熊手悠一のこれまでの仕事

インセイン「夜明けのカーテンコール」の感想ふせったーリンクと、後日談3本。
完全な敗北をすると、昇華させるための後日談とかが増えるんだなあ。

2.熊手悠一のこれまでの仕事

 最初は地元で公募してたエキストラの役だった。
「ゆう君、ここに立ってね、お侍さんが来て、ゆう君に質問するから、そしたらあっちの川の方を指差してね。わかったかな?」
「はーい」
 スタッフにそう言われて、悠一はただその通りにした。その後はテレビに出たと友人に自慢して、実際の番組を見てそれを録画し、大人になるまでその映像で家族と盛り上がる。それで終わりだと思っていたのだ。
 しかし、撮影が終わった後、周りより年嵩の男に呼び止められた。
「立ち姿が良かったから、もう二日付き合ってくれ」
「? ……お母さんがいいって言ったら」

 その後、年嵩の男、なんと監督だったわけだが、彼の依頼に母親が同意し、悠一はそこでの撮影に協力し、立派に村の子ども役としてスタッフロールに名前が載ってしまったのだ。ついでに言うと、テレビではなく時代劇映画のエキストラだった。
 そこで今度こそ終わりと思っていたのだが、監督の知り合いだという人がわざわざ家に来て、才能があるからと両親を言いくるめ、気がつけば悠一は子役として俳優業に携わることになったのだ。
 子役が子どもの役者であるという認識はあった悠一は、それなら大きくなれば用済みだろう、ならばこの限られた期間で普通はできない体験を楽しもうと思い、仕事の時はとにかく真剣に取り組んだ。テレビや映画に次々呼ばれ、気付けば世間で「ゆうくん」といえば天才子役熊手悠一と言われるくらいの知名度にはなっていた。
 天才子役と呼ばれてはいたが、悠一としては最初の撮影の延長だった。ただ指示されたから、そうするようにと言われたからそれに従っている。そんな気持ちで子役を続けていたのだ。
 それが変わったのは、とある舞台に立つことになった時だ。やり直しができる撮影と違い、舞台はやり直しは効かず、一回ミスしてしまえばその回の観客はそれで焼き付いてしまう。だからミスは極力減らさなければならない、ミスをしたとしてもそれを互いにカバーしなければならない。一回一回が真剣勝負のようなもので、その独特の空気と感覚に悠一はのめり込んだ。
 そこから、あちこちの舞台のオーディションに挑んでは敗北したり役を掴んだりを繰り返し、舞台での経験を積んでいった。その中で悠一の演技力は更に磨きがかかり、結果、天才役者熊手悠一と言われるようになってしまった。
 評価については思うところはあったものの、舞台の仕事は楽しいので続けていた。しかし、一方で気にかけていたこともあった。
 それは、悠一の実家の家業のことだ。
 悠一はみかん農家の三人姉弟の末っ子長男として生まれ育った。姉二人は既に結婚したり別の仕事を見つけたりで実家をほぼ離れている。となれば、実家のみかん畑を継ぐのは悠一ということになる。悠一としてもそれは全然構わないと思っていた。みかんは好きだし、畑作業も好きで、将来的にはみかん農家を継ぐつもりでいた。家族にもそのことは話しており、両親は喜んでくれていた。
 継ぐつもりなら、新しい栽培方法などを学べそうな大学に行けと親に言われたので、舞台の合間で受験勉強をしてなんとか大学に入り、そこで栽培法の他に、経済や経営などを学んだ。作物の栽培法を勉強してみかんに応用できるところはないかと考えるのはとても楽しかったし、作物のブランド戦略や地域の環境保全としての農業といったテーマも学び、それらをいつか実践できたらと思うようにもなった。
 とはいえ、舞台の仕事も順調に入っていて、両親も元気だったこともあり、大学卒業後は舞台仕事に専念していた。
 転機となったのは、悠一が36歳の時だった。その年、父親が病を患い、手術をすることになったのだ。結果手術はうまくいき、その後父親も順調に回復したのだが、そこで悠一は両親の老いを実感することとなった。
 それからというもの、悠一はそろそろ舞台は辞めて、両親が動ける内に実家を継ごうと決意した。

「という感じで持ってこうと思うんですが、どうでしょう」
 今度のドキュメンタリーで紹介してもらおうと思っている内容を社長の梶木に説明すると、彼女はそっと首を横に振った。
「後半いきなりすぎない? というか、ドキュメンタリーでしれっとこの後農家継ぎますみたいな流れを作ろうとしないの」
「いいと思ったんですけど」
「この前実家紹介したばかりじゃない。みかん農家いつか継ぐって話は、まあ入れてもいいけど、勉強したりお父様の話は今回はやめときましょう。それは来年くらいで」
「来年ならいいんですか」
「うーん、まあ、まあ。熊手君にはいっぱい稼いでもらったし、できればこれからも稼いでもらいたいけど、ご実家継ぐならねえ、仕方ないし。迫田も協力するって言っちゃったんでしょ」
「みかんを条件に」
「……まあ、あのみかんおいしいものね。食いしん坊の迫田が釣られるのもわかるわ」
「僕、継いだらお中元とかお歳暮にみかん送りますよ」
「私をみかんで買収できると思わないで」
「はーい」
 やはりだめだったかと思いつつ、今梶木に言われたところに取り消し線を入れる。
「にしても、あの可愛かったゆうくんが、もうこんなおっさんになって、実家を継ぐなんて話をねえ」
 梶木のしみじみとした言葉に、悠一はふと笑ってしまう。
「可愛かったの、十代前半まででしょう」
「まあね。舞台バリバリやるようになってからは途端に可愛げが減っちゃったって一部で言われてたし」
「そんな生意気なガキを拾ってくれて、ありがとうございました」
「あー、やめてやめて。そういうのはマジで退所する日にしてちょうだい」
「一番いいみかんと大きい花束持ってきますね」
「花束はこっちが準備するもんよ」
 梶木が少し涙目になっていたが、それは触れないでおいた。

作中人物設定
迫田
演技とかまるで興味ない食いしん坊マネージャー。
下手に演技とかに関心のあるマネージャーだと、熊手悠一を神格化して崇拝して困らせたり、もっと熊手悠一を売り出したいとバンバン舞台の仕事を取ってきて、当の本人を過労で倒れさせたりと色々あったため、そういうのに興味がない人物が採用された。
熊手が苦手な食べ物が差し入れで出されると、迫田が「俺これ好きなんす!」と言って食べてくれるので、梶木が甘やかすなと叱ったが、「いや俺が食べたいだけです」ときっぱりと言い切った食いしん坊エピソードが鉄板ネタ。胃腸はとても丈夫。
仕事はちゃんとできる。

梶木
熊手悠一のデビュー作である映画の主演をやっていた大御所俳優のマネージャーをしていた。
その大御所俳優が事務所を抜ける時に一緒に退職し、芸能事務所を設立した。その時に悠一にも声をかけた。
大御所俳優が悠一のことを可愛がっていたのと、梶木自身も悠一を幼い頃から知っているため、悠一のことは手のかかる弟みたいに思っている。

    お名前※通りすがりのままでも送れます

    感想

    簡易感想チェック

    ※↓のボタンを押すと、作品名・サイト名・URLがコピーされます。ツイッター以外で作品を紹介する際にご活用ください。