熊手悠一のこれまでの仕事

インセイン「夜明けのカーテンコール」の感想ふせったーリンクと、後日談3本。
完全な敗北をすると、昇華させるための後日談とかが増えるんだなあ。

1.熊手悠一は諦めない

 打ち上げ会場に向かう道すがら、熊手悠一は先程のことを思い返す。
 思わぬ出来事、思わぬ出会い、思わぬ方針転換。
 あの現象は奇怪だが、そういうこともあるかと受け入れる心もある。現に、あの五十嵐五郎という男が自分と同じ舞台に立てる日を楽しみにしているし、それまではやめられないと思っている。
 だが、同じ舞台に立てたなら、今度こそすっぱりと俳優を辞めようという気持ちもある。
 そこまで考え、五十嵐の選択を思う。
 あそこでの彼の言葉は本心だろう。惜しいと思ってくれたのはとてもありがたいが、しかし、少しくらい自分の夢を応援してくれてもよくないだろうか。
 末っ子で甘やかされて育った悠一はそう思う。
 何が良くなかったのだろうか、どうすればよかったのだろうか。
 ぼんやりと考え、ふと閃く。
 恐らく、何もかもが急だったのが良くないのだ。であれば、少しずつ準備をして、周りに話して、受け入れてもらってから引退をするのがいいだろう。
 そうと決めた悠一は、まずマネージャーに話そうと決めた。

 打ち上げの席で、悠一はマネージャーの迫田に話しかける。
「迫田さん、次の仕事なんだけど」
「……え、次の仕事、やるんですか」
 驚いた様子の迫田に、そうだと頷く。やはりやめるかもしれないと思っていたのだろう。
「本当はさ、辞めようかなーって思ってたんだけど、色々あってね。もうちょっと続けようかと。いいかな」
「勿論ですよ! よかったあ」
 心から安堵したと言いたげな声に、悠一は苦笑する。
「もしかしなくても、心配させてたよね」
「そりゃあもう。社長とかも心配してたんですよ」
「そうか。じゃあ、今度会った時に謝っておくよ」
「熊手さんが続けてくれるならそれで充分って思ってくれますよ」
「うーん、そのことなんだけどね、それでもいつかは、辞めると思うんだ」
「え」
 迫田が固まったのを見て、少し悪いことをしたなと思う。だがそれは見なかったことにして、話を続ける。
「生涯現役っていうわけにもいかないって話だよ。少なくともここ一年で辞めるとかじゃないから」
「そ、そうですか。でも、辞めるとしても、その後どうするんですか?」
「実家のみかん農家を継ごうかと思ってる」
「……ああ! あのおいしいみかん!」
 その言葉に、そういえば迫田には実家で作っているみかんを食べさせたことがあったかと思い出す。
「うん、あのおいしいみかん。両親も歳取ってきたしね、その手伝いとかちょくちょくしてるんだ。だから、俳優をやめたらそっちで食っていこうかと」
「あのおいしいみかんっすもんね。え、継いだら毎年送ってくれませんか」
「お前そんなにみかん好きだったっけ」
「熊手さんちのあのみかん食って以来、好きな食べ物ナンバーワンっすよ」
「……その言葉、両親に伝えておくよ」
 きっと喜んで規格外品のみかんを送ってくれるだろうと思う。
 ひとまず、迫田はみかんで買収できそうだと、内心でほっと息をついた。
「あ、そういえば、一個でかい仕事が来そうって社長が言ってましたよ」
「え、なんだろ。冬にかぶらないやつだといいんだけど」
「熊手さん、冬場いつも仕事受けるの渋りますよね。なんかあるんですか」
「うちは冬が繁忙期なんだ。だからその時期はなるべく帰って手伝いたいと思ってて」
「あー、なるほど。まあ、社長もその辺は熊手さんが嫌がるってわかってるから、そういうんじゃないんじゃないすかね」
「だといいんだけど」

 その数ヶ月後。
 悠一は撮影スタッフを連れて地元に向かっていた。
「いやー、熊手さんのご実家がみかん農家なんてねえ」
「あまり言ってませんでしたからねえ」
 スタッフの言葉にそう返しつつ、窓の外を見る。地元は悠一が幼い頃より少し様子は変わっているが、そこかしこにある畑などは昔のままだ。
 今回地元に帰ったのは、今度悠一が出演する映画の宣伝のためだった。映画に出てくる武将が晩年に統治したのが悠一の地元で、悠一はその武将役で出るため、十分程度のミニコーナーとして紹介することになったのだ。本来は声の出演だけでいいのだが、折角だし道案内も兼ねてと悠一が提案し、こうしてスタッフを連れての帰郷となった。
 悠一としては、もし通ればこの番組で実家を継ぐつもりだと宣言するつもりでいた。事務所の社長には話を通したし、マネージャーの迫田もみかんを条件に協力してくれると言ってくれた。あとは世間にそのことを浸透させるだけだ。
 確認したところ、五十嵐五郎はこの前とある舞台で主人公の友人役を射止めていたようだ。きちんとステップアップしているようで何よりと思いつつ、いや彼には主役級で出てもらわなければと思う。自慢ではないが、悠一は舞台に出るとしたらそれなりに出番がある役になることが多い。そこで自分がそういう扱いで、肝心の五十嵐五郎が端役では困る。彼が主役をつとめられるようになるのはまだ先だろうか。しかし運によっては思わぬ展開になる。それは悠一自身もよくわかっていることだ。
 いずれにせよ、彼が隣に立つまでには、熊手悠一の人生計画を世間に周知しなくては。そうでなければ、また引き止められてしまうかもしれない。
「ご実家のみかん畑を撮ってもいいとのことでしたが」
「はい、実家には連絡してるので大丈夫ですよ。一応家に顔出して挨拶だけはしますが」
「それは勿論。ただ、何ヶ所かロケーションのいいところを撮りたいので、もしかしたら撮影しても使われない可能性が」
「ああ、大丈夫ですよ。その辺はうちの両親もわかってますから」
 とはいえ、悠一はその辺は大丈夫だと思っている。きっと、自分の実家のみかん畑の映像が使われるだろう。

    お名前※通りすがりのままでも送れます

    感想

    簡易感想チェック

    ※↓のボタンを押すと、作品名・サイト名・URLがコピーされます。ツイッター以外で作品を紹介する際にご活用ください。