『ご飯でも食べない?』
昼頃に来たメールを見て、誠治は珍しいこともあるものだと驚いた。おおよそ、センリから何かに誘われることはない。記憶が確かなら、出会った当初、買い物に付き合わされた時以来だろう。
いつ食べに行くという話はしていないが、近々の予定を思い出し、残業も含めて特に予定はないなと思い、誠治は電話をかける。
『はい、街道です』
いつになく他人行儀な出方に、おやと思いつつ誠治は口を開く。
「今平気か?」
『えっ、あ、小山田さんか』
驚いた声からすると、誰と確認せずに出たらしい。
「都合が悪いならメールにするが」
『いや、大丈夫。あ、メールのこと?』
「ああ。いつと書いてなかったからな」
『そうだった? あー、忘れてたかも。今日とか平気?』
「今のところは大丈夫だ」
『そっか。じゃあ仕事終わったらこの前と同じ待ち合わせ場所で』
「ああ。お前の方は大丈夫なのか」
『夕方にはあがれるから大丈夫。じゃあまたあとでね』
「ああ」
夜、先日と同じ場所にセンリはいた。
「お疲れ様」
「ああ。……珍しい格好だな」
思わずそう言ったのは、センリが真っ黒なスーツを着ていたからだ。仕立てが一般的な男性用スーツに近く、それが不自然に見えない程度にはセンリの体型が中性的なためか、一見すると男に見える。いや、もう少し女性らしい体型だった気がするが、詰め物などしているのだろうか。黒いジャケット、黒いシャツ、黒いネクタイと、どこぞの誰かを思い出す格好で、思わず眉をひそめてしまう。
「仕事着なのこれ。っていっても久々に着たけど。……なんか機嫌悪い?」
「色合いが職場の嫌な奴に似てるから、ちょっとってだけだ。気にするな。で、どこに食べに行くんだ」
「そう? えーとね、お店はこの前見つけた場所なんだけど」
「どのジャンルだ?」
「和食っぽかった。まあとにかく行こう」
「ああ」
駅から五分ほど歩くと四階建ての雑居ビルに着く。そのビルの三階が目的の店だったらしい。
「いらっしゃいませ!」
入ると聞き覚えのある声が店内に響いた。
「お客様何名様、って小山田さん!?」
見ると、会社でも散々見る顔があった。
「副業は禁止のはずだが」
「あれ、お知り合い?」
店員と誠治の顔を見比べて、センリは首を傾げる。確かに、この男と自分は何の接点もないように見える。しかし誠治は目の前の店員を残念ながらよく知っている。
「話したことなかったか。同僚の浅田正彦だ」
「ふうん」
「どうもー、いつも小山田さんにお世話になってます」
挨拶をする浅田の顔を見て、センリは再び首を傾げる。
「ん? 小山田さんと同僚って、つまり同い年?」
「ああ」
「小山田さんっていくつだっけ」
「三十一だ」
「あら、あらあら」
何か言いたげな様子に、誠治は同年代に見えないと言われるのだろうと予想していたが、センリは全く違うことを言った。
「二人ともまだそれくらいなんだ」
「え、もしかしてお兄さん俺達より年上なの?」
直後、浅田の頭に何かが当たるのが見えた。
「いたっ。チエ姉痛いよぉ」
「いつまでもお客様を立たせとくんじゃありません! お客様申し訳ありません。二名様でよろしいですか?」
「あ、はい」
「では空いてる席へどうぞ」
そう言われ、適当に座ったところで誠治は彼女が誰か思い出した。
「浅田の従兄弟の嫁か」
「え、今のお姉さん?」
「ああ」
頷いたところで、席に水が置かれる。
「お、浅田正彦」
「お兄さんさっきはごめんね。ところでお兄さんカタギの人に見えないけど、小山田さんとはどういう知り合い?」
水を出しながら相変わらず失礼なことを言う正彦に対し、センリは慣れたものなのか、それがねと軽い調子で話す。
「川に落ちたところを助けてもらっちゃって」
正確には助けたのではなく、いきなりタオルを貸せと図々しく言われたのだが。
「すごい出会いだね」
「それでタオル借りたのが始まりでね」
更にサンダルも貸した、と内心で思う。
「でもそれで仲良くなれるなんて凄いよ。俺小山田さんとはそれなりの付き合いだけど食事に誘われたことなんてないし」
「ああ、違う違う。こっちが誘ったんだよ」
「俺が誘ってもこの人断るんだよ?」
確かにこの男に誘われたこともあるが、この男と食事をしても異性との色恋の話しかしないだろうという偏見のもと断っていた。この男の世間話は大体そういったことに関するものなのだ。
「小山田さんたまには食事奢ってよ」
「同期に奢る道理はない」
「ほらね?」
「とりつく島もない感じだねえ。あ、そう言えばなんでこんなとこでバイトしてるの? 小山田さんと同じ会社ならそれなりにお金あるだろうに」
それは誠治も気になっていたことだ。すると、浅田はああそれねと困ったような笑みを作る。
「これバイトじゃないんだよ。手伝い。従兄弟の店なんだここ。いつもはそいつがホール回すんだけど、今日は耕太と、ああこっちはうちの料理作ってる人なんだけど、その人と釣りに行っちゃって」
「え、じゃあご飯は」
「それは大丈夫! 基本的にうちはチエ姉ちゃんが作ってるんだ。耕太はその手伝いとか、あと魚料理担当」
「じゃあ魚はなしかな」
「チエ姉ちゃんの作る魚の煮付けはおすすめだよ」
「じゃあそれと、ビール中瓶、グラスは二つ、小山田さん豆腐とか好き?」
唐突に話を振られ、一瞬理解が追いつかなかったが、とりあえず頷く。
「この漬け物盛り合わせと寄せ豆腐お願いします。あとでまた追加するね」
「ありがとうございまーす!」
浅田がいなくなったところで、センリはくすりと笑う。
「どうした」
「だって小山田さんずっと怖い顔だからさ。ごめんね、知り合いがいるとは思わなかったんだ」
どうやら、知り合いがいるから機嫌が悪いと捉えたらしい。だが、誠治としては面白いこともあるものだとは思うが、そんなに機嫌が悪いわけではない。
「むしろお前の方が不愉快なんじゃないか?」
「え、何が?」
「あいつ、ずっとお前のこと男だと思ってるぞ」
「ああ、それ? 慣れてるからいいよ。この格好だと特にね。取引先にもよく間違われるし」
「そうか?」
「そうだよ。あ、もしかして小山田さん、それで機嫌悪いの?」
「いや。そもそも機嫌が悪いわけじゃねえ」
「そお?」
どこか楽しそうにこちらの顔を覗き込むセンリに、さてどういえば納得するだろうかと考えていると、ビール瓶が置かれる。
「おまたせしました。瓶ビールとお通しの切り干し大根です」
持ってきたのは浅田ではなく、若い女だった。
「あれ、浅田さんは?」
「正彦のことでしたら、アレは今は休憩です」
「そうなんだ。残念」
「呼んできましょうか」
「ううん、いいよ」
「何かあれば遠慮なくおっしゃってくださいね。それではごゆっくり」
女がいなくなってからコップにビールを注ぎセンリに渡すと、軽く礼を言ってからグラスを持ち上げる。
「じゃあ、お疲れ様ということで」
「ああ」
カチンとコップを突き合わせ、半分ほど飲んで置いたところで、誠治はそういえばと口を開く。
「浅田に話すことがあったのか」
「ん? いや、会社での小山田さんはどんななんだろうって」
「聞きたかったのか」
「いつもこんなしかめ面なのかなあとか」
「そんなに年中しかめっ面ってわけでもないぞ」
「でも大体、無表情、しかめっ面、ちょっと微笑みくらいじゃん。他の表情はあんまり見ないからさ」
「そうだったか」
「うん」
「失礼します。お待たせしました、漬け物盛り合わせと寄せ豆腐です」
先程の女が皿と鉢をテーブルに置いていく。
「きたきた。いただきます」
「盛るのは任せた」
「はーい」
寄せ豆腐を二等分し、センリは豆腐の入った鉢をそれぞれの前に置く。それを見て、誠治は相変わらずうまいものだと感心する。何度か食事をしていてわかったことだが、センリは人数分に料理を分けるのがうまいのだ。毎回きっちり二等分で、聞けば三等分でも四等分でも問題ないと言っていた。グラム数までは一緒にできないがと言っていたが、そこも揃えられるようになったらどこか食品工場にでも勤められるだろうと冗談を言ったこともある。
「おいしいね」
「まあまあだな」
「小山田さんはいつもそれだねえ」
困ったように言われるが、誠治としてはそうとしか評価ができないのだから仕方ない。味にはこだわらない方で、外食に関しては食えればいいという大雑把な価値観しかない。以前は心からおいしいと思うこともあったのだが、今ではさっぱりだ。
「そうとしか言えないからな」
「その割に野菜作りは好きなんだからわかんないよねえ」
「あれは」
言葉の途中で、誠治ははてと思う。そういえば、どうして自分は野菜を作っているのだろうか。別に実家が農家というわけではない。食にもあまりこだわらない。ではなぜ、あれだけ野菜作りに熱を上げているのだろうか。何か、理由があっただろうか。
「小山田さん」
声をかけられ、ぼんやりとセンリの顔を見ると、豆腐と言われる。
「落ちそうだよ、豆腐」
見ると、豆腐が崩れそうになっている。それを食べて、誠治はもう一度理由を考えようと思ったところで、センリがビール瓶をこちらに傾ける。
「あいてるよ」
そう言って、センリは誠治のコップにビールを注ぐ。それをぼんやり眺めていて、誠治はあまり深く考えなくてもいいかと、なぜかそう思うようになった。
この店の料理はセンリの好みらしく、何品か追加で注文していた。その間、誠治はやはり可もなく不可もなくといった感想を持ちつつ、料理を食べていく。
「小山田さんって年末は帰ったりするの?」
「いや、あの家が生家だからな」
そう言うと、センリはへえと目を細める。
「親は?」
「二人とも何年か前に事故に巻き込まれて亡くなってる」
「そうなんだ」
その反応に、誠治は少しだけ奇妙に思う。誠治が両親のことを話すと大体の者は何らかの反応をするのに、センリはただの世間話を聞いたような反応だ。誠治としては変な顔をされないのはありがたいが、それにしてもと少しばかり違和感がある。
「お前はどうなんだ」
「ん? 帰る実家がないから、年末年始はお仕事だよ」
「帰る実家がない?」
「焼かれちゃって」
あっけらかんと話す様子に、なるほど先程の話題でセンリの反応があっさりしているわけだと反応に納得する。
「放火か」
「似たようなもん。まあ両親は元々いないから、家財道具と住む家がなくなっちゃった程度だったけどね」
「そうか。それでも、休みはあるだろ」
だが、センリは首を振る。
「いやいや、これが年末年始は忙しくてねえ。あとご隠居が年明けに来るとか言ってたから、それに向けて片付けも並行してやらないと」
「ご隠居って、お前の幼馴染か」
「そう。暇だからってさ。そりゃああの人は暇だろうけど、こっちはそんなに暇じゃないから困っちゃうよ」
「だが嬉しそうだな」
「久しぶりに幼馴染に会えるからね」
「誕生日プレゼント渡したり、スカートの件は?」
「どっちも直接は会ってないよ。宅配で送って、電話が来たくらい」
「どんな奴なのか、一度見てみたいな」
すると、センリは予想外だったらしく、目を丸くしている。
「どうした」
「いや、小山田さんがそんなこと言うなんてと思って」
「どうも俺だけ一方的に知られてるからな」
「こっちのこと知りたいって?」
にやにや笑うセンリに、さあなと濁しておく。すると、おやとセンリは首を傾げる。
「小山田さんが知りたいなら、特別に教えてあげなくもないけど」
「へー、聞きたいな」
突如割って入った声に、センリはえーと返す。
「ほぼ見ず知らずの浅田さんに教える道理はないと思うけど?」
見ると、浅田がテーブルの横にいる。
「だってお兄さん不思議なんだもん」
「そう? いたって普通だと思うけど」
「全然普通じゃないよ。だってあの小山田さんと仲良く食事ってさあ」
「あの小山田さんの『あの』の部分がどれなのかよくわかんないけど、小山田さん結構普通でしょ?」
「普通かなあ」
「普通だよ。至って普通の、人間さ」
「その言い方だと、まるでお兄さんが普通の人間じゃないみたいだね」
浅田は冗談のつもりで言ったのだろう。誠治ですら冗談とわかっていたし、恐らくセンリも軽い調子でやだなあとかそういった言葉を口にするに違いないと思った。しかし、センリはひどく真面目な表情で、だったらどうすると首を傾げる。
「普通の人間じゃなかったら、どうする?」
「どうするって」
動揺して、ひたすらこちらに助けを求めているが、これに関しては誠治も助けようがない。そもそも、センリがそんなことを言うとは思っていなかった。
困惑していると、センリはふっと笑う。
「なーんてね。お返し。あ、さっきのと同じの、お願いできる?」
グラスをカラカラと振るセンリをぼんやりと見てから、浅田ははっと目を瞠目して、口を開く。
「え、あ、はい。じゃあすぐに持ってくるね」
「よろしくー」
浅田を見送ってから、センリは息をつく。
「どうした」
「いや、どうしたもんかねえと思って」
「何がだ」
「ちょっとあの人のテンションに合わせるのしんどくなってきたから」
「合わせなくてもいいと思うが」
「あと、いつネタばらししようかなって」
「別にしなくてもいいんじゃないか。もう会うこともないだろうし」
「いやいや、人生何があるかわかんないからねえ」
そう言いつつ、センリはグラスの中の氷を転がした。