしょうか」
「俺らにもちょっとやらせてくれねえか、そのスポーツっての」
 ヴォルカの言葉に他の代表らも頷く。どうやらスポーツに興味があるらしい。
「構いませんが。えーと、陛下は」
「入っていいなら入るが」
 一応予定はなかったよなと儀礼長官を見ると、彼はそっと首を横に振った。
「この後技術報告書の精査があることをお忘れですか」
「覚えていなかったが正しいな。そういうわけだから、すまんがリカルディだけで説明してもらっていいか」
「が、頑張ります」
「頼んだぞ」

 数時間後。ようやく精査が終わったところで、まだ家格会議に集まった面々が残っていると聞き、大広場に向かった。すると、そこで人間らの言うところの槍玉突きに興じている者達の姿が見えた。皆変身道具を使っているらしく、一見しただけでは誰が誰かわからない。赤か青の鉢巻きをしているので、それでチーム分けをしているのだろう。それくらいしか区別がつかない。
「随分熱中してるな」
「陛下!」
 思わず言葉を漏らすと、近くにいたラッケンが助かったと言いたげな声をあげる。
「よくわからんが、だいぶ好評のようだな」
「ルール説明して変身道具で体格揃えてもらったまではよかったんですが、その後一戦したら、なんか、皆さん随分夢中になっちゃって。二試合だけって言ってたのに、負けた方がもう一回って言い続けるものだから、遂に十戦目に突入です」
「……普段は圧倒的な力の差があるから諦めもつくが、今回変身道具で同格に揃えたから、同格への闘争本能が発揮されてしまった、というところか」
「恐らく。もうオレじゃあ止められなくて」
「仕方ないな」
 ため息をつき、丁度一区切りついたと思しきタイミングで、誰かが口を開く前に変身道具を強制停止させた。通常はできないことだが、リーナは開発者の一人なので、強制停止方法を知っているのだ。
「お前達、そこまでだ」
 声をかけると、彼らはこちらを見て目を丸くする。
「あれ、陛下? もうお仕事が終わったので」
「お前達が何時間もやりすぎなんだ。もう十戦もやってると聞いたぞ。いい加減各家に帰れ」
「でも陛下、これ面白くて」
「当然だろう。遊興のために作られた競技だぞ。面白くなければとっくの昔に廃れている」
「たかだか人間の考える遊興と思っていましたが、なかなかに興味深いものでした。陛下、これを領内に広めても?」
 どうやらまだやり足りないらしい。それほど、彼らにとってスポーツというのは楽しかったらしい。優劣あるもの同士でも楽しめる娯楽といえばボードゲームの類だけだった彼らにとっては、確かにスポーツというのは新鮮なのだろう。
「広めてもいいが、くれぐれも節度は守れよ。今日みたいに何時間もやられては色々仕事が滞る。あと、必ず変身道具で体格を人間サイズに揃えてからやることと、死者は出すな」
「はっ」
「怪我はいいのか?」
「体を動かすんだから怪我くらいはするだろ。あと、なんか新しいスポーツを教えてもらったとか考案したとかあれば、都度全体に共有すること。その領地だけで楽しむとかはなしだ。他は問題が発生したら都度考えよう。追って正式に布告も出すから、とりあえず今日はもう帰れ」
「はっ」
 皆がうやうやしく返事をしたところで、ヴォルカが「あ」と声をあげる。
「陛下、ここの大広場また借りていいか? 明日もやりてえ」
「……毎日ここに槍玉突きをしに来られても困るから、使用許可は週に一度だけだ」
 ブーイングが上がるのを聞きながら、余計な仕事が増えたかもしれないと、リーナはため息をつきたくなった。

 さて、その後だが、当然ながらスポーツは流行った。
 拡張体によって普段の力量の差を考えなくていいこと、他種族とも気軽に遊べることから、竜だけでなく国内の他種族にも広まったのだ。

 在位八十一年のある日。
 リーナは執務室で書類を見ていると、不意に顔を上げる。
「陛下?」
「儀礼長官、悪いがそこの窓を開けてくれ。その後、壁際に立っておくとより安全だ」
「? はあ」
 不可解だと言いたげだが、彼はリーナの言葉に従い、窓を開けた後壁際に立った。その間に、リーナは書類の山に防御膜を張り、窓の前に立った。その直後、強い風が吹き、リーナの前に何かが飛び込んだ。それは三メイほどの龍だ。腹は白、しかしそれ以外は白と黄、黒、灰色の鱗で覆われ、角やたてがみはない、ただの蛇に近い姿。確かスナモリ種という龍だ。しかしスナモリ種は通常五メイ以上あるので、これは圧縮体なのだろう。
「リオン」
 スナモリ種がそう言うと、リーナは顔をしかめる。
「お前が怒っているのはわかったから、その姿はやめないか。話しづらいだろ」
 リーナの言葉に、スナモリ種の体が少しの間砂になり、それが人間に近い姿となり、やがてその砂が消えると、薄黄色の髪の男が現れた。目鼻立ちはすっきりとしていて、整っている部類だ。リーナよりやや背が高く、体格もがっしりとしているが、不思議と圧迫感はない。その彼はリーナの指摘通り、怒りを顔に出している。
「リオン、オレが怒ってるのはわかるんだな」
「お前がその姿で乗り込んでくる上に、俺をそう呼ぶんだから相当だろう。最近は無茶振りはしてないはずだが」
「お前はな」
 その男の言葉に、リーナは少し考える素振りを見せ、目を丸くする。
「え、あ、そうか。そうだったな」
「そうだったなじゃないんだよ。お陰でオレは毎日毎日拡張体のカスタマイズばっかやる羽目になって、何も研究が進まんのだが?」
「なるほど。それでサギリがそこまで怒ってたわけか。うーん、すまん」
「謝るだけで許す時代はもう過ぎたぞ」
「勿論これだけで済ませるつもりはない」
 リーナがそう言ったところで、儀礼長官が一度咳払いをする。そこでリーナとサギリと呼ばれている男が儀礼長官の方を見る。
「陛下、もしよろしければ紹介していただけないでしょうか。随分と親しい間柄のようですが」
「そういえば、儀礼長官は初めて会うのか」
「そうですね。スナモリ種の方ですかね」
「ああ。サギィ・スナメリ、一応幼馴染で、元番候補。サギィ、いつも世話になってる儀礼長官殿だ」
「どうも。話は聞いてます」
 スナモリ種の男、サギィと紹介された彼は、軽く頭を下げる。
「先程はサギリと呼ばれていたようですが」
「古い呼び名だ。これが俺をリオンと呼んでいたのもその頃の呼び名だから、まあ気にしないでくれ」
「そうですか。それで、番候補とのことですが、陛下が持つには早すぎませんか」
 記憶の限り、リーナはまだ四百歳そこらだったはずだ。しかも元とつくということは、今よりもっと若い時期に候補だったということで、大体番を持つのが六百歳前後であることを考えると早すぎる部類だ。儀礼長官の覚えている限り、キソーの家にそんなに早く番候補を決めるしきたりはなかったはずだが。
「言っておくが、子どもの頃の口約束程度のものだぞ。お互いいい年になって寂しくなったら番になるかって話をしていたんだ。今は俺が皇帝になってしまったから保留状態だが」
「そうでしたか。それで、そんな方がなぜ直訴に?」
 訊ねると、リーナは丁寧に説明してくれた。
 スポーツが流行り、その流れで拡張体のカスタマイズが流行っている。何しろ変身道具を使うと、誰でも同じ見た目になってしまう。労働現場では識別のためにゼッケンをつけるなどの工夫をしているが、折角の遊興ならばもっと派手にしたいと、まずスポーツ用の衣服や装身具が増えた。しかしそれでも物足りない、もっと個性的にしたいということで、そもそも拡張体自体の見た目を変える、つまり術式の変更を行おうということになったそうだ。
 ただ、竜の作る魔法道具は悪用防止のため、術式に変更を加えると暴発する仕組みになっているため、術式の変更は術式の設計者のみが行えるようになっている。そしてこの変身道具の設計者が、今ここにいるサギィなのだという。
「それで彼のもとに、毎日変身道具の改造依頼が届いて忙しくなっていると」
 儀礼長官の言葉にサギィはしかめ面で頷く。
「お陰でお前に頼まれてる別件の研究がまるで進まん。どうにかしてくれないか」
 サギィがリーナに向かってそうこぼすと、彼女は苦笑する。
「悪いな。ひとまず、設計者権限の放棄でもするか?」
「今一番稼いでるのが拡張体周りだから、放棄までするのはちょっときつい。権限分割でコア部分だけ権利残そうかと思ってるんだが、いいか?」
「お前がいいならそれでいいぞ。というか、それくらいなら自分で申請出せばいいだろ」
「横やりを入れられる可能性が高い。というわけで、皇帝権限で分割してほしいと思って来たんだ」
 サギィのその言葉に、リーナが険しい表情になり、それと共に室内の空気が冷えた。
「横やり? 誰が入れるって言うんだ」
「今カスタマイズの依頼を出してる御仁共だ。中にはヤク沙原の上位もいる。オレが申請出すとしたらヤカールからだから、そうなるとちょっとな」
 すると、リーナの表情が緩んだ。
「ああ、なるほど。あいつらか。じゃあ俺が出しておこう。拡張体周りで別件研究の依頼出すためとでも言えば黙るだろ」
「頼んだぞ」
「ああ。というか、それくらいなら手紙でもよかったんじゃないか?」
「ヤカールで手紙を出すと、なぜか返事が来ないからな。それなら直の方がと思ったんだ」
 そう聞いて、リーナは少し黙り込んだ後、ため息をついた。
「……儀礼長官」
「すぐに調べさせましょう」
「同様のことがないか、一応全地域で調査をしてくれ。皇帝への手紙を勝手に読んで握り潰している阿呆が竜だった場合は面談と称して呼び出せ。竜でなかった場合は国外追放の上、所属か出身国に抗議を送る」
「承知しました。抗議文はこちらで作成しますか」
「それは俺がやる。まずは調査を」
「かしこまりました」
「リーナ、忙しいだろうから別にそこまでしなくても」
「私情が混ざってるのは否定できんが、それはそれとして、手紙を勝手に読んで握り潰すのは竜の振る舞いとしては相応しくないだろ。皇帝って、そういうとこの振る舞い指導もしないといけないらしいんだ」
「え、そうなのか?」
 サギィがこちらを見るので、儀礼長官は頷く。
「先の皇帝にはお願いしませんでしたが、本来はそういった職務もあります」
「……あー、そうだな。あれが振る舞い指導とかどの口がって話だもんな。あれに比べたら、リーナの方が品行方正か」
「よく言われる。お陰で多少の失敗もお目こぼししてもらえるから、ある意味助かってる」
 そう言って肩を竦めているが、儀礼長官から見れば実際リーナはよくやっている部類だ。三百歳代という若さで帝位についたが、普通その頃の年代ではまだ庇護を受けている意識が強いため、竜らしく振る舞うなど難しいはずだ。しかし彼女は最初から竜らしい振る舞いをしていたし、多少儀礼関連は疎いものの、教えればすぐに覚え、実践する柔軟さもある。
 そういう意味では、儀礼長官がこれまで仕えてきた皇帝の中では最も優秀と言っていいのではないだろうか。
 そう思うが、その評価は口にせず、ちらりと時間を見る。
「陛下、そろそろ茶会の時間ですが、本日はサギィ殿もご一緒されますか」
 一応訊ねてみると、リーナは少し考え、サギィの方を見る。
「サギィ、どうする? お偉方と腹の探り合いしながら茶と菓子を楽しむ会なんだが」
「その説明のどこに楽しめる要素あるんだよ。オレは策謀とかはできんし、あと菓子も持ってきてねえから今日は遠慮しとく」
「俺も策謀は苦手なんだが」
「まあ頑張れ。暇になったらお前の好きな茶菓子持ってくるから」
 そう言って、サギィは来た時と同じく窓から飛び出し、先程の圧縮体に変身してどこかへ飛んで行った。それを見送り、リーナはふうと息をつく。
「どうにか鎮まったな」
「おや、彼程度、陛下なら一ひねりでは?」
「あいつが怒って暴れると面倒なんだ。相手はスナモリ種だぞ。そこら中砂だらけにされる。しかも、魔法で集められんように魔力加工された砂が」
「……それは、掃除が大変そうですな」
 こちらのコメントに、リーナは全くもってその通りだと重々しく頷いた。
 何も語らないということは、余程面倒だったようだ。
「私も、スナモリ種は怒らせないようにしたいと思います」
「それがいい」

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