招猫之怪

化け物屋敷の招き猫、猫になりて人の世を行く。行く先々、あらゆるものを招くその猫は、何処へ行くのやら。

 辻の化け物屋敷には、古くから狐狸の類が出入りし、人を化かすのだと人は噂する。
 真実を知る我が身としては、噂を聞くだけでそれは滑稽な話ではある。
 結論を言えば、化け物屋敷に狐狸の類は出没するが、ヤツらはねぐらとしているだけで、決して人を化かしたりなどはしない。
 しかし、化け物屋敷に化け物がいるのは確かであろう。
 この化け物屋敷は古くからここにあり、その以前、化け物屋敷でなく人の屋敷であった頃より置き去りにされたものがあるのだ。その多くは風雨や獣によって破損したが、今も原型を留めるものがある。
 それらは魂を得て、人でいうところの付喪神となった。
 その内の一つが、私だ。
 人は私を『招き猫』という。

「たまちゃん、おいでー」
 声をかけられても、私は聞こえないふりをして、先を急ぐ。
 先程の声は魚をくれる少女であったかと思ったが、今は先を急がねばならないのだ。
 早足に小道を通り過ぎ、五回角を曲がる。
 着いたのは我が屋敷、辻の化け物屋敷、ではなく、レストランとやらである。
「お、たま。また来たのか?」
 頭を撫でようとする店主をじっと見つめる。店主も心得たもので、それだけで私の言いたいところを察してくれる。
「わかってるよ。お前の目的はこれだろ」
 なんとも言いえぬ笑みを浮かべ、店主は厨房に入る。
 程なくして、店主はふやけた煮干を出してきた。
 うむ、これである。いつもかたじけない。
 伝わらないだろうが、それでも一声感謝を述べ、煮干にかぶりついた。ここの煮干はうまいのだ。
「にしても、客来ないなー。お客はたまだけだよ」
 溜め息混じりにその声を聞き、私は一旦煮干から離れ、店を見た。
 確かに、店内には誰もいない。
「この調子じゃ、もうこの店は畳むかなあ。でもなあ」
 思い悩んでいる店主を見て、これはいけないと思う。
 この店主が店を畳むということは、つまり煮干が食えないということではないか。折角の楽しみがなくなってしまう。
 ううむ、これはゆゆしき事態だ。
「ニャア」
 私は声を上げ、店主に擦り寄った。
「お、どうした? もう煮干はないぞ」
 うむ、それは知っておる。店主がくれるのは一日十煮干だ。それは先程平らげた。
 と、そうではない。私が言いたいのは、私を暫くここに置いておけということだ。
 こういう時、獣の姿は不便だ。しかし自らこの姿を選んだのだから、仕方ない。
「ニャア」
 すりすりと体をこすり付けると、店主はその内、仕方ないなあと呟いた。
「生き物は飼わない主義なんだけど。ちょっと餌あげすぎたかな」
 うむ、これだけ餌付けされれば居つくぞ。それは私とて同じことだ。
「お前の餌も満足に用意してあげられないし、今まで通り煮干くらいしかやれないんだぞ?」
 それで構わん。必要な分は自分で獲りに行くくらいの甲斐性はある。
「……はあ、仕方ないなあ。いいよ、お前が気に入ったなら、好きなだけいな」
「ミャア」
 うむ、礼を言う。代わりに、今までの分からこれからの分まで含めて、誠心誠意恩返しをしてやろう。
 義理人情は大切にしろと掛軸の爺も言っていたしな。

 結論を言えば、私がレストランに居ついてからというもの、徐々に客が増えてきた。
 まあ私がいるから当然だ。
 あの化け物屋敷が化け物屋敷になる前、あの屋敷のもととなった店を大きくしたのは、四分の一くらい私の力だからな。
 招き猫を見くびるでない。
 客が増えても、店主は私を無下にせず、毎日煮干を与えてくれた。店に余裕が出てくると、たまにキャットフードなるものを出してくれたが、私には煮干だけで充分と、その餌は辞退し、代わりに近所の犬猫にくれてやった。
 店主はその内、優しい男を旦那にし、夫婦二人で店を切り盛りするようになった。この頃には店は安定したので、私は去っても良かったが、煮干の誘惑には勝てず、ついつい居ついてしまった。
 時折我が屋敷に戻ると、掛軸の爺が感心だと頭を撫でるが、それよりも店主に撫でられる方がいいので、今では滅多に屋敷には戻らぬ。
 そして。

 あれから幾年経ったであろうか。
「たまは、昔からたまのままだね」
 今や老婆となった店主は、もう店主ではない。店は息子夫婦に任せ、隠居となったのだ。
 元店主の旦那は、つい先日逝ってしまった。元店主は時折寂しそうではあったが、私と共に楽しく暮らしている。と私は思っている。
「ミャア」
 かさかさの手に擦り寄ると、そっと頭を撫でてくれる。
「たまが特別な猫だっていうのは、会った時からわかってたんだよ」
 おや、私が招き猫だとわかっていたのだろうか。
「でもねえ、私がたまに煮干をあげてたのは、たまが特別な猫だからじゃないんだよ」
 うむ、それはよく知っている。元店主はただ猫が好きなだけなのだ。
「ねえたま、私が死んでも、一人で生きていけるかい?」
 生きてはいける。それは今まで通りだ。……だが。
「いや、野暮なこと聞いちゃったねえ。たま、ごめんねえ」
 何を謝るというのだ。元店主よ、私はとても楽しかったぞ。
「煮干、もう、作ってあげられないかもしれない」
 なんだそんなことか。元店主が作る煮干は確かに私の大好物だが、それがなければ生きていけないとか、元店主のところから去るとか、そういったことは決してしないぞ。
 安心しろ。元店主、私はお前が好きでここにいるのだ。
「はは、ありがとう。私も、たまが好きだよ」
 うむ、よくわかっている。
 ああ、眠いならもう眠れ。先程から眠そうなのは知っているぞ。安心しろ。私も一緒に寝てやる。旦那ができて以来、滅多に添い寝などしなかったが、まあ今日は特別だ。
 だから、次に目覚めたら、まず私の頭を撫でて、「たま」と呼んでおくれ。
「そうね。それじゃあ、お休み」
「お休み。元店主よ」

 元店主は二度と起きることはなかった。
 私はそれを知り、そして元店主が小さな箱となり、石の部屋に納められたところまで見ると、辻の化け物屋敷に帰った。

 もう、あの煮干は食べられない。
 もう、あの手は私を撫でてくれない。

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