ある美しい物語

とあるおじいさんとおばあさんのお話。
「よくある完璧で美しい物語」をテーマにして書いたものです。

 昔々、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんはかつて野球選手で、第一線級の活躍をしていた人でした。体力の限界から野球選手を辞してからは指導者の道に進み、若い子らをよく指導し、やはり名選手へと育て上げる、それはそれはとても立派な人でした。そしておばあさんは、そんなおじいさんを陰日向でよく支え、しかし自身を出すことは控えめな、それはそれはよくできたお嫁さんだと周囲に評される人でした。
 おじいさんは年を取り、おじいさんのお父さんが死んでしまったのをを機に指導者からも引退し、完全に野球から離れてしまいました。思えば、父親をはじめとした周りからの期待に応えてこれまで歩んできたのだ、これからは自身が本当にやりたいことを探してみたいと思うと、そんなことを周囲には話していました。
 余生は静かに過ごそう。おじいさんはそう思っていましたが、それは思わぬ形で覆されることになりました。
「源二郎さん」
 おじいさんが家にずっといるようになってから一ヶ月経った朝、おばあさんが話しかけてきました。
「なんだい」
「源二郎さん、あなた本当に野球はすっぱりお辞めになったんですね」
「そうだ。これからは、野球ではない何か別のことをやろうと思ってる」
「それについて、何か目処は立ってますか?」
「……それはまだだが」
「では、お願いがあるのです」
 その言葉に、おじいさんは知らず姿勢を正してしまいます。というのも、この一ヶ月、色々世間というものを今更ながら勉強していたおじいさんは、退職してしばらくすると妻から別れを切り出される、すなわち熟年離婚というものを密かに懸念していました。結婚してから数十年、おばあさんをないがしろにしていたわけではありませんが、それでも大切にしていたとは言い難い結婚生活を送ってきた自覚があったのです。だから、おばあさんからもし離婚を言い渡されたらどうしようと、ずっと考えていたのです。
「お願いとは」
「朝の二十分でいいんです。私の話を聞いてくれませんか」
 おばあさんの言葉は思いがけないものでした。
「話を聞く?」
「ええ。結婚してかれこれ四十五年、源二郎さんのお話はたっぷり聞かせてもらいました。これからは源二郎さん、お暇でしょう? だから、今度は私の話を聞いてほしいのです」
「話を聞くだけでいいのか」
「大事なことですよ。私、この四十五年でおじいさんにお話ししたいこと、いっぱいあったし、それを逐一覚えてますから」
「そうか」
「なんですか、その安心したって顔は」
「離婚でも切り出されるのかと」
 ぽろっと本音を話すと、おばあさんはけらけらと笑い始めました。それは二人がまだ若かった頃に聞いた笑い声と同じでした。
「源二郎さんったら、私が熟年離婚でも迫るって思ったんですか? 私言ったじゃないですか。例えどんな苦難を歩まされても、あなたの死に顔を見るその時まで一緒にいるわって」
 そしてそれはプロポーズの時に聞いた言葉でした。
「そ、そうか」
「ええ。そんな悲観的にならないで。それでどうかしら、私のお話、聞いてくださるかしら」
「ああ、聞こう。やよいさんの話を聞かせてくれ」
 頷けば、おばあさんはそれはそれは嬉しそうに頷きました。その姿を見て、おじいさんはやっぱりおばあさんこそ世界一美しいと思うのでした。

 それからというもの、天気が悪くない時は散歩がてら、天気が悪い時はゆっくりお茶を飲みながら、朝の二十分、おじいさんはおばあさんの話を聞いていました。
 ずっと覚えていたというのは嘘ではなかったらしく、おばあさんの話題は本当にたくさんありました。結婚した当初のこと、新婚旅行の思い出、子どもを授かった時、子どもが生まれて子育てで大変だった時、おじいさんが成績不振で少し落ち込んでいた時、子どもが非行に走ってしまった時、おじいさんに不倫疑惑が持ち上がって結局誤解だとわかった時、子ども達が結婚相手を連れてきてくれた時、おじいさんが野球を辞めた時、孫が生まれた時、おじいさんが指導した子がプロになった時、おじいさんが勲章をもらった時と、それはもう色々と話してくれました。しかし、それでも半年もすれば話したかったことは話し終えてしまいました。そうなると、おばあさんは今度は自分が読んだ本の話、テレビやインターネットで見た話題などを話し始めました。おじいさんは知りませんでしたが、おばあさんは本がとても好きで、おじいさんがいない昼間は図書館に行ってはいろんな本を読んでいたのだと言われました。そう言われれば、おじいさんとおばあさんの子どもの一人がやたらよく本を読む子で、おじいさんは内心不思議に思っていたのですが、それは恐らくおばあさんの影響だったのだろうと、ここに至って理解したのでした。
 おばあさんは小説や歴史書が好きなようで、その辺のことがよく話題に出ました。そんなおばあさんに影響されて、おじいさんも次第に図書館に通うようになりました。勿論おばあさんと二人で。おばあさんはその度に図書館デートだわとはしゃいだ様子で、おじいさんはそんなおばあさんが宇宙一可憐だなと内心思っていました。
 その内、おばあさんはどこか恥ずかしそうに、こんな話を考えたのだけどと、自身が考えたお話を話し始めました。それはとても素敵な話ばかりで、おばあさんにはこんな風に世界が見えているのかと、おじいさんはおばあさんが眩しく思えるほどでした。おばあさんの考えるお話は多岐に渡り、まるで聞いたことのないお話もあれば、時には過去おばあさんが話していた本を思わせるようなものもありましたが、どれもおじいさんは楽しく聞いていました。

 そうして、朝の二十分、おばあさんの話を聞くようになって、丸二年。
 その日の朝、おばあさんはいつものようにお話を終えると、ふと視線を落とし、口を開きました。
「源二郎さん、私ね、実はずっと賭けをしていたの」
「賭け?」
「源二郎さんはとても素敵な人だわ。そしてここまで、ずっと苦労をなさっていた。ずっと隣でそれを見ていたのですから、その辺のことは世界の誰よりも知っている自負があります。でも、だからこそ、これから先、源二郎さんには笑って余生を過ごしてほしいと思っていたの。それに、あなたの周りにはとても素敵な人がいっぱいいるわ。私ね、そこで自信がなくなっちゃって。私、これまで源二郎さんを支えられればと思っていたけど、これから先、源二郎さんを笑顔にできるかしらって。源二郎さんがなかなか笑わない方だというのは存じてますから、そこは誰であれ難しいでしょうが、源二郎さん、指導なさっている方とかには笑顔を見せることがあるでしょう? だから、私、この朝の二十分で、一度でも源二郎さんを笑わせることができなかったら、その方達に源二郎さんを譲ろうと思って」
「思って、どうするつもりだい」
「別居か、あるいはまた指導者に戻ってもらうとか。勿論死に顔を見るまで離れたくはないから、お世話はさせてもらうつもりだけども。ともかく、源二郎さんが私に気を遣わなくていい環境を作りたいと思って」
 おばあさんの言葉に、おじいさんは少し後悔しました。ここまで何も言わないでおばあさんの話を聞いていましたが、それだけでは良くなかったのです。
「やよいさん」
「はい」
「俺がそんなに笑わないことは、君もよく知っていると言っていたね」
「はい」
「俺はね、これでもやよいさんが世界で一番美しいと思っているし、宇宙で一番可憐な人だと思っている。そんなあなたの前だから、あなたが一番かっこいいといった姿で常にいようと、そう思っていたんだ」
 おじいさんの言葉に、おばあさんは顔をあげ、目を丸くしました。
「そ、そうなのですか」
「ああ。言わなかっただろうか」
「そんなことはちっとも。これまで一度も」
「む、そうだったか。それは済まなかった」
「……本当にそんなこと思っていたのですか?」
 にわかに信じがたいといった様子のおばあさんに、おじいさんはこれはいけないと思いました。
「やよいさん、これは心からの気持ちだ。でも不安に思うなら、今すぐ紙にしたためてくるから、明日の朝まで待ってもらえるか。これからの話はその後にしよう」
 そう言って、おじいさんはほとんど使わない書斎に駆け込み、そこにある便箋を見て、これでは足りないと、家のファックスに差し込まれているA4用紙を引っ張り出し、そこにおばあさんへの言葉を書き綴りました。寝食も忘れておばあさんに注意されながら書き綴った紙は束ねればちょっとした辞書くらいの厚みになってしまいましたが、おじいさんはそれでもまだ足りないくらいでした。しかし翌日の朝という締切が来てしまったので、おじいさんはその束を持っておばあさんの対面に座りました。
「君に伝えていなかった、四十五年と二年分のラブレターだ。ちょっと足りないから、また後日書き足させてほしいが」
 おばあさんは紙の束を受け取り、それを一枚二枚三枚とめくり、そこから一気に最後の紙をめくったところで、ぷっと吹き出して笑い始めました。
「最初にもらったラブレターも大作だったのに、それ以上の超大作ができましたね」
「あの頃より字はうまくなったと思わないか」
「確かに、あの頃より読みやすい字です」
 おばあさんはけらけらと笑いながら、愛おしそうに紙の束を撫でました。
「これは、あとでゆっくり読ませてもらいます」
「ああ。それでやよいさん、これからのことだが」
「それはこれからゆっくり話しましょう。二十分と言わず、心ゆくまで」

 それからというもの、おじいさんとおばあさんはお互いに様々な話をするようになりました。ただそれでも、朝の二十分、おじいさんがおばあさんの話を聞く習慣だけは変わりませんでした。そしてそこに、夜寝る前の二十分、今度はおばあさんがおじいさんの話を聞く習慣が増えました。二人での会話が増え、お互いがお互いの願いを聞いて実行に移すことも増えました。例えば、週に一度二人で料理をしたり、月に一度野球観戦デートをしたり、半年に一度旅行に行ったり、年に一度うんとお洒落をして写真を撮ったり。

 そんな日々がずっと続くのだと、おじいさんもおばあさんも思っていました。

 しかし、ある年、おばあさんが倒れてしまいました。幸い、そのまま亡くなることはなかったのですが、それを機に、おばあさんは徐々に記憶を失っていきました。最初はらしくない物忘れでしたが、段々子ども達やおじいさんのことも忘れていくようになりました。その際のおばあさんの変わりようを見てか、周囲はおじいさんを心配し、おばあさんを介護施設に預けた方がいいのではないかと言っていました。しかしおじいさんは断固として譲らず、ずっとおばあさんのお世話をしていました。幸いというか、まるで見越したかのようにおばあさんが「もしも自分が源二郎さんのお世話をできなくなった時のため」と残したノートがあったので、生活のことはなんとかおじいさんだけでもできるようになりました。ただ、おじいさんを忘れてしまったおばあさんの世話をするのはとても大変で、時におばあさんの癇癪に呼応するようにおじいさんも声を荒げてしまう場面もありました。それでも、おじいさんはおばあさんを介護施設に預けることはしませんでした。
 それに、おじいさんは朝と夜の習慣もやめませんでした。朝の二十分、おばあさんに「なんでもいいからお話をしてくれないかな。君の話を聞きたいんだ」とお願いし、夜の二十分はおじいさんがおばあさんを寝かしつけるようにしながらお話をしていました。その中で、おじいさんはかつておばあさんから聞いた話も披露し、それにおばあさんが喜んでいるのを見ては、胸がいっぱいになりながら眠りについていました。

 ある日。珍しく機嫌の良いおばあさんにお願いされ、おじいさんはおばあさんと二人で散歩に行きました。この頃には、おばあさんは自身を十代だと思うようになり、そしておじいさんのことはおじいさんのおじいさんだと思うようになっていました。今おじいさんは遠方のチームに所属していて、その間病気になったおばあさんを代わりにおじいさんのおじいさんがお世話していると、彼女の中ではそうなっていました。
「源二郎さん、早く帰ってこないかしら」
 おばあさんはそう言いながら、桜の下をのんびり歩いています。その様子を見て、おじいさんはまるで桜の精だと心から思うのでした。
「おじい様、どうかなさったの?」
「君が桜の精だと言われても、俺は信じるだろうなと」
「まあ。相変わらずお上手」
 クスクスと笑うおばあさんを見て、おじいさんはやはりもっと連れ出してあげればよかったと思っていました。
「また天気が良かったら来ようか。そうだ、写真も撮ろう。源二郎に、見せてやりたいだろう」
「そうですね。それで、帰ってきてくれたらいいのだけど」
「ああ、きっとすっ飛んでくるよ。カメラはまた今度持ってくるから」
「はい。それにしても、おじい様は素敵な方ですね」
「そうかな」
「ええ。きっと、源二郎さんもお年を召されたら、おじい様のようになるのでしょうね」
「……ああ、きっと」
 頷き、こみあげてきたものをごまかすようにおじいさんが桜を見上げると、おばあさんがぽつりと呟きました。
「おじい様の頃になっても、まだ野球をやっているのかしら」
「ん? どうかしたのかい」
 おじいさんがおばあさんを見ると、おばあさんは少し申し訳なさそうな表情を浮かべていました。
「こんなこと、おじい様にお話する内容じゃないと思うんですが」
「いいんだ。君の話はいつでも、なんでも聞きたい」
 続きを促すと、おばあさんはこくりと頷いて、まるで罪を告白するかのように、声の調子を落として話し始めました。
「私、本当は野球があまり好きではないのです」
「え」
 かなり衝撃的な告白でした。おじいさんは驚いて目を丸くしますが、おばあさんはそんなおじいさんに弁解するように言葉を続けます。
「野球は、源二郎さんが夢中なものでしょう。私、ありていに言って、嫉妬してるんです。野球がなければ、源二郎さんはもっと私の隣にいてくれるのにとか、野球さえやってなければ、源二郎さんがかっこいいところを他の方が見ることもないのにとか、そんなことを。源二郎さんが傍にいない時間が増えるほど、そんなことを思うのです。今だって、私は放っておかれたようなもので」
「そんなことはない!」
 おじいさんは強い声で否定し、おばあさんをぎゅっと抱きしめました。
「そんなことはない。俺は、いつだってやよいさんを一番に思ってる。野球だって、やよいさんがかっこいいって言ってくれるから続けていたんだ。やよいさんが嫌なら、いつだって辞めてよかった。そ、それを言わなかったのは本当に申し訳ない。それで君を不安にさせていたのなら尚更だ。全面的に俺が悪い。すまない。君をそんなに不安にさせていたとは、俺は世界一の馬鹿野郎だ」
 つらつらとそう言って、はたと気付いて、おじいさんはおばあさんから離れようとしました。よく考えれば、おばあさんの中ではおじいさんは夫の祖父であって夫その人ではないのです。これは怖がらせてしまっただろうと、離れようとしましたが、おばあさんがおじいさんの袖をぎゅっと握り、おじいさんを見上げていました。
 その表情は、迷子の子どもがやっと親を見つけた時のような、そんな表情でした。
「あ、源二郎さん? か、帰ってきてくれたのね」
 この瞬間だけ、おばあさんにはおじいさんが夫に見えているようでした。おじいさんはおばあさんの目をじっと見つめて、口を開きました。
「やよいさん、君が他の何を忘れたっていい。俺のことだって。いや忘れてほしくないけど、でもそれは仕方ない。それでも、これだけ、大沼源二郎は誰よりも栗木やよいさんを愛していて、それで大沼やよいさんになってほしいと願った。一生傍にいてほしいと、君さえいれば他の何がなくなっても構わないと、本気でそう思っている。やよいさん、信じられないかも知れないけど、そのことだけは、ずっと覚えていて。忘れないでください」
 半ば懇願するようなおじいさんを見て、おばあさんはふっと笑い、おじいさんの手を取りました。
「わかりました。それだけは、絶対に忘れません。だから、源二郎さんも覚えていて。私は、野球に嫉妬してしまうくらい、源二郎さんのことを愛しています。誰よりも、きっと、あなたに才能を与えた神様よりも。そのことを、ずっと覚えていて」
「ああ、ああ。ずっと、きっと死のうとも忘れないよ」

 それから数日もしない内に、おばあさんは再び倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。

 おばあさんがふと目を開けると、そこにはホタルのような淡い光を放つ丸い球体が浮かんでいました。
「あら」
「やあこんにちは」
「こんにちは。あの、ここはどこかしら。源二郎さん、大沼源二郎という方を知らないかしら。私、その人のとこにいないと」
「ああ、申し訳ないが、それはできないんだ。君は死んでしまった。わかるかな」
 そう言われ、おばあさんは周囲をきょろきょろと見て、周りに何もないこと、ただ暖かな光だけがあることを確認すると、へたりこんでしまいました。
「死んでしまったの、私」
「ああ」
「源二郎さんを置いて?」
「そう。葬式の時、君の夫は君と同じ棺桶に入ろうとして周りに止められていたよ」
「……そう」
 おじいさんらしいと、おばあさんは微笑みながら、しかしとても寂しい気持ちでいっぱいでした。
「私がそれをする予定だったのに。源二郎さんの死に顔を見て、たくさん泣いて、それでも葬式はしゃんとこなして、でも源二郎さんが焼かれる直前に一緒に棺桶に入ると駄々をこねて、周りを困らせる予定だったのに」
「随分具体的に困らせる気だったね」
「そうするつもりだったの。私は、源二郎さんがいない世界に耐えられないもの」
「そうか。君達夫婦は揃って情熱的だったんだね」
「神様にそう言われるのはなんだか恥ずかしいわ」
「おや、私が神だと言ったかな?」
「そういうものなのではないのですか。もしくは悪魔か、死神かしら。でも悪魔や死神がこんな素敵な空間を演出できるかしら」
「はは、なるほど。まあ、神のようなものだと思ってくれてもいいよ」
「はあ。私、神様に目をかけてもらえるようなこと、したかしら」
「したとも。君は善良なる魂を持ったままこの世を去った。そういった者にはね、ご褒美をあげるんだ」
「ご褒美」
「君、確かライトノベルとかも嗜んでいたよね。異世界転生って言えばわかる?」
 その言葉に、おばあさんはかなり嫌そうな顔をしました。
「……存じているといえば、そうですね。私、それをやるんですか? ちょっと、嫌なんですが」
「そうなのかい。昨今の若者とかは随分喜ぶけど」
「それは彼らの価値観でしょう。私は、源二郎さんがいないならどこも一緒ですから」
「本当に情熱的だな。まあ、大沼源二郎も善良なる魂の持ち主だ、このままいけば彼も対象者となるだろう。でも彼が君と同じ世界を選ぶとは限らない」
「……そうでしょうね」
「あとライトノベルでいうところの異世界転生とは少し違う。君は好きな世界を指定して、私がそこに君の魂を飛ばす。行った先で魂が無事人間に定着するかはわからない」
「はあ、本来の輪廻転生のようで、少し違うような。私は行き先を指定するだけですか」
「うん」
「行き先を選ばないということは? つまり、その、行かないという選択肢は」
「悪いがそれは無理だ。君はその善良なる魂を他の世界にもお裾分けするために、行かなければならない」
「そうですか」
 それならば、生まれ変わってもおじいさんと一緒になることはないのだろうと、おばあさんは悲しくなってしまいました。
「記憶は引き継ぐのでしょうか」
「魂に刻まれたものは多少は残るだろうが、生きている間にそれを思い出すことはまずないと思っていい」
「あ、一応思い出す可能性はあるんですね」
「でも可能性は低いよ。そうだな、たまたま同じ世界から転生してきた親しい人と出会ったとか、そういったことがあれば思い出すかもね。魂は出会えば震えるものだ。出会ったそれが元は同じ世界であったと言うなら、共鳴もしやすいだろう」
「なんだか不思議な仕組みなんですね」
「神が考えた仕組みだ。君達が理解できるものではない。他に質問はあるかな。本来は使者がやるものだけど、今回は私がここにいるからね、なんでも答えてあげるよ」
「では、なぜあなたが直接来たのですか。先程、目をかけてもらうようなことをしたとおっしゃってましたけど、私、とんと心当たりがなくて」
「神の気まぐれに人の理解など及びもつかないよといつもなら言うところだが、今回は特別だからね、教えてあげよう。神よりも大沼源二郎を愛していると言いきった、その度胸に感心したんだ。実際大沼源二郎を贔屓にしていたやつはマウントを取っていたが、あれは面白かった。君のおかげで面白いものが二つも見れた。そのお礼を言いたかったんだろうな私は」
「はあ。神様相手でも、源二郎さんについては譲りませんが」
「ああ、それでいい。その傲慢さこそが人間の味の一つだ。っと、さて、早くしないとそのマウント取ってきたやつが来るから、君の行き先を聞いてもいいかな」
 そう言われ、おばあさんは考えました。自身が行きたい場所など、おじいさんのそばしかありえません。でもそれは今後叶わないのでしょう。ならば、と。
「神様、もし存在するのならば、私は」
 そうして、行きたい世界を告げると、光の玉は強く明滅します。それは笑っているようにも思えました。
「そうか、君はそう願うか。いいだろう、君が望む世界へ、君の魂を導こう。さあ、良き旅を」
 光の玉から強い光が放たれ、おばあさんの視界を真っ白に染め上げていく中、おばあさんはそっとおじいさんの名前を呼び、おじいさんの幸福を祈りました。

 

〜蛇足〜

 とある世界にて。
 魔物が次々と襲いかかる人魔最前線で戦う人達がいました。
「団長、このままじゃジリ貧だ! 一回下がらねえと!」
 団長と呼びかけられたのは赤褐色の鎧を着用した女性でした。その女性は身に釣り合わぬほどの大剣を持ち上げ、周囲を一掃します。
「お前達は下がれ! 私がここを引き受ける!」
「そんな無茶な!」
「下がるにしても誰かがここに残らないとだめだ。お前達では時間稼ぎにもならない。ならば私が」
「団長を死なせるわけにはいきません!」
「騎士団長はお前達でも務まる。だが、この場を押し止めるには私以外この場には」
「いいえ、大丈夫です。我々が援護します。なので、アザレア騎士団団長様はお下がりを」
 そんな声が聞こえたかと思うと、後方から大量の火球が飛び、またこちらに迫ろうとしていた魔物達を全て焼き尽くしました。
「な」
 何が起こったのかと女性が振り返ると、そこには白いローブをまとった一団がいました。白いローブ、その縁を飾る金色と銀色の刺繍とくれば、この世界では一つしか思い当たりません。世界的に信仰されているトリウィア教のお抱え魔道士団。
「トリウィア教団魔導軍か!」
 兵の一人がそう言うと、白いローブの一団の中から一人がこちらに進んできました。
「はい。この度、ヘカトス教皇様より人魔最前線への参戦が認められましたので、早速足を運ばせていただいた次第です。アザレア騎士団団長ジーニア・ポンビッド様、撤退のための足止めは我々にお任せを」
 そう言って白いローブの人が女性の顔を見て、二人の目が合った瞬間、二人ははっと表情を変えたのです。
「源二郎さん?」
「やよいさん?」

「まさかこんなことが起こるなんて」
 しみじみとそう言う男性は、かつてはおばあさんであり、今はトリウィア教団魔導軍前線隊長となっているアレス・ナッチェス。
「ああ、本当に。まさか、やよいさんもこの世界にいたとは」
 どこかショックを受けた表情の女性は、かつてはおじいさんであり、今は人魔最前線人界連合軍アザレア騎士団団長となっているジーニア・ポンビッド。
「源二郎さんも、神様にどこか別の世界に行ってくれと頼まれたんですよね」
「そうなる。やよいさんもそうだったのか」
「ええ。私、とても源二郎さんには会えない世界を指定したはずなんですが」
「野球がない世界かな」
 元おじいさん、ジーニアさんの言葉に元おばあさんアレスさんがはっとした表情になります。
「どうして」
「野球が好きではないと聞いたから、そうではないかなと」
「待って、私そんなこと一度も」
「その、君、最後は健忘症を患っていただろう。その時に聞いたんだ」
「ボケるもんじゃないですね」
「君のお世話ができてとても楽しかったよ。勿論大変なこともあったけど、でも今となっては些細なことだ」
「恥ずかしいなあ。本当は私がお世話する予定だったのに」
「人生はままならないものだよ」
「そうですね。二人揃って奇しくも同じ世界に生まれて、こうして再会することだって人生計画になかったし」
「参考までに、今生の君の人生計画を聞かせてもらっても?」
「ここまでは予定通りというか、まあ目指すところまで来ました。この後は人魔最前線をできる限り押し上げて、適当なところで腕とか足とか切り落としてもらって、引退して教団の持ってる蔵書を管理する仕事に就く予定です。えーと、ポンビッドさんには人生計画とかあります?」
「ジーニアでいいよ。代わりに私もアレスさんと呼ばせてくれ。私はこの戦場で死ぬ予定だったから、人生計画も何もないかな。でも、ちょっと予定を変えようかと思ってる」
「奇遇ですね。私も人生計画を変えようかなと思ってるんです」
「そ、そうなのか」
「はい。もしジーニアさんがよければでいいんですが、あなたを私の人生計画に組み込んでも?」
「私も同じ提案をしようと思っていた。いいだろうか」
「ええ、喜んで。ではまず、人魔最前線、なんとかしましょうか。そうして、まずはお互いのことを話しましょう」
「ああ。君に話したいことがいっぱいあるんだ」
「私もです」
「ではそのために、まずは、この戦いを終わらせよう」
「はい」

 それから一年後、人魔最前線はアザレア騎士団とトリウィア教団魔導軍の活躍によって押し上げられ、遂に魔物達は魔界へと追いやられ、魔界と人界の境界には厳重な封印が施されました。それから今度は人界側で、とある国ととある教団が戦争を起こしたりしていましたが、おじいさんとおばあさん、もとい、ジーニアさんとアレスさんはそれぞれの職場を辞し、二人で手を取り合って辺境の土地に引っ越し、そこで末永く暮らしたのでした。
 めでたしめでたし。

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